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04月19日
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慈済の学校で中国語を学ぶ

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【タイ・チェンマイ慈済学校】
タイの北部チェンマイ・ファーンにある慈済小中学校で、中国語を学ぶのがブームになっている。学童の三割が華僑の子弟、残りの七割はタイ人が占めるこの学校は、生徒によい品行とまじめな学習態度を求めるほかに、人と接する礼儀作法をも教えている。華人とタイ人が共同にもつ、節度をわきまえて礼儀正しくふるまう伝統の美徳が一層普及するのを期待している。

タイ人が中国語を勉強する理由
近年、経済と貿易がますます盛んになるタイに、大勢の華人が投資や工場建設のために移住してきたので、中国語が通じる人材の需要がとみに増えた。チェンマイの慈済小学校はそれに対応して、台湾から専門の教師を招き、一週間に五時間の中国語の授業を組んだ。生徒に標準的な中国語を習わせるためである。

荘貽麟校長は「どの国の言葉でも、繰り返し習わないと上達しないし、忘れて一言も話せないようになってしまう」と言う。また「一日も早く先生と生徒の宿舎が完成すれば、放課後も中国語の勉強と指導ができる」と期待を込めて話す。

七割に及ぶタイ人の生徒は、第二の言語として中国語を学んで、将来、競争力を身につけることを目標にしている。残り三割の華人小学生は、中華文化のよい伝統を伝えるよう期待されている。

中国語を習わせるために、多くの子供が留年になったり実際の学年より低学年に編入されても、慈済小学校に転校する。教室の中では、歳の大きな生徒が混ざっていたり、二、三歳離れた兄弟姉妹が同じクラスで勉強しているのが見受けられる。

十五歳の張綺悦は優等生で、彼女の中国語の発音は標準に近い。中国語教師の馮令愛先生は「彼女には特別の教材を準備して、母国語として教えている」と張さんの才能に一目置いて誉めている。しかし張さんは、すべては母の苦労のおかげと言う。張さんの母は台湾人で、小さい時から商売をしている父母とタイの北部へきた。そしてここで育ち結婚して子供を産んだ。
「私たちは台湾からたくさんの書籍とビデオテープを買ってきて、娘に中国語を習わせ、歴史も勉強させた。外国に住んでいても、台湾という『根』は守らなければならない」と張さんの母は言った。

二年前、張綺悦は中学に進学する予定だっだが、両親の意思で慈済小学校の五年生からやり直した。始め彼女は反撥した。「私は成績がよいのになぜ留年するの?」と。しかしその後だんだんと彼女は適応するようになった。「学校は中国語の授業を重んじている。以前習ったのが実用できる」。さらに先生たちの活発で面白い教え方が加わって「留年したがかえってたくさんのことを学んだ」と彼女は満足げである。

人文精神は生涯の学問
チェンマイ慈済小学校のタイ人の教師はまず台湾へ行って半年間の訓練を受ける。「中国語だけではなく、人文精神をも学ぶのです」と語る教師のディジンは、元々中国語の基礎があるので、中国語の課目は問題ではないが、人文精神と日常生活の礼儀作法の習得には大変苦労した。

台湾で出会った最初の難題は食事であった。タイの人は箸を使う習慣がないので、彼女は二本の箸でおかずをはさみ取るのが苦手だった。無理しておかずを取っても、口まで持っていく前に落とすのが常で、スムーズに食事を終えるのはなかなか難しかった。まして食事の作法を習うのは到底かなわなかった。「幸いに慈済ボランティアが側で励ましてくれたので元気づけられた」とディジン先生は言いながら顔をほころばせた。

以前、別の学校で教師をしていたときは、できの悪い生徒を叩いたり叱ったり、見下げたりしたものだった。「慈済小学校の教師たちが、処罰にかわって誉めることで、子供の教育に成果をあげているのを見て、私は人文と道徳の教育がいかに貴いものであるかをしみじみ感じた。これは生涯を通して習うべき学問である」と言った。

タイの北部は経済の発展がほかよりも遅れているので、ある生徒は引け目を感じて、比較したり愚痴をこぼしたりする。正しい価値観を子供に教えるために、学校は毎学期に老人ホームへ行ってお年寄りの世話をしたり、長期的に慈済が面倒を見ている家庭に行って掃除の手伝いをするなどのボランティア活動を企画して参加させている。

何回かボランティア活動に参加したあと子供たちは、父母の見守る中で衣食に欠かない生活ができることは実に幸せだとつくづく感じることができるようになった。ディジン先生は言う。「苦しんでいる人を見て、自分がいかに幸せかがわかる。言って聞かせるより実際の状況を見せるのが効果的」と。

校内を走ったりじゃれたりしている生徒は、目上の人を見ると足を止めてお辞儀をする。授業が始まる前、先生の事務室に行って授業に使う用具を教室に運ぶ。試験が終ったら試験用紙を集めて、先生の事務室に届けるなどのお手伝いをする。

規律と情操教育を重んじる慈済小学校に、大勢の親達はわれ先にと子供を入学させたがる。学年ごとに転学の試験はあるが、各学級とも通常は二名しか受け入れられない。今年の新学年は、親の転勤と学年を飛び越した生徒がいたので、二年生に十二名の転学員数があった。それでも転学希望がかなえられない子供が大勢いた。

今年三十六名の卒業生のうち三十三名は慈済中学校に進学した。三月十五日の小学校卒業式の当日、子供たちは謝恩会を開いた。卒業生のウィラワンは先生の前にひざまづき、「もしもこんな立派な先生に会わなかったら、私の今日の成功はありませんでした」と涙ぐんで礼を述べた。彼女が慈済小学校に転学した当初はちんぷんかんぷんだった中国語が、三年学んだ今は漢字の読み書きだけでなく、コンピューターでの文字入力さえもできるようになった。

苦労を厭わない親心
各クラスを見て回ると、多くの生徒が小さな体に似合わず、ダブダブな服を着ている。家庭が裕福でないので、大きめの服を買って少しでも長く着られるようにとの考えからである。

学期が始まると先生たちは生徒の家庭状況を知るために家庭訪問をする。全校の二百七十三名の生徒のうち三十七家庭の子供が学費を分割払いで納めている。

「友達が私に言った。台湾の慈済会は社会のために良いことをしている。この貧しい所にも学校を建てた」。タイ人のクンインは感動して言った。彼は市場でスナックを売っているが、家を買ったローンを背負っているので生計はぎりぎりだ。しかし息子を慈済小学校に入学させている。自分自身はボランティアと一緒に、慈済会が世話をしている貧困家庭に行って掃除や家の建て増しを手伝っている。息子の手本となって、息子も大きくなったら善良な人間となり、進んで人を助けるようになってほしいと願っている。 

中国雲南籍の楊さんは慈済小学校が新入生を受け入れていると聞いて、夫と三時間かけて車で下山し、学校の環境を見て回り大変気に入った。彼女は「教室のデザインは新しいし、先生と職員の方々はとても親切である。また中国語と礼儀作法を教学の重点にしている。他の学校とは大分違う」と感心して言う。

子供に良い学習環境のもとで勉強させようと、楊さん一家は山の上から平地に引越しした。これまでは学年の始まる前に三人の子供の学費の調達に頭を悩ましたが、「今回は学校の取り計らいで学費は分割して納めることができるようになった」と安堵している。先生たちは彼女が学費のために悩んでいるのを気にかけ、いつも話しかけて慰めた。

校長の思いやり、必要なところへ
ある人が言った。タイの人は貧しさをあまり気にしないが、気楽に暮らしたがる人が多い。タイの穏やかな言葉と同じように、人々はテンポのゆっくりとした生活になじんでいる。何ごとものんびりした態度で対応するのだ。

「この学校の先生は動作がすばやく仕事の効率が非常に高い。他の学校に比べてずば抜けている」と多くの訪問者は慈済小学校の印象をしみじみと語る。これは学校がたえず教職員たちに求めた結果である。以前、授業開始のベルが鳴ると、台湾人の先生たちは既に教壇に立っているが、タイ人の先生はその時やっと事務室を出てゆったりと教室に向かう。しかし今は、のんびりした性格はそのままだが、ベルが鳴る少し前を見計らって教室へ行くようになった。

慈済タイ支部の教育志業発展委員会の主任委員である陳朝海は言った。学校は過去に三度、教員を募集したことがある。毎回の応募者は六十名を超えるが、最後まで残って面接を受けるのは十数名に過ぎない。学校の場所が辺鄙であるのに加えて、宿舎がまだ完成していないので、多くの教師の気が進まないのである。

ディジン先生の家は学校から車で二十時間の道のりなので、学校の近くに家を借りている。他のタイ人の先生もほとんどが、故郷を後にして、この地で教師を勤めている。

荘貽麟校長はかつてバンコクの名だたる大学の中国文学学科の主任教授だった。すでに持っている名望と安定した生活を顧みず、辺鄙なタイの北部に来て子供たちの教育に尽くしている。「バンコクは教員の資格をもつ人が多いから、私がそこにいる必要性はない。他の人が来たがらないこここそが、やりがいがあるところ」と彼女は堅い信念を語った。

タイの慈済人は慈済小学校の先生方を皆大事にしている。先生方一人一人の生活に関心をもつだけでなく、学年はじめの二週間に亘る学習環境と内容を認識する授業にも教師の手助けをする。タイ人の教師が台湾で特訓を受けている間、台湾の慈済人は朝夕つきっきりで一日も早く異なる生活習慣、言葉と文化に適応できるように世話をする。

ボランティアの見守る中、さらに教師たちの熱心な授業のおかげで、生徒は国の学力テストで抜群の成績を上げた。ことさら英語の朗読、中国語の作文などは際立っていた。

十六歳の李茹鳳は学費を分割払いして小学校を卒業した。経済的に豊かでない家庭だが、彼女の父は「どんな困難があっても娘を慈済小学校で勉強させる。華人であるので中国語は上手にならないといけない」と言った。

卒業式で彼女は選ばれて中国語で卒業の感想を述べた。流暢な中国語で、将来は中国語の教師になってチェンマイの慈済学校で中国語を教えるという夢を語った。「中国語だけでなく道徳も教える。先生方が私たちに教えて下さったことを受け継いで次の世代に伝える」。

タイの言葉で卒業の感想を発表した地元のタイ人、チョナティは、三兄弟とも慈済小学校に入学している。彼は勉強が好きで、人を助けるよい性質をもっているので、大変可愛がられている。

校庭に植えられている小さい木は、開校前に附近の住民が家から鍬やシャベルを持ってきて、土を掘り起こし植え付けたものである。それから三年、まだ木陰で涼めるほどに成長していないが、無数の愛がここで芽生えたことを証明している。

図書館にある豊富な中国語の書籍は、台湾の慈済人が寄付したものだ。校舎を建設するお金も、慈済ボランティアがタイと台湾で行ったチャリティバザーで募ったお金で賄った。キャンパス内の、子供が走り回っている歩道と芝生、教室の机と椅子、すべてが開校前に、バンコクの慈済人が十五時間の汽車に乗ってきて、植え付けや取り付けの奉仕をした。

あるバンコクの慈済ボランティアは笑みを浮かべて「教育は百年の計である。チェンマイの慈済学校は成立して僅か三年だが、すでにこのような成績があるのは素晴らしい。子供たちの将来を私たちはとても期待している」と言った。


文・凃心怡/訳・金華/撮影・林炎煌
 

" 智慧を用いて精神力を集中し、時間をダイヤモンドのように大事にして勤しむことができるなら、この世に完成できない事はない。もし時間を土くれと見なして無駄にし、怠けてばかりいたら何ひとつ成就せず、社会に迷惑をかけることになる。 "
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