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04月20日
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上野公園における冬の太陽の様に

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数年来ずっと心の底に引っかかっていたものがあります。それは上野の公園や駅などで見かける路上生活者達が汚れた荷物を持ち歩いたり、ひとりぼっちで佇んでいたりしている姿です。中には何度も見かける顔もありますし、初めて見かける方もいます。思わず「戻る家はないの?」「家族はどうしたの?」などと心配したくなります。国際的に有名になったこの東京で、不景気のせいでこういう方が増えていくのは何とも悲しい出来事です。

桜の花見の季節には大勢の人が上野公園を訪れます。初めて上野を訪れた外国の観光客たちも公園内にある動物園を見たりします。それに加えこの広大な上野公園の敷地内は東京における住む場所がない路上生活者や外国人の一時滞在地ともなっています。以前はずらり並んでいた多彩な簡易テントも公園管理所の強制管理の元、姿が見えなくなりました。その代わりに、国立科学博物館の前の陰気ただよう森の広場に集まるようになりました。

2009年の初め、日比谷公園で失業した派遣労働者のための派遣村が設営されました。我々慈際は現地での食事の炊き出し活動に参加することによって、日本における慈済の愛の活動に新たな一頁を付け加えました。その後も毎月第一月曜日に代々木公園での温かい食事や物質の配布等の炊き出し活動を継続し、愛の足跡を増やしました。さらに重い病気から復帰した慮勤師姉は、慈済と長年に渡って協力しあってきた山友会の方々と一緒に、ボランティア団体「フードバンク」と協力し上野公園での毛布配布活動を計画しました。

銀杏が景色に溶け込んだ秋空の日々は、徐々に寒くなっていく外気を伴って人々に冬の到来を告げてきました。慈際のボランティア達は数回に分けて上野公園での配布活動のための調査を行い、公園に寝泊まりしている路上生活者から配布拠点を教わったり、物質運搬車の停車位置を確保したり、配布の流れなどを確認したりしました。ある雨が滴る午後、慈際のボランティア達は、公園内の路上生活者達が破れた傘などで雨から体を守りながら、配布された温かい食事を召し上がっている姿を見たそうです。ボランティア達は靴底にしみ込む雨の冷たさを感じながら、路上生活者達の安全のためにもとにかく早く毛布配布の準備工程を縮められるか検討を急ぎました。

ついに配布の日程が決まり、慈際のボランティア達がその準備に忙殺されているとき、配布する毛布を梱包する袋が足りないことが判明しました。台湾にある慈済の本部に急遽支援を依頼して袋の確保ができましたが、今度は台湾から日本への輸送手段に困りました。このとき、大塚美月師姉の友人、美秀師姉がご自身の人脈を活用し、東南旅行社のご協力の元、数日で五百枚の袋を日本に輸送することができました。その後、張好師姉の指導下で十数名の慈済ボランティア達が毛布を袋に詰めたり、慈済からのメッセージカードや日本語の慈済小冊子、毛布の利用方法等を丁寧に作成したりして準備を整えました。

十二月十九日の午前八時、台湾本部の国際災害資源部の陳金発師兄からはすでに五回の電話があり「毛布を必ず公園に寝泊まりしている方々に行き渡るように配布してほしい」と念を押されました。九時になり、四十名ほどの慈済ボランティアが集まり、トラックに奇麗に包まれた毛布を載せて上人にお祈りをしてから出発しました。まずは新大久保駅に向かい、山手線で上野駅に到着。男性のボランティア達が護法金剛となり、真っ直ぐ一列で歩いていきました。

上野公園に到着すると、すでに大塚保師兄と林勲師兄で運転してきたトラックと、慈馥師姉と黄経源師兄が毛布を積んだ車が公園口で待っていました。慈済ボランティアは機動組、宣伝組および実働組とに振り分け、まずは機動組が毛布の受け渡しがスムーズに行くよう導線を作成し、宣伝組が公園の住民達に対して毛布の由来を説明しました。このとき配布した毛布は、以前の環境保全活動から収集されたペットボトルから作成されたEco毛布です。その後、十人ずつに分かれた実働組の2つの小さなチームが並んできた路上生活者達に礼を尽くしながら、ECO毛布や慈済からのメッセージカードを手渡ししました。

配布場所に遅れてきた方や近郊から数時間かかってきた方に対しても、慈済のボランティア達は同じように対応しました。また、配布場所には現れず、体を丸めて寝ていた年配の方には慈済ボランティアの方から歩み寄り、暖まるようにしっかりと毛布を掛けました。自分たちが同じ路上生活する立場になったことを想像して、どんなことが嬉しいことなのかを考えながら愛を込めて活動していきました。これこそ慈済が持つ慈悲の志です。

カメラでの撮影は路上生活者達を尊重した上で、様々な姿を写真に取らせて頂きました。草むらに座り込んでいる方が立ち上がる姿や、木の後ろに隠れている方がこちらに歩き出した姿を撮ることで、慈済の愛の足跡の一部として永久的に残していきたいと考えています。

長い間、慈済の日本支部は異国となる日本において、何か宗教活動以外でも社会に貢献できることを探してきました。慈済の教えに沿いながら、我々が生活しているこの地に我々の愛心を伝えるために努力してきました。そのため、ここ一年間は、慈済の愛を冬の太陽の様に、路上生活者達への炊き出し活動や温かい洋服の配布として実行しきました。今年の最後に上野公園で毛布の配布という大きな形を残して締めることができ、私どもとしても大変喜ばしいことです。

地球の温暖化や不景気の影響により様々な不幸が引き続き起きていると思う中、慈済の愛の活動を止めずに行きたいです。さらには「もう間に合わない急がなくては」という気持ちもあり、今より駆け足でもっと多くの活動を実行して行きたいと思います。

文/ 許麗香
訳/呉兪輝