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04月16日
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明日を期待するばかりでは今日を無駄にする

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【衲履足跡】
いつも明日を期待するばかりでは無駄な人生を送ることになる。今を把握して、事理を了解し、すぐ行動に移ろう

率先垂範して
効果があらわれる

人は往々にして怠け者で、「明日があるから」と考えがちです。明日があるから今日は勉強しない。明日があるから今日は奉仕しない。明日、また明日と、延び放題になります。そしてついに無常が訪れると、後悔しても間に合いません。

「間に合わないという危機意識のもとに、今を把握して事理を了解しすぐ行動しましょう。いつも明日を期待する人は人生を無駄にします」と、ボランティア朝会のときに法師さまがおっしゃいました。

仏陀は大覚者であり、仏教を学ぶというのは、御仏の大智、大愛を学ぶことです。人々は生まれながら仏性を備え清浄な心を持っています。心を大らかに広く持ち、慈悲と愛を発揮すれば衆生をいたわることができます。

「布施には、財施、法施、無畏施(むいせ)と三つあります。環境保全ボランテイアが敬虔な心で回収物の分類を行うことで大地を守り、得たお金は大愛テレビに寄付して『財施』を実践しています。身を持って環境保全を実行するのは『法施』で、勇敢に実践するのは『無畏施』です。こうしてついには大智慧、大慈悲、無私の大愛が現われます」

環境保全ボランテイアの中には、知識階級もいれば、無学のお年寄りもたくさんいます。彼らは同じ作業に励み、同じ慈悲心で奉仕し、また他の人にも影響を及ぼしています。「環境保全ボランテイアは菩薩の心で、衆生によい模範を示します。口で言うだけで手を動かさない人は、まったく役に立ちません」

マレーシア・クアラルンプールに在住する伍宝燕医師は、昨年十一月に台湾にきて、慈済委員(慈済会員をとりまとめる幹部会員)の認証を受けました。その時、法師さまが「間に合わない」とおっしゃったお言葉を耳にしました。またハイチ、チリで発生した重大な災難を目にして、つくづく考えさせられました。環境保全が非常に重要だと感じ入り、国に帰ると病院の同僚と一緒に分別回収しようと心に決めました。

「始めた当初は『一指神功』(指でさして指揮する)で各部署に資源分類をするようにと命令しました。反対する人も、見向きもしない人もいました。口で言うだけで手足を動かさないから効果が上がらないということに、伍医師は気づきました。自己反省して各部署に回って回収物を取りに行きました。そうするとみんな伍医師の行動に感動して、進んで協力するようになりました。ある人は病院でだけでなく、家で子供たちにも教え、お母さんと一緒に仲良く分別回収をするようになりました。これはまさに愛の効果です」

法師さまは、伍医師を例にあげて、皆にお話しになられました。物欲、無明、私心を除くと、慈悲と愛は自然に現れます。先に奉仕するからこそ、皆の共鳴を引き起こします。これで環境保全の作業ははじめてスムースに進んでいくでしょう。

心配はあっても煩悩はない
修行の志を立てた米国の慈済ボランテイアと会話する時に、法師さまはおっしゃいました。「修行者は固い決心で学び、自覚覚他という信念を抱き、他人の悟りをうながすように努力しなければなりません」

法師さまがご自身の日程を例にあげておっしゃいました。「毎日、世界中から消息が寄せられるほか、会務の処理などで追われます。一日が終わる前に翌日のボランティア朝会で会員の皆さんに開示する法話を考えたり、Eメールを受け取ったり……。毎日これの繰り返しで、自分の時間はほとんどありません」

「法師さまは圧力をお感じになりますか」という質問に対し、「私の答えは圧力というのは、一般の人には『煩悩(ぼんのう)』で、私にすれば『心配』です。煩悩は、無明(むみょう)からくるもので、凡夫は個人の得失を考えるために無明に陥ります。私は人々のことを心配しています。しかし、私一人で天下のあらゆることを担うことはできません。まして年を取った今、憂いはさらに深まりました。どうやって静思法脈、慈済宗門の伝承をしてゆくかと心配です」

衆生は、止まることなく輪廻をくりかえしています。赤ん坊も過去世(かこぜ)の煩悩を持って生を受け、成長する過程において無明と煩悩を累積していきます。「人間は悪濁(ごじょく)に満ち、愛欲に汚染され、無明と汚濁から生じる悪習と悪業(あくごう)が人、事、物の障害になります。これはすなわち業障(ごっしょう)です」

「修行の志があれば固く決心しましょう。たとえ順調にいかなくても、信心が固いなら苦労を厭わず体も疲れません」と、法師さまは皆を励まされました。

法師さまの出家した当初は、木造の小屋にただ一人で御仏の教えを学び、精進に努力しました。お供え物もない有様で、ただ敬虔な心と固い決心で供養を尽くしました。「修行すると決めたからには、決心を固くして、ねばり強く試練に耐え忍ぶ勇気を奮い起こしましょう。人事の試練に耐えられ、名利の誘惑にも惑わされません。一旦清浄無私の境地に達した暁には、わずらいも名利も争いもありません」

慈済宗門に入ることを決心したら、世間に入って修行することを覚悟すべきです。この世は争いが多い世界です。真理を見極め、心を広くして辛抱強く修行に励みましょう。

「慈済で修行する人はこの世の出来事を通して、心配と煩悩、清浄と汚れの違いをわきまえることができます。思考をめぐらせ、道理はなおさら明らかになり、智慧も増え、心が穏やかになります。すべてを見極めると、自然に慈悲の心で奉仕に精進します」


文・釋徳凡/訳・慈憙