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04月16日
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ホーム ドキュメンタリー 台風八号・台湾大水害の後 温かくて美味しい三十六万個の愛のお弁当

温かくて美味しい三十六万個の愛のお弁当

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【台湾大水害・給食活動】

洪水、ぬかるみに加えて停電、断水では
何を食べたらよいのか?
台湾大水害発生から半月あまりの間に
慈済は三十六万個以上の温かい弁当を提供した
急難の時にも環境保全の精神を忘れずに
使い捨て食器は使わず、慈済のエコ弁当箱を使った
これらの弁当箱は回収してよく洗い、再利用する
洪水を渡り、ぬかるみを越え、万難を排して
送り届けた温かいお弁当は
お腹を満たすのみならず
心に温かな励ましと祝福を与えた

慈済高雄支部の食堂は人の声でにぎわっていました。机を並べた側には二列に並んだボランティアたちがエコ弁当箱を順序よく次の人に渡していきます。ご飯を盛りつける人、おかずを入れる人。おかずはごちそうではありませんが、被災者の体と心を暖めることができます。

この愛の生産ラインはびっしりとボランティアでうまり、迅速で手際よく、次々と弁当ができあがっていきます。若い人達は食材を運んだり、できた弁当をさらに箱詰めにします。力のない子供たちは、消毒の済んだエコ弁当箱をきれいに拭きます。

こうしてできあがった弁当は迅速に各地区に分配され、被災者に配られるのです。

愛の生産ラインは
夜明けから深夜まで忙しく続く

総量一万六千キログラムの香積飯(シャンジーファン 慈済特製の即席ごはん)が台風が襲った八月八日の夜、すぐに花蓮の静思精舎から南部の被災地に送られ、同時に台北から緊急に九万個のエコ弁当箱も南下しました。

九日の真夜中午前二時、第一陣の支援物資が高雄静思堂に集り、皆はその夜すぐ整理を始め、夜が明けない内にボランティアはすでに忙しく野菜を洗いたり切ったり、熱湯を香積飯に注いで香ばしいご飯に作りあげます。

レストランを開いているボランティアの呂清潭さんは炊事場で皆に仕事を分配して、最も速く美味しいおかずができるようにと指示しています。野菜を炒める鍋からは蒸気がむんむんと上がり、皆は汗だくですが、被災者のことを思うと手を休めることはできません。

まもなく食堂は千人あまりの慈済人と地域のボランティアたちでいっぱいとなり、マスク、手袋をつけて迅速に弁当箱への詰め込みを始めました。

救援を求める電話がひっきりなしに鳴り、地点や必要な弁当の個数などがホワイトボードに書かれていきます。ボランティアの李義輝さんは「メディアやインターネットの報道を通して、慈済が被災者に弁当を準備していることを知り、一日の内に千人あまりの人が手伝いに駆けつけてくれたのは、本当に嬉しくありがたいことです」と言いました。

栄養満点の香積飯
二〇〇〇年の台風二十号以来、災害が起きる度に慈済は被災地で炊き出しや非常食の提供を行ってきました。慈済は被災地で簡単に食べることができる非常食の研究と開発を重ね、ついに乾燥米を開発しました。この度、弁当に使われたのは乾燥米でできた香積飯です。米を洗わずにお湯を注いで三十分おくだけで、栄養満点のご飯ができあがります。水や電気、ガスなどの資源や人力を大幅に節約でき、大量の弁当が迅速にできあがります。

慈済では炊事係りのボランティアは「香積組」と呼ばれています。訓練を受け、美味しい料理を作る専門技術をもった人々です。

長年世界各地で救済活動を行ってきた経験から、災害発生時に対応できる米の非常食を研究、開発しました。お湯さえあればご飯やお粥を作れ、炊事用具はいりません。お湯がなければ、水でも調理することができます。さらに栄養があり味も美味しくするため、とうもろこしやブロッコリー、からし菜を加えたものやカレー味のもの、また、小豆や緑豆入りの玄米ご飯なども開発しました。

食材をよく吟味するだけでなく、食器も環境保全と衛生を兼ね備えたものを使用します。慈済は使い捨ての食器を使いません。たとえ急難時でも必ずエコ食器を使います。ボランティアの陳幼郷さんが、「水災の後、泥とゴミだらけの所に大量の使い捨て食器が加われば、さらにひどい環境状態になります」と言いました。この度、被災地に十五万個のエコ食器を提供しましたが、ボランティアはそれを回収して洗って消毒し、きれいにふいて衛生を保ちます。

洪水を渡ってきた弁当は
温かくて美味しい

弁当を車に積みこみ、慈済南区急難救助隊員の韓玉銅さんは携帯電話で仲間と連絡を取り合いました。これから被災地の屏東県佳冬郷塭豊村まで弁当を届けるのです。ボランティアの鄭豊端さんは、「道がなくとも道を探して必ずや弁当を被災者のもとに届けます」と言いました。まるで滝のような勢いの大雨の中を高雄から屏東まで車を走らせ、橋が通行禁止なので堤防の側道を走り、高雄県と屏東県を結ぶ高屏大橋を過ぎて佳冬に着きました。遠くに黄色い通行禁止の帯が見え、消防車やゴムボート、水上トレーラーなど、支援物資を運んできたさまざまな車輌で道はふさがっています。ボランティアは警察官の案内でやっと塭豊村に入りました。見渡す限り一面の水でまるで大海のよう、水面にいくつかの屋根が見えるだけで、どこが道でどこが魚の養殖場か見分けがつきません。

村の入り口で車を停め、弁当と飲み水を下ろして、ボランティアたちは待っている村民たちに渡しました。待ちかねていた一人のおばあさんはすぐに弁当箱を開けて、「もう二日間、温かいものは何も食べていません。慈済の下さったお弁当は美味しくて本当にありがたい」と言いながら食べました。

海からの強風が吹く中、救難隊員がいかだでボランティアを村の奥に運んでくれ、ボランティアは温かい弁当と援助物資を被災者に渡しました。ある人はトタンの屋根に登って、ある人は家の二階のベランダで待っており、バケツや竹籠を垂れ降ろして弁当や飲み水を受け取りました。「これは菜食の弁当ですよ、お口に合うといいですが」と言って弁当をバケツに入れると、ベランダにいたおばあさんが「ありがとう、ありがとう。感謝します」と喜びました。



食べ終わってからボランティアが弁当箱を回収すると、空の弁当箱の中に感謝の言葉をしたためた紙切れが入っていました。雨が上がった八月九日から二十四日までに三十六万個以上の温かい弁当が届けられ、未来に向かって頑張るよう被災者を励ましました。


文・邱如蓮、蔡恵玲、李麗香、胡青青/訳・李全妃
 

" 【病のために貧しくなる】 貧困はほとんど「病」から起こる。時を移さずに病の予防や治療を施し、助けを受けた人たちが、再び立ち上がって家庭の責任を負うことができるようになれば、その家庭は元気を取り戻す。 "
静思語