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07月22日
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十二年間共に歩み続け まとまった雨に期待を寄せる

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水を探すことは
甘肅省の旱魃地域の人々にとって
最重要課題である
清潔な水は貧富や結婚
運命を決定づける
この十二年間
慈済は六つの県で二万個近くの
水窖(すいきょう)(貯水槽)を建造してきた
何回かまとまった雨が降るのを
住民と共に願う


今年の夏、旱魃による水不足で有名な中国甘粛省を訪れた。しかし、行ってみると、水草が美しく茂り、農作物が豊かに実っていたのを見て驚いた。一面に広がった緑は私たちの目を楽しませてくれた。だが、この青々とした風景はいつも見られるわけではない。

会寧県慈善総会の李如潜副会長は、この一面の美しい景色を見ながら感激すると共に感慨深げに言った。「大雨が幾度か降った一九九一年以来、今年はこの十九年間で雨が一番多い年です」。

会寧県にある二十八の郷(郡)や鎮(町)は全て旱魃地域に指定されている。一九六〇年代に十一個のダムを修築、灌漑水を確保しなんとか農業を維持することができた。しかし、その後の半世紀の間に、ダムはほとんど枯渇してしまった。今、会寧から四百キロ離れた黄河支流の洮河から水を引く工事が進行中で、農民たちの期待が集まっている。

水不足の土地で水資源を探すことは、旱魃地域に住む住民にとって最も大変な仕事である。十二年前に慈済ボランティアは甘粛省を訪れ、旱魃に立ち向かう人々に加わった。通渭、会寧、東郷、靖遠、永靖、広河の六県で総計一万九千六十の貯水槽を造り、十万人強がその恩恵を受けている。

水を担ぐ苦労をもうしたくない
慈済ボランティアは旱魃地域で数多くの人々を訪問し、衝撃を受けた。

八十歳になる羅玉蘭は、人生の三分の一を水を担ぐことに費やしたと回想した。茶碗一杯の水で一家三人が三日間、顔を洗う。洗った後の汚れた水を家畜に飲ませる。一滴も無駄にしないのだ。畑仕事の時、喉がからからになっても、一口の水を舌をしめらすようにして含むだけだ。

旱魃地域の人々は、出稼ぎに行かなければ暮らしていけない。村で元気のない若者に出会った。「私が出稼ぎに行ったら、誰が年老いた両親のために水を汲んできてくれるのでしょうか」と、やるせない口調で語った。

住民の状況をよく理解するため、慈済ボランティアはしばらく村に滞在することにした。旱魃地域で水を使う苦労を自ら体験するためだ。「私たちは一人当たり一日に一リットルの水を支給しました。朝起きてから歯を磨いたり顔を洗うだけで半分以上がなくなり、残りは飲み水用にも足りません。ましてや体を洗ったり拭いたりすることは論外です」。

そういう話はいくらでもある。人々は少しでも水の苦労を軽減させるために、あちこちで水資源を捜し求めた。僅かな源泉や窪みに溜まった水なども見逃さなかった。

水を溜める以外に生活する方法はない。慈済は一九九八年に貯水槽を作り始めた。現地で「水窖」とよばれるものである。旱魃地域の貧しい人たちの家の前にセメントで雨水の集積場と貯水槽を作る援助をした。

長年、甘粛省で貯水工事に携わってきた慈済ボランティアの張文郎は当時のことが一こま一こま目に浮かんでくる。「台湾から来た私たちは水窖とはどういうものなのか知りませんでした。甘粛省から届いた写真を見て、地下に掘った井戸だと思っていました」。

しかし、彼らは現地に着いてから水窖とは何かを初めて知った。旱魃地域で地下水脈を見つけることはこの上なく幸運なことである。しかし、地下水脈を掘り当てたとしても、多くは鉱物質の含有量が高い水で、とても飲めたものではない。そこで分ったのは、水窖とは想像していたような地下の井戸ではなかったことだ。

頑丈な窖を作れば
清潔な水が溜められる

台湾から行った慈済ボランティアは水窖の作り方を知らなかった。しかし、彼らはあちこちで現地の人の水窖の作り方を勉強した。

「貯水槽といっても、ただ地面から下に向かって掘った穴に過ぎません。穴の内部に赤土の粘土を塗り、それを叩いて固めるのです」。水窖は簡単なもので、村人は水が流れてくるように地上に細い溝を掘る。集まってくる雨水はほとんど泥地を通り、家畜が垂れ流した糞便を通ってから窖の中に入る。

水窖があれば、労力と時間を費やして水を汲まずともよいが、その水質はひどいものである。二十年間勤めてきた村の医者は、「以前、人々が地下水や水窖の水を飲んでいた時、一日平均五人以上が赤痢にかかって、診療所に来たものでした」と以前のことを話してくれた。

ボランティアたちは専門に貯水槽を建造する人と蘭州大学の土木建築学の学者を訪ね、改善された水窖を作ることにした。研究に研究を重ねた後、セメントで窖を作り、やはりセメントで雨水の集積場を作ることにした。「セメントは頑丈で、集まった雨水は清潔を保つことができます。後に私たちは濾過池を付け足し、水窖から汲み上げた水が直接利用できるようにしました」。
甘粛省は広大で、各地の土質も気候も異なる。詳細な研究を経て、慈済ボランティアはセメントと水を配合する比率も水窖自体の構造も、各地域適したものでなければならないことを発見した。成功大学の水利工学部を出たボランティアの荘振基は、甘粛省各地の土質のデータを台湾に持ち帰って研究した。そして、各地域ごとにセメントの配合比率を決め、各地域に適した窖の構造を見つけた。

また、異なる気候条件に適した雨水の集積場を設置することにした。例えば、日差しが強いところは、面積を大きくしてセメントを厚くする必要がある。この十二年間、各地で作ってきた水窖は、全てその土地に適した特有の設計である。

水窖が完成してからも慈済ボランティアたちは何度も同じ場所を訪れ、住民の生活に改善が見られたかどうか、水窖の使い勝手はどうかなどに関心を寄せた。昨年暮れ、張文郎は十二年前に作った第一号の水窖を見に行った。「窖そのものは丈夫で、汲み上げた水もかなり透明度を保っていました」。こういう窖は、数回まとまった雨が降れば、旱魃地域の人に一年分の飲み水を供給できるのだ。

水窖一つで人生が決まる
甘粛省の旱魃地域では、水窖の周りを塀で囲み、小さな扉をつけて錠をしているのを見かける。水窖が人々にとってどれだけ重要かが分かる。

「十二年前、この水窖ができた時から、正真正銘のばら色の人生が始まりました」。一日に一往復して重たい水を担いできたために背が伸びなかった羅玉蘭は、話をしながら私たちを彼女の家の方へ誘導した。水窖によって飲料水の問題が解決したばかりでなく、他の労働に費やせる時間が増えたのだ、と説明してくれた。

山の上の農民は所有する農耕地の面積が大きい。二・五ヘクタールを越す土地は人間の力だけで耕すことはできない。しかし、農地を耕すためのロバを買うには三千人民元強が必要だ。旱魃地域の貧しい農家では、三年間飲まず食わずで、やっと買えるかもしれないという金額である。「以前は、経済的に余裕のある隣近所の人から借金していましたが、水窖ができてからは、農作業できる時間が増え、主人と息子は出稼ぎに行ってお金を稼ぐことができるようになりました」。

一つの水窖で一家の暮らしにどんな影響がもたらされたのだろう? 羅玉蘭家の横にある家畜小屋の中の二頭のロバがそれを物語っている。

多くの人は水窖のことを「喉の渇きを潤す窖」と呼んでいるが、羅玉蘭は「金持ちにしてくれる窖」と呼び、陳玉相は「幸福を運んでくる窖」だと言う。

慈済ボランティアが甘粛省で水窖建造の手伝いを始めた三年間、政府は住民に家の前に水窖を作ることを奨励し、補助金を出した。しかし、旱魃に見舞われた土地の範囲は広く、多くの辺鄙な村は補助金をもらえないままだ。

「甘粛省に水窖建造の援助に行くと決めた時、私たちは援助対象は貧しい地域であることを要望しました」と張文郎は真剣な面持ちで言った。「慈済は苦しんでいる人を助けるために行動しているのですから」。

通渭県に住む陳玉相の家の前にある水窖は十二年前に作られたものである。水窖の蓋に書かれた赤色の文字は色褪せていたが、それでも「台湾慈済基金会」の援助によるものだと識別することができた。「十二年前、二百戸余りの村に水窖は七つしかありませんでした」と陳玉相が言った。一つの水窖を作るのに三千人民元もかかる。年平均僅か千元余りの収入しかない貧しい人たちには到底作ることはできなかった。

陳玉相が十八歳の年、慈済ボランティアが水窖建造の援助に来たのを出迎えた。水窖ができて間もなく、彼は出稼ぎに行った。家が貧しかったために、小学校五年までしか勉強していない。彼はいつも、嫁に来てくれる人はいるのだろうかと考えていた。

「我が家に水窖があるから、結婚することができたのです」。陳玉相の妻、賈芳紅は、やはり旱魃のひどい地域の出身である。十二歳の時から水を担いでいた。町へ出て仕事をするようになってからは、何が何でも家に蛇口がある人に嫁がなければ、と思った。

「彼とお付き合いを始めた時、やはり旱魃地域から来たと聞き、躊躇しました。しかし、彼の家の水窖を見て嫁ぐ気になりました」「垢抜けている蛇口がなくても、水窖さえあれば、以前に比べたら随分幸せです」と賈芳紅は笑って言った。





「甘粛省は旱魃で知られています。ニュージーランド、米国、シンガポール、フランス、台湾などから水窖建造の援助に来ています」。通渭県民生局書記である王国勝によると、海外からやってくる様々な団体の中でも、慈済は最も多い二万個近くの水窖を寄付したという。天から授かる一滴一滴の水を汲み取るために、腰を曲げて水窖を作った。水が手に入るまでの苦労は並大抵ではないが、慈済ボランティアは十二年間休むことなく、旱魃地域の人々と智慧を出し、謙虚に大自然の挑戦を受けた。もはや水を手に入れることは儚い夢ではないのだ。

慈済月刊五二五期より
文・凃心怡/訳・済運/撮影・蕭耀華
 

" 【生命を守ること、害すること】 飢える人に腹いっぱい食べさせ、凍える人を暖め、病人に診療を施し、身の周りの人道的な行為を見たり聞いたりしては互いに励まし合い啓発し合う、というのが「生命を守る」正しい方法である。盲目的に生き物を捕らえてから放ち逃す「放生」は本末転倒であり、かえって生命に害を加えることになる。 "
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