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04月20日
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ホーム 證厳上人 證厳上人の説法 勤勉倹約は最も富裕 福を大切にすることは徳を修めること

勤勉倹約は最も富裕 福を大切にすることは徳を修めること

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證厳上人のお諭し
大地の資源には限りがあり
福を子孫に残すべきである  
勤勉にして
福を大切にすることは美徳
物を無駄にすれば徳を失う
勤勉で倹約
僅かな資源も惜しむ人は
最も富裕で美徳を備えた人

最近私は三カ月の間に台湾の北部、中部、南部のリサイクルセンターで「環境保全ボランティアに感謝の旅」を開催して廻りました。十一月十八日に最後の会が終わりました。こんなに廻っても台湾全島に四千五百カ所以上あるリサイクルセンターのうち、百四十三カ所を廻っただけでした。

けれども、どのリサイクルセンターでもボランティアのお年寄りが高齢にも拘らず、一生懸命使命達成のために尽くしています。この人たちは本当に得難い真の人間菩薩です。どの環境保全菩薩(環境保全のボランティア)にも私は形容し難い感動を覚え、私を教導し啓示を与えてくれている人たちに、私はとうてい及ばないと思いました。



環境保全のリサイクルセンターは福と智慧を修める道場で、この中に貴い人間(じんかん)大蔵経を見ることができます。台中に八十歳近い母親が住んでいます。息子が十九歳の時に心身症を患い、四十六歳になった今も老いた母親がつきっきりで世話をしてきました。少しでも目を離すと、息子は家を出て彷徨し、数日後全身泥にまみれて帰ってきます。息子がいなくなった時、公園で夜明けまでひたすら待ち続けたこともありました。三十年の間に三軒の家を売り、息子の病を治したいとの一心で受けてきた苦しみは言い尽くせません。

それが、二年前に助っ人が現れました。カナダから帰ってきた慈済ボランティアがリサイクルセンターへ親子を誘い、環境保全ボランティアに加わりました。息子は回収物の分類に熱中していると心が落ち着き、病状が安定しました。

環境保全感謝の会の席上で母と子は壇上に上がりました。息子が母親に向かって今まで世話をしてくれた感謝を言うと、母親は感動で胸をつまらせ、「もっと早く環境保全道場のあることが分かっていたら、こんなに長い間苦しなかったでしょう」と言いました。

菩薩はいろいろな形でこの世に顕れ、お教えになります。この偉大な母親は正に具現のお教えを受けました。「捨てようとしてもなかなか放下できず、手に入れたいと熱望しても容易に得られない」とあるように、息子の病が治る気配はありませんが、おくればせの善縁がついに親子の心霊の苦を解き放ちました。

彰化に住む環境保全ボランティアの洪林月霞さんは五種類ものガンを患い、幾度にも渡る手術、それに化学療法と電気療法を受けた結果、体が不自由になっただけでなく、尿袋がいつも手放せなくなりました。こんな苦しみは想像に余りあります。

しかし洪さんは毎日リサイクルセンターに出て、無心で仕事をして時間内に終わらない物は家へ持ち帰って整理します。

彼女は「環境保全の道場は私の心身の安住の場所であり、ここに来られることは感謝に堪えません。毎日社会の利益になる良能を発揮できるのですから、どんなに苦しくても治療をあきらめません」と言います。

こんなに多くの苦しみ、困難があるにもかかわらず耐え忍んで尽くす力は、最後の一滴まで燃え尽きようとする油灯の灯のようです。

この人たちから仏陀の言われた苦諦――親情の苦、家庭の苦、苦痛の苦、そして「集」の道理を体験することができます。

善縁と悪縁が「集」まって生じる苦をどのように「滅」すべきか、この人たちはリサイクルセンターを道場として、真面目に福を修め身体の苦難から解脱しているだけでなく、智慧を使って家庭の煩悩を解いています。

すべては心のもちよう
順調も逆風も一念の差
心を転ずれば
人生もまた転じられる


慈済の環境保全教育はまた人生教育、社会教育でもあります。多くの人が環境保全に携わるようになって、過去の偏った生き方を正しています。

あるボランティアは以前の自分はありとあらゆる悪習に染まっていたと言いました。酒、色ごと、煙草、賭けごと、ビンロウに明け暮れ、酒に酔って家へ帰ると妻を怒鳴りつけ暴力をふるうなど、家庭と社会に対し無責任な人間であったと言いました。

苗栗のあるボランティアは回収した四色牌(台湾特有のトランプ。花札に似ている)を使って、芸術品のような椅子を作りました。賭けごとによく使われていた道具は、心霊を汚し家庭と社会の危機となっていたのを一転して、芸術品のような優雅な椅子に生まれ変わりました。

それ故諸々のことは心が作りだすもので、人生のすべては一念の差にあり、順調逆風もまた一念の差にあります。

環境保全は「心」から始めなくてはなりません。大地を浄化する前に自分の心を清めるのです。心を転じて悪い習慣を改め、生活もそれにしたがって家庭の雰囲気を改善していくのです。

あるリタイアした人は人生の目標を失い、精神的に落ち込んで体力もだんだん衰えていく一方でした。人々には無限の潜在能力があります。この人は心機一転、リタイア後の人生を善用して環境保全の列に身を投じ、第二の人生を切り開くことができました。よいことを話し、正しいことを心に思い、心霊を洗い清めて人生の価値を見い出しました。これこそが生命の智慧です。

人心の変異は
気候の変遷をもたらす
知るべきは
覚悟と懺悔
享受を追求して
悪業を作ってはならない


仏教の「六道」の中、「天人」の果報はもっとも羨まれるものです。その実、人類が生活している所が「天人」さながらです。宇宙の中では地球が唯一生物の存在している星で、人類はその地球上で生活をしています。ここには貴重な資源が豊富にあり、風雨が順調であれば大地は四季を通じて五穀豊穣、万物は生育します。

しかしながら近頃は、地水火風の四大不調が世界各地で災難を頻繁に発生させています。気候の不調は人心の不調によるもので、覚悟して懺悔心を起こさなければなりません。もしも、これ以上、心や生活態度を調整せず、欲しいままに消耗すれば、地球はどんな多くの資源があっても涸れ果て、人類が生存する美しいこの星は崩壊します。

かつては人と大地と気候は融合していました。大根など冬野菜を見ると冬がきたと感じたものです。しかし、現代の才智に長けた人類は技術を駆使して植物を四季の区別なく育て、一年中同じ野菜を食べることができます。

この何十年来、大地はゆっくり変わっています。本当に大地が変わっているのでしょうか? または気候が? いいえ、変わったのは人々の心なのです。

仏陀は「すべては心一つ」と言われました。人の心を転ずれば、天地も転ずることができるということです。人心がかりに天理に順じていれば、天地は順調で、反対に天に逆行すれば、多くの災難が発生します。

毎日、天、地、人、物に敬いの心を持っているか? 天理、大自然、人の道理に対して敬い順じているかと自分の心に問いかけるのです。

人生では天理、道徳に順応してこそ真の「理帰源頭」になるのです。真の「理帰源頭」とは心霊が清浄であること。心霊が清浄であれば大地は清浄となり、浄土はこの世にあります。心を源に戻すことを人々に期待します。時々刻々心を調節して、本性を清浄な源に戻す、これが仏性を具現することです。

元の状態に戻すには教育が必要です。もしも指導を受けようとせず、心は畏れなし、「ただ自分だけよければよい」と、道理に逆らい、人倫道徳からかけ離れていたら、人生は千里を失うことになります。

欲望は資源を消耗する
勤勉倹約には福がある
子孫に福を残すことは
徳を修めること


仏陀は二千年前、未来の世界は「五濁悪世(ごじょくあくせ)」であると予言されました。「濁」とは不潔なこと、また汚染です。現在環境保全で提唱している「CO2削減」のCO2、すなわち二酸化炭素は「濁」のようなものです。

この汚濁は衆生共同の業から生じます。人類は経済発展を追求するために、たえず石油を精錬し、鉱山を採掘し、樹木を伐採しています。日常物資のほとんどが、これらから製造され、大地に損害を与える主な原因となっています。 

大地の資源流失は千年、万年経っても補うことはできません。もしも今私たちが全ての資源がなくなるまで山を掘り石油を使い果たしたら、後の子孫の暮らしはどうなるでしょう。

この世が四大調和となるように、大地が平安であるように、過度の開発をしてはなりません。子孫によい未来があるよう、少欲知足にして大地の資源を大切にすべきです。

以前の人は早起きで、まず台所のかまどに火をくべて朝食の準備をしました。今では家で朝食を作る人は少なく、パンや豆乳、油条(ヨウティヤオ。中国式の細長い揚げパン)などを買います。豆乳、飲料水、牛乳、ジュースなどの容器は飲み終わるとすぐにゴミとして捨てられます。

ペットボトルやアルミ缶、プラスチックのほとんどは現代人の生活必需品となっています。しかし必ずしも必要な物でしょうか? 本当に使わなくてはならないのでしょうか? その実これらは不必要なものです。

かりに昔の生活に戻ろうとするなら、人々はなるべく家で食事をとり、外食には食器を携帯すれば、健康的で衛生的でゴミは少なくなります。僅かな資源も大切にすれば福は増します。

皆が資源の消耗を抑えることを希望します。その上資源を回収して徹底的に分類し再生すれば、鉱山の採掘も石油の抽出も必要なく汚染は減少します。もしどうしても開発する必要がある時は、感謝の心で慎重に行い、そして僅かな量も惜しんで大切にすることです。

資源を珍重し
徹底的に回収
大地をいとおしみ
本性をいとおしむ
草の根の菩提もまたいとおしむ


いつもリサイクルセンターへ行く時、二つの忍びない思いがありました。あるリサイクルセンターでは、回収してきた多くのゴミの中に、まだ手をつけていない弁当や飲みものなどがありました。何と勿体ないことでしょうか。それを八十歳、九十歳のお年寄りが、雑然とした回収物の中でもくもくと手を動かしていることも、見るに忍びないことです。これら老菩薩に、私の心は敬愛と感動でいっぱいです。

諺に「一粒の米は二十四粒の汗からなる」という言葉があります。一滴の油、一本の野菜になるには長い時間がかかり、多くの人の労力を経ているので、もしもむやみに浪費すれば徳と福を損じてしまいます。それで私が皆に呼びかけたのは、大地をいとおしみ、環境保全に尽くす菩薩(ボランティア)を敬愛し、さらに自分の本性をいとおしむことです。

人々は純真で善良です。勤勉、倹約を心がけ、福を子孫に残すことは徳を修めることです。多くの人は菩薩に福を賜るよう祈願しますが、本当は福を大切にすることに福があるのです。自分が福を大事にしなければ、どうして福を求められるでしょうか。

皆さんが醤油や食用油、牛乳など最後の一滴まで使い切って、容器をきれいに洗ってから回収に出すよう呼びかけてほしいと思います。皆が福を大切にし、その福が集まって大きな福になれば天下に災難はなくなります。



小さな体の病であれば医者が治してくれますが、大きな宇宙の不調和はどうすればよいのでしょうか?

専門家は気候不調和の原因は、人類が過度に開発した結果、大量の汚染をもたらしたためと指摘しています。地球の病気の原因はすでに診断されましたが、誰が手を差し伸べて治療にあたるのでしょうか? それは環境保全ボランティアです。

台湾では善意と愛を持つ多くの人が志願して環境保全に両手を差し出しています。台湾に六万七千人以上いる環境保全ボランティアがこの大宇宙を護っているとはいうものの、しかしこの僅かな人数では不可能で、全世界が共同でやらねばなりません。

「道」は人を歩かせます。歩かなければいつまで経ってもそこへは辿り着きません。考えていても、実行しなければ何にもなりません。人々が共に環境保全の道を歩いていくことを願っています。そうすれば地球は救われます。

人々の心の中には一反の良田(りょうでん)があります。自ら心身を浄化し、一歩進んで大地を浄化して、心霊の福田(ふくでん)に日々収穫が得られることを希望しています。


慈済月刊五二八期より
訳・慈願/絵・高配
 

" 【平凡の中の精進】 平凡な人生において己の行為を慎み、自らを反省し、好ましい態度を日常生活に表すのが精進である。 "
静思語