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08月25日
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ホーム ドキュメンタリー 台風八号・台湾大水害の後 作業開始!協力して新しい村を築き上げよう

作業開始!協力して新しい村を築き上げよう

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【台湾大水害・新しい村の建設】

十月は高雄県那瑪夏郷のしょうがの収獲期である。いつもならこの月から約二、三カ月の間、劉明澤さんは忙しく農家を回ってしょうがの品質を調べ、買いつけた後、仲買人に売る。数日前、彼は車で四時間もかけて山の農家を訪ねまわった。「一回りしましたが、一軒も品質の良いしょうがはありませんでした」と語る。

二カ月前、台風八号で那瑪夏郷南沙魯村の全住民が村の外へ避難した。しょうが畑は土石流が流れ込み、人手不足で肥料もやれなかったため、生い茂った雑草に土の栄養分をみんな吸収されてしまった。そのためしょうがの品質が低下したのである。

突然生計の術を失った劉明澤さんはしばし失望したが、「幸い慈済が村を建設するため、被災者を建設作業員として雇ってくれる制度を設けてくれたので、なんとか生活してゆけます」と言う。

台風八号が台湾南部の嘉義、高雄、屏東及び台東の山地にひどい災害をもたらした。三十三カ所が危険地域と指定され、村全体を別の場所へ移転しなければならなくなった。山を下りて他の場所に村を移すことは、被災者にとっては大変辛いことだがやむを得ない。

移転先の土地は政府が提供し、慈済が村全体の建設を引き受けることになり、高雄県杉林郷にある月眉農場が永久の住宅建設予定地に指定された。八百~一千戸の住宅を建て、甲仙、六亀、那瑪夏、桃源各郷の住民が入居する予定である。九月末には鬱蒼とした林であった農場を平地にならし、起工の準備が始められた。慈済は被災者を建設作業員として雇用する制度をつくり、仕事の機会を与えて賃金を支払い、被災者に村の再建に参加してもらうことにした。

災害発生後、被災者たちは新しい村の再建に全力を尽くしている。自分たちの手で自分の将来の家を再建できることは有意義なことである。

肉親を失った心の傷を
労働することで癒す

那瑪夏郷南沙魯村の住民である林秋梅さんにとって、こうして作業員として働くことは収入を得られるだけでなく、家の再建の始まりでもある。

突然襲ってきた土石流は家を呑みこみ、夫や兄嫁、伯母、従兄弟ら合わせて八人の肉親の命を奪った。それから二カ月の間、彼女の頭はいつもうつろである。人が言ったことをすぐ忘れてしまう。彼女は「記憶力が悪くなったのは、心的外傷後ストレス障害のせいでしょう」と独り言をつぶやく。

那瑪夏郷には高校がなかった。林秋梅さんは平地の高校に通う息子の世話をするため、一緒に下山して暮らしていた。「私と息子は父の日(台湾では八月八日。パパの発音にちなむ)に山に戻って一家団欒しようと思ったのですが、道路が寸断されたので断念したのです」。

災害後村に戻ると、わが家は土石流に埋もれ屋根だけしか見えなかった。彼女は恐怖に震えて、「もしあの時山の上に帰っていたら、私たちは今この世にはいなかったでしょう」と言う。
見る影もなく破壊されたわが家の前に立って、彼女の心は大きな悲しみに襲われた。思いきり大声で泣きたいのに、涙が出てこなかった。

南沙魯村は危険地域に指定された。彼女は何の躊躇もなく新しく建設される永久の村に移住することを決めた。あんな恐しい土地には二度と住みたくないと思った。「一番よい思い出のある家ですが、同時に一番悲しい思い出となった家です」。

身内を失った悲しみと現実の生活に向き合わねばならない試練に、林秋梅さんは働くことにより、徐々にマイナス思考から抜け出せるようになった。「慈済が機会を与えてくれたので、私はとても期待しています」。

林秋梅さんは仕事をするかたわら、少しずつ完成していく将来住む家の青写真を想像しながら、新しく出直そうとの勇気が湧いてきた。「工事が完成して新しい家に入居したら、私は孫たちに、以前この村には木がたくさん植えてあったこと、そしてどのような経過を経てこんなに立派な家になったかを伝えるつもりです。孫はまたその子に、曾祖父母がかつて大きな台風に遭ったこと、慈済がこの建物を建ててくれたことを伝えていくのです」。

林秋梅さんは幸せそうに笑いながら、「私は少し大げさに想像しているようだけど、このように想像するととても達成感があるの。私は毎日現場に来てみんなと一緒に家を建てたい」と興奮して語る。

新しい家が根づく
環境に配慮する
十月の初め、慈済は建設現場奉仕団を発足させた。村を建てる予定地は約十二万坪の農場である。ここに生えていた樹木は六、七年の樹齢があり、一本一本の樹にも生命があるので、道端に倒れているのを見ると心が痛むとボランティアの呂進泳は言う。

生命愛護と環境保全の理念の下、慈済はまず木の生命を救う作業から始めた。「作業の進み具合は順調で、私たちは一分一秒を争って樹木の救助に当たっています」。

「木を他所へ移植するには季節的に適当な時期ではありません。しかし建設工事は急がなければなりません。被災者に一日も早く家を建ててあげたい」とボランティアの郭勝章が言う。秋は樹木が養分を必要とする季節で枯れる率が高いため、専門家が来て指導をしてくれる。

この一帯にはマホガニーなど八種類の樹木がある。全て珍しく貴重な木である。移植をするためには、木の種類や特性に従って、枝を剪定しなければならない。余分な枝は切って営養分を幹や残った枝に与えるのだと郭勝章は説明した。

林秋梅さんの動作はすばやい。片方の手にもった鋸で枝を切りすて、もう片方の手で大きな根を根回しする。水分が蒸発するのを防ぐため、幹の切り口にグリセリンを塗った後、黒い網で土がついている根部を包む。こうして移植作業の第一歩は完成する。

複雑な移植前の準備作業が終った後、みんなは大小さまざまな木をトラックに積み上げて、近郊の岡山や屏東へ運んで行く。

「移植には土地が必要です。幸い慈済の高雄支部や屏東支部には広大な敷地があるので、しばらくそこに植えておくことができます」とボランティアは語る。

炎天下にみんな汗を流して働くが、誰一人として疲れた顔を見せない。彼らは「この樹木はここに七年以上も住んでいた。私たちはこの木たちの土地を借りて住むのだから、木たちを別の地に無事に移してあげたい」。

飲み物に食事に冷たいタオル
幸せな建設現場

工事を急ぐあまり、劉明澤さんは不注意にも鋸で腕を傷つけた。血がふき出したので、ボランティアが心配して、傷の具合を見に来た。彼は朗らかに「今日は起工の一日目だから赤い色を見るのは吉兆ですよ!」と笑って言う。

慈済ボランティアは彼の冗談を聞いて緊張が和らいだが、それでもすぐに携帯電話で支援を求めた。慈済人医会(慈済の医療ボランティア団体)の医療スタッフがすぐ救急箱をさげてサービスセンターから駆けつけて来た。血はすぐ止まったが、念のため破傷風予防の注射を一本打った。「傷は浅いけれど、錆びた刃で怪我したのでおろそかにできません」と医療スタッフ。

建設現場では毎日、慈済人医会のスタッフや慈済ボランティアが常駐して奉仕している。朝七時に仕事が始まって二時間ほど経ったころ、二人一組のボランティアが冷えた飲み物や手作りのサンドウィッチをさげてやって来る。被災者作業員たちは木の下で休みながらこのおやつを食べる。

「午前も午後もおやつがある。こんな幸せな工事現場は他にはないわ」と林秋梅さんは笑いながら言う。慈済ボランティアは父母が子供を世話するように彼らを気遣う。「暑い日には木の下でしばらく休むように言ってくれるし、いつも安全に気をつけなさいと注意してくれます」。

正午、被災者作業員はサービスセンターに戻って昼食をとる。ボランティアによって冷たいタオルとミネラルウォーターが用意してある。皆は冷たいタオルを顔にあてて、「ああ、とっても気持ちがいい。明日もまたこのタオルのために来よう」と言う。

ボランティアの呂進泳は、「濡れたタオルを冷蔵庫の中で冷やしておいて、作業が終わった時に取り出して皆に配れば最高の慰労品だよ。この方法は私たちが台北の慈済病院建設で学んだ経験によるものです」と誇らしげに語る。また、環境保全チームを組織して、一日に二回作業現場でゴミや資源の回収をしている。

七年前、高雄静思堂の建設工事が始まった。四年間の工事期間中、毎日菩薩のようなボランティアの姿が至る所で見受けられた。村の建設が始まった今、「私たちは以前の経験を生かして、迅速に仕事を分配し、スタッフを配置しています」と、高雄静思堂建設現場でボランティアとして奉仕してきた呂進泳は言う。「これから慈済ボランティアは村人と一緒に美しい村を再建していきます。「慈済人は先頭に立って、最後まで付き添います」と笑顔で語る。



季節は秋に入ったが、南部・高雄の太陽は相変らず熱い。昼食を終えた後、村人たちは濡れたシャツを脱ぎ、木の下で一休みする。間もなく安らかな寝息が聞こえてくる。

林秋梅さんは「長い間体を動かしていないので、今日仕事に行けると聞いて昨夜は嬉しくて眠れませんでした。まるで小学校の遠足に行く思いでした」と目を細めて笑う。一日の賃金はたった八百元(約二千百五十二円)だけれども、しばしの生計に充てられるので精神的にも落ちつく。

昼寝をしていない村人が木の下で雑談をしていた。彼らは下山して平地に移住してきたが、誰一人として後悔していない。「どうせ山の上にはもう住めない。この度の災害はよい機会だと思う。我々は早めに平地に移ることができてよかった」。

長年つちかってきた山の上の一切を捨ててくるのは惜しいことだ。それでも、張繁盛さんは、「将来ここに新しい学校や運動場、それに教会も建てられます。かつて山の上にあったもの全てが移ってくるのです」と嬉しそうに言う。

被災者である村人にしてみれば、この広大な土地は彼らにとって再出発の場である。未来の家、未来の希望はここから始まるのだ。


慈済月刊五一五期より
文・凃心怡/訳・重安/撮影・林炎煌