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08月22日
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ホーム ドキュメンタリー 台風八号・台湾大水害の後 両手を差し伸べて愛の円を描こう

両手を差し伸べて愛の円を描こう

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【台湾大水害・募金活動】

「親愛なる台湾の皆様こんにちは。私達は四川省什邡市洛水小学校の生徒です。去年、四川大地震が発生し、私達が一番困っていた時、皆様はお金やいろいろな物を下さいました。その私達に対する温かい思いやりや援助は、私達の心の奥深くに染み込んで、忘れることはありません。今、台湾は五十年来で最悪の水害に見舞われました。皆様の苦しみを、私達は自分のことのように感じます。今、私達洛水小学校の教職員生徒一同は心を一つにして、自分達のできる限りの気持ちをさし出し、少しでも被災された人達の助けとなれるよう願っています。

大地震という大災難を経験した私達は、皆様に助けられ励まされてここまで頑張って来ました。今どうか皆様も、温かい愛がともにあることを信じて下さい。皆様もきっと私達と同じように一切の困難を乗り越え、以前の平和な生活にもどられますよう、明るい未来に向って進まれますよう祈っています」

昨年五月に四川大地震が発生した時は、一瞬の間に八万六千四百人以上もの人命が奪われ、四千六百万人以上の人が被災した。慈済は地震発生後三日目には被災地に到着し、避難テントの中に入り、傷ついた人達を慰めた。それから一年あまり、ボランティアの関心は四川に注がれてきた。

四川の人達はこの恩を忘れず、今回、台湾が未曾有の大水害に襲われたことを知るや恩返しの行動を始めた。テレビニュースで被災状況を見て、洛水小学校の先生や生徒達は町の人達に呼びかけて、義捐金を募った。そして被災者を励まそうと手紙を書いたのである。

被災した苦しみを
私達はよく理解できる

地震の時、大きな被害を受けた什邡市の洛水や漢旺などの町はまだ復興の途上にある。大勢の人が今でも組立て式の仮設住宅に住んでおり、彼らは台湾の被災者達の苦しみが理解できる。できるだけのことをして、台湾の被災者を慰め温かい心を伝えたいと思っている。

七十二歳の張淑芬おばあさんは洛水の慈済サービスセンターに来て、涙を流しながら、「洪水が一瞬の間にすべてを巻き込んだ台湾の水害の様子をテレビで見て、被災者の人達は本当にお気の毒だと思いました」と言って三百人民元(約四千円)を差し出した。

ボランティアは張おばあさんが長い間胃が悪いということを知り、お金は病気を診てもらう時のために残しておくようにと勧めたが、おばあさんは「病気は医者に行かなくても大丈夫です。私はお金を台湾の人を助けるためにさし上げたいのです」と言って聞かなかった。ボランティアはそのうち百元を受け取り、人を助けたいというおばあさんの気持ちをありがたく受け取った。

漢旺の七十五歳の周福清おばあさんと七十一歳の郭育珍おばあさんは、地震の後に慈済が町の人達のためにいろいろとしてくれたことに感謝して、いつも道端で集めた資源ゴミを入れた竹篭を背負って、漢旺の慈済リサイクルセンターに持って来る。普段は政府から生活手当てをもらっている二人のおばあさんは、わざわざセンターまで義捐金を持って来た。

中江県富興鎮の貧しい光明村では慈済が住民の家を援助建設している。村の人達の生活はまだとても苦しいが、それでも多くの人が寄付をしてくれた。四十八歳の黄瓊芳さんは雇い主から四百人民元(約五千三百円)を前借りして救済に寄付した。それは彼女にとって二十日分の工賃にあたる。

昨年洛水の慈済サービスセンターで子供ボランティアをしていた酒瑩さんは、今は什邡中学校の三年生になっている。高校入試も近づき圧力も大きいが、彼女は台湾の水害のことを心配して、クラスメートと校内で募金を呼びかけた。クラスメート達は皆次々と募金箱にお金を入れてくれ、酒瑩さんはとても感動した。

「こんな少しのお金は大した役にも立たないと思うけれど、どうか被害を受けた人達に少しでも温かさを与えることができたらと願っています」と酒瑩さんは言った。

できる限りの力を出せば
愛の心が湧き出てくる

水害で被災した人達を援助するために、世界中の人達の愛が動き出した。名もない普通の人でも、名を知られた大企業家も、皆心を一つにして、お互いにできる限りの力を出して、被災者を援助するために動き出した。

台湾人の陳映雪さんは、「いつも町や村を歩いていると大勢の慈済ボランティアが社会のためにいろいろなことをしているのを見ます。だから今度の水害が発生した時、まず私の頭に浮かんだのは、慈済にお金を寄付しようということでした。それは本当に心から信頼できるからで、私は安心して慈済に託したのです」と言う。

台北県三重市に住んでいる大学を卒業したばかりの劉欣盈さんは家族旅行に行く計画をしていた。しかし今は、被災者を助けて家を建て、町を立て直すことを手伝うのが大切だと思い、旅費を全部寄付することにしましたと言った。

また、大潤発、燦坤、味全、統一、中興紡織などの台湾企業は真先に慈済に電話をして来て、物資を慈済の救災活動に差し出してくれた。被災地の整理のため、手押し車を寄付したり、特殊車両や大型トラックなどの重機を慈済に貸し出す業者も現れた。

一人一人の出す力はたとえ少しでも、慈済の救災活動の陰の力となった。

「台湾の人は皆とても愛があり、世界のどこでも困っている人があるとすぐに救済にかけつける。私達もできるだけのことをして手伝わなければいけない」とパラグアイ在台大使館武官のミリアン夫人は、慈済ボランティアと一緒に南部の被災地を訪れた。そのひどい有様を目にして、夫人は涙を流しながらペレツ代理大使に電話で報告した。

何日か後、ペレツ代理大使も慈済ボランティアと共に被災地の奥にまで入り、清掃を手伝った。彼女は被災者を抱きしめて、「私は台湾が好き、台湾の人も好きです。民族や宗教の違いに関係なく、私達は心を一つにして頑張らなければいけません」と言った。ミリアン武官夫人は大使館で募金を呼びかけ、六万元(約十八万円)の募金を慈済に託した。

慈済人文志業センター(慈済人文志業のうち、メディア部門が集まる)では十六日夜、「募金・募心の夕べ」を開いた。会場には百台の電話が設置され、大勢のタレントや企業家が民衆からの電話を受け、募金を受け付けた。

各国の慈済人も台湾の被災状況にとても関心を持ち、この場で電話を通じて彼らの関心を故郷の人達に伝えた。トルコ在住の慈済ボランティア、胡光中は、「私たちは募金を始めました。被災者の一番必要としていることをしてあげられるよう、力の限り努めています」と言う。慈済インドネシア支部の副執行長である郭再源は、「ヌロール・イマン講堂の教長は、生徒達に呼びかけて台湾のためにお祈りしたり募金したりしてくれています」と語る。

「募金・募心の夕べ」は夜十一時に終わる予定だったが、募金申し込みの電話がひっきりなしにかかってくるので、夜中の十二時半まで延長された。そして翌日の昼にも時間を設け、民衆からの電話募金を受け付けた。

企業家の夫人達で組織された「慈友会」は芸能界に呼びかけて衣類を集め、八月二十一日に台北市内で三日間「福を惜しむ集い」と名づけられたバザーを開いた。会場にはまだ新しい衣類や、工場や商人が寄付した新品が一万着近くあり、バザーの収入は全て慈済が被災者のために家を建てる基金とされる。

同じ地球に住む者同士
お互いに助け合おう

外国にいる慈済ボランティア達は、故郷のことを心配して、五十カ国を超える国の慈済人が募金活動を始めた。

米国カリフォルニア州北部では、ブルーのシャツに白いズボンのボランティア達の姿が華人系スーパーマーケットに現れた。七十を過ぎたお年寄りや八歳の子供ボランティアまで皆心を一つにして、愛を故郷に送ろうという思いだけで募金活動に参加した。「故郷からこんなに遠く離れている私たちは被災地に行ってお手伝いをすることはできないけれど、街に出て募金をすることはせめてもの気持ちです」。

大学四年生になる蘇世婷さんは米国生れである。彼女はインターネットで台湾の受けた災害を知り、心を痛めた。「とてもじっと見てはいられない。私も何かしなければ……」と思い、街に出て微笑みを浮かべて道行く人達に募金を呼びかけた。おじぎをくり返し、募金してくれた人達に感謝の気持ちを表しながら……。

どんな民族の人もどんな宗教の人も、愛を行えば必ず愛が報われる。あるアメリカ人が慈済ボランティアの真心こもったものごしに感動し、その募金の理由を知ると二十ドルをさし出して「これは私のなすべきことです」と言った。ある中年の人は、ファーストフードの店から出て来て募金して、「あなた達は仏教徒、私はキリスト教徒だが、私は慈済には本当に感心しています」と言った。

若い婦人が小さな子供を連れてボランティアのそばに来て、「あなた達は慈済の方ですか?」と尋ねた。彼女は昨年四川大地震の後、慈済の方にはいろいろとお世話になりましたと言う。「私の故郷は福建省です。今度の台風八号でも被災しました。台湾が被害を受けたことはとても他人事とは思えません」と言って百ドルを募金箱に入れた。

四川から来たという人は、「四川大地震と台湾の水害で被害を受けた人達はその受けた苦しみや生死離別の悲しみは同じものです。同じ地球に住む人間としてお互いに関心を持ち、愛し合うのは当たり前のことです」と言って募金をしてくれた。

カナダのメディアは毎日のように台湾水害のニュースを放送している。慈済ボランティアは八月十三日から街に出て募金を始めた。あられ混じりの大雨が降って来てもかまわず続けた。街に買い物に来たというおじいさんは、ボランティアの所へ来て募金箱に義捐金を入れた。「災害を受けたのは私の同胞です。私も僅かながら力となりたい」と言った。

昔助けを受けたから
今日は私が助けます

カナダのサーリに住んでいるスリランカから来た夫婦が小切手をさし出した。ご主人はエンジニアをリタイアした人で、熱心な仏教徒である。彼は「慈済は二〇〇四年のインド洋大津波の時にはスリランカの人達にたくさんの援助をして下さいました。去年私達がスリランカに帰った時も、当地の慈済の活動に参加させていただきました。私は證厳上人の考えや精神をとても尊敬しております。そしてそれに賛同し、従っています」と言った。

慈済は南アフリカのズール族に関心を持ち、貧しい人を助け学校を建て、職業訓練などを十年以上も続けている。ズール族のボランティアは、台湾が災害に見舞われたことを知り、自ら先頭に立って地域で募金を始め、裁縫クラスの生徒たちも少しばかりの収入の中からお金を出し合って募金した。

二〇〇六年末、南米ボリビアで大きな水害が発生した。慈済は物資援助や医療援助をし、現地のフランス病院と善き縁を結んだ。二〇〇八年には、同院から六人の医師が台湾に来て国際慈済人医会の年会に参加した。この度ボリビアの慈済人が同院に募金に行くと、院長自ら真先に募金をし、医師や看護師、薬剤師、事務職員、さらに患者やその家族までが我先にと募金をしてくれた。

昨年五月サイクロン・ナルギスで大きな被害を受けたミャンマーの農民達は、台湾の被災状況を聞いて、まるで自分達が災害に遭ったような気持ちになった。風災の後、農民達は慈済の援助で種もみや肥料をもらって災難の中から再起した。今、皆は心を合わせ、募金を集め、菜食をして台湾の被災者達のために祈っている。

タイのテレビ局は台湾の被災の様子を知り、慈済ボランティアにインタビューした。番組の司会者が「さまざまな災難の様子を見ると本当に私達も辛くなります。インド洋大津波に襲われた時、台湾もふくめ世界各国の皆さんが救いの手をさし伸べ、タイを助けてくれた。今、台湾が大変なことになっています。タイの国民も救済のため力を出さなければなりません」と視聴者に呼びかけた。慈済タイ支部の電話番号が募金先としてテロップで流されると、同支部の電話は引っきりなしに鳴り続け、愛の募金が続々寄せられた。

日本ではNHKなどが毎日くり返して台湾の水害を伝えた。八月十八日、ボランティアは東京の街中で募金を呼びかけた。一人のおじいさんは昨年台湾に旅行した時に、とてもよい思い出がたくさんあると言って、募金をしてくれた。代々木公園で慈済が行っている給食サービスで温かい食事をもらったことがあるというホームレスの人も、少しばかりの愛の気持ちを差し出してくれた。

日本在住の慈済ボランティアの林秋里は、昨年はミャンマーの風災救済のために募金をしたが、今年は思いがけなくも台湾のために募金することになり、心が痛むと言う。だが、ボランティア達は心を合わせて街に出て修行をし、さらに多くの人の愛の心を目覚めさせるよう努力していると言った。



八月中頃から台湾全島の慈済の各支部や連絡所では延べ二百五十回を超える祈祷会を開いて、地域の人達と一緒に被災者のために祈った。たくさんの人が愛のこもった貯金箱を差し出した。長期に亙り慈済が救済している曾おじいさん夫婦も貯金箱を差し出し、「私達もできる限りお手伝いをします」と言った。

四川や南アフリカ、スリランカ、ボリビア、どんなに貧しい人達の身の上にも、愛と善は巡り巡っている。

水害の後、見知らぬ者同士が愛の橋をかけ、心と心が繋がった。どんなに僅かな義捐金も、細い川の流れのように愛の海に帰って行く。

人々は皆両手をさし伸べて愛で一つの円を描いている。被災した人達が泥沼の中から立ち上がるよう手を貸し、新しい家、新しい故郷を共に作って行こう。


慈済月刊五一三期より
文・人文真善美ボランティア/訳・張美芳