慈済日本のサイト

04月19日
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365日 初心を貫いて

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【四川省大地震一周年】

「私の夢を実現するにはあなたが必要です
あなたの慈しみは私に勇気をくれました……」
「みんな同じ家族」という曲が流れてくると
人々はよく知っている歌詞に合わせて手話を始めた
震災後、慈済人はこの曲を携えてやって来て
おそれ悲しむ人々の心を慰めた
「あなたたちは再建の長い道のりですべての苦楽を
私たちと分ちあうと約束してくれました
この曲は慈済の私たちに対する
思いやりのすべてを表しています」
あれから一年になる
今後もこの四川に人々の関心が向けられると信じている

九カ月ぶりに医療用簡易テントが張られた。四百人余りの村人は早くから整然と並べられた椅子に坐り、待ちこがれた友人を今か今かと待っている。

「待ちに待った慈済のお医者さんがとうとうお見えになった」。地震後の数日間、被害者の統計は万単位で増えていた。とくに十大被災地に列せられた綿竹市と什邡市の負傷者は七万人あまりに達していた。

「昨年五月二十日、私はこの上ない沈痛な気持ちで什邡に来ました」。慈済医療団第一陣の団員として参加した葉添浩医師は、当時ただ一途に早く旅装をといて救災活動を行いたいと思うばかりだった。現地の役人と活動内容について話し合い、承認を得た後、二日後に無料診療が開始された。

「一年後、私は再びこの地を訪れましたが、状況は全く変わっていました。とくに村人が故郷再建に尽くしているのを嬉しく思いました」。慈済医療チームは懐かしい什邡市洛水鎮と綿竹市漢旺鎮を再訪し、五日間に亙って無料診療を行った。什邡人民病院のスタッフ三十名と北京市の医療スタッフ八名も参加し、台湾、中国の医療スタッフが手と手を携えて村人の診療を行った。

什邡人民病院骨科の雷周棋医師によると、震災直後、多くの負傷者が骨折し治療を受けたが、今回ちょうど、その時の治療の際に手足の中に埋め込まれた固定器具を取り出す時期だという。「大勢の患者が病院に戻ってくるこの時期に、慈済が訪れ、私たちの仕事を手伝って下さるので大変助かります」と語る。

寒さの中迎えた
心温まる春節(しゅんせつ)

地震発生から五十時間経っても余震が続く中、各地から慈済人が被災地に走せ参じた。成都で商売している台湾人の張文玲は当時、上海にいる息子を訪ねていた。しかし、地震発生のニュースを知ると、すぐに航空券を手配して四川に戻った。

「その時、息子はなぜ戻らなくてはいけないのかとどうしても納得してくれません」。張文玲は子供に説明した。「もし私たちが被災したら、やはり誰かに助けてほしいと望むのではないかしら」。母と子は十分話しあい、そして子供にもよい教育のチャンスとなった。張文玲は子供を説きふせ、寄付金を携えて被災地に到着し、すでに救援活動を展開している慈済人たちと落ち合った。

地震から五日目、慈済は徳陽の三つの県と市に五カ所のサービスセンターを設けて、炊き出しや無料診療などを行ない、仮設テントに避難している被災者や街にたむろする被災者を慰めいたわった。百日あまりの間に二十三回に上る救援活動を行った。

緊急援助の段階は終わり、慈済は什邡の洛水と綿竹の漢旺でサービスセンターを設置して再建を推し進める一方、被災者の心のケアにも当たった。「心に残る陰影は、一年、二年で消えるものではありません。子を失う、親をなくす痛みは、長い時間を経てやっと埋め合わすことができます。慈済は初志と変らぬ態度で人々に付き添って世話を続けます」と慈済基金会の王端正副総執行長がサービスセンターを設立した経緯を説明した。

慈済ボランティアは一カ月ごとに交代でサービスセンターに長期駐在する。十三の学校と中江県光明村の住宅の建設支援を進めるほかに、貧困家庭の世話もする。医療費や学費の補助のほか、老人ホームへの慰問、環境保全活動の推進など、その活動内容は多岐に亙る。

善の種をまこう 
いつか愛が根づくのを期待して

慈済ボランティアが四川に来たばかりの時は、人手不足で活動は難儀を極めた。しかしボランティアは当地の人々と一体になって、滞在中の僅かな時間も惜しみ、真心を込めて奉仕した。
ボランティアの呉慈同は、「私たちは台湾の人々の愛と祝福を携えて四川にやって来ました。この愛と祝福をこの地に留まらせたい。そのためには現地の人々の間にボランティア行動を引きおこすことです。被災地再建は現地住民のボランティアの行動にあずかる所が非常に大きいのです。この地への思い入れが強い彼らは、行動も早く、立派な仕事をなしとげることができます」と言った。

慈済に加わって十年、二十年になる古参ボランティアたちが、遠くて不慣れの土地に来てなすべき最も重要な任務は、自分たちのボランティア経験を現地のボランティアに伝え、奉仕の精神を呼び起こすことである。

成都の現地ボランティア、劉永勛は謙遜して、「自分は子供のようで何も分かりません。この度経験豊かなボランティアの皆様から多くのことを学び、目ざましい進歩を得ました」と言った。
地震後、劉永勛は被災地に踏み込んで、慈済の救援行動を目のあたりにした。最初は見学するつもりで、慈済の炊き出しの現場に行ったが、その徹底した仕事ぶりに身も心も引きつけられて、その場で自分も加わった。できあがった食事を、慈済ボランティアが被災者に捧げるような態度で渡しているのを見て、さらに感動した。

劉永勛が関心を寄せているある一人住まいのおじいさんがいる。普段から訪ねてお話をしようとしたり、掃除を手伝おうとするが、おじいさんはなかなか警戒心をといてくれず、劉永勛は途方にくれていた。「邱玉芬さんのおかげでとうとうおじいさんの警戒心をとくことができました」と語る。

上海に住む慈済ボランティアの邱玉芬は、おじいさんの寝床が何本かの木切れで組合わせただけの粗末なものであるのを見て、寝心地が悪かろうと、弾力性のあるマットに変えてあげた。そしておじいさんが風呂に入らないのを見て、男性のボランティアにお願いして散髪に連れてゆき、風呂に入れてあげた。この事があってから、おじいさんはボランティアに対する態度をだんだん変えた。

現地ボランティアは、邱玉芬の細やかな思いやりに満ちた奉仕を見て、相手を身内と見なして世話をすることで、初めてその心に入り込めるものだと体得した。

新住宅区で
リサイクルの風潮をひき起す

茶の売買に従事し、人々に菜食を勧めている熊啓明は、慈済ボランティアに加わった後、一層積極的に菜食と環境保全の実行を呼びかけている。自分の家族から実行してこそ他人に影響を及ぼすことができると考え、菜食の重要さを両親に説き、両親も菜食に変わり、環境保全活動に加わった。

熊啓明の父は、もともとリサイクルに興味があり、ことにリサイクル材料で作ったピンポン台は人々を驚かせている。父は数十年の昔、故郷を離れて都会に出てきた当時を回想して、あの頃道々青々とした光景が今は禿山と化してしまった、と嘆いている。「息子からリサイクルのことをきいた私はいの一番に賛成しました」。今、家の屋上は資源回収拠点となっている。

震災後三カ月を経て、住民はテント住宅に別れを告げて仮設住宅に移った。慈済人から入居祝いとして米、油、鍋、茶碗など三十一品目の日用品が贈られた。慈済人は住宅区を訪れて、人々を祝福した。

尤碧玉はその時、あるボランティアから配布された毛布はペットボトルで作られたと聞いて、心を動かされたのだった。尤碧玉は住宅地区の限られたスペースに空き地を見つけて、隣近所に呼びかけてリサイクル活動を始めた。「最初の間はきまり悪い思いがしましたが、心の中でしきりにこれは善行であると自分を励ましました」。

半年後、大きな成果が実った。尤碧玉らが集めた回収物を載せた車が一台また一台と、慈済のサービスセンターに運びこまれたのである。また、きちんと荷造りしたペットボトルをセンターの回収場に届ける町の人の姿も見えた。リサイクルの観念が尤碧玉の住居からだんだんと広がって行った。

「当初、この地でリサイクル活動を推し広めるのは容易なことではないと思っていました。でも證厳法師さまがおっしゃっています。『決して自分の信念を軽んじてはなりません』と」と、慈済ボランティアの周明雪は言う。

地震発生から三百六十五日が経った五月十二日、慈済人は洛水と漢旺二カ所のサービスセンターで、千人を超す現地住民と共に、犠牲になった方々に黙祷を捧げ、四川に幸福が訪れることを祈った。慈済の歌「みんな同じ家族」が静かに会場に流れ出した。前奏を耳にした人々は歌に合わせて手話を始めた。

一年この方、慈済人はこの曲を携えてこの地にやって来たその日から、この歌で住民の苦渋に満ちた心を開き、そして困難な道のりに付き添うことを誓った。

住民の劉維玲は、「この曲は私たちに対して慈済がしてくれたことのすべてを表しています。震災から一年が経ちましたが、明日もまたこの四川で皆様の姿が見られることを信じて疑いません」と語った。

この未曾有の大災害も、時が経つにつれていつか忘れられてしまうだろう。しかし、この災害がきっかけとなってもたらされた多くの愛は消えることなく、一代また一代と永遠に受けつがれてゆくことだろう。


慈済月刊五一〇期より
文・凃心怡/訳・王得和/撮影・蕭耀華
 

" 【生命を守ること、害すること】 飢える人に腹いっぱい食べさせ、凍える人を暖め、病人に診療を施し、身の周りの人道的な行為を見たり聞いたりしては互いに励まし合い啓発し合う、というのが「生命を守る」正しい方法である。盲目的に生き物を捕らえてから放ち逃す「放生」は本末転倒であり、かえって生命に害を加えることになる。 "
静思語