慈済日本のサイト

04月20日
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医療事業

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慈済は、誰もが医療の恩恵を受けられるように医療の普遍化を目指しています。證厳上人が慈済を設立した大きな理由は、医療設備のない辺鄙な地域に住んでいたり、治療費が払えないために、命の危険に晒されている人々を救いたい、という願いにありました。当時、台湾の東部には十分な設備のある総合病院がありませんでした。人口も少なく、また遠隔地であるために、病院設立に投資する者がなかったのです。

そこで慈済はまず花蓮市で施療を始め、数々の困難を乗り越えて1986年には同市に慈済病院を設立しました。このとき、慈済病院が掲げた「保証金制度の免除」(当時、台湾では治療を受ける際に保証金を納める必要があった)という姿勢に触発され、政府の衛生署(厚生労働省に当る)は全国の病院に同制度を撤廃するよう通達しました。こうして、お金がない人にも医療を受ける道が拓かれたのです。

この花蓮の慈済病院を始めとして、花蓮県の玉里と台東県の関山に分院を、台湾中南部の嘉義に慈済大林病院、台北市郊外に慈済台北病院を設立したほか、2007年1月に慈済台中病院の開院を迎えました。

各病院は最新の医療設備を備え、医師や看護師も慈済精神をもって治療に専念し、慈済ボランティアも真心を込めて患者の皆さんのお世話をしています。肉体だけではなく、心もケアしてこそ、人を助けられると信じているからです。「病人の目に映る医師は生き仏であり、看護師は白衣の天使であり観音さまです。したがって病院は、大菩薩が修行される道場といえましょう」と上人はおっしゃいます。

慈済病院では末期患者とその家族の心のケアのために緩和ケア病棟「心蓮病棟」を設けています。死を受け入れた患者と家族たちが、心安らかにその時を迎えられるように、さまざまな精神的サポートを行っています。たとえばミニコンサートやお茶会などを催して、家族と和やかな時を過ごせるように配慮しています。

また、一般の外来病棟でも診察を待つ患者の皆さんの気分を和やかにしたいと、ボランティアがロビーでピアノや胡弓の演奏をしたり、患者さんを案内するなどのお手伝いをしています。

険しい山岳地帯が多い台湾には、医師が常駐していない村が数多くあります。そこで、慈済は診察に行くのが困難な遠隔地に住む住民のためには、定期的に往診を行っています。簡易な医療設備を備えた専用車で訪問し、診療と投薬を施します。

證厳上人は病気が貧しさの原因であるという考えから、病人の救済を始めました。慈済では会設立当初に花蓮市で定期的に施療サービスのブースを出し、地元民への無料診察を開始しました。以来、慈済にとって医療福祉は最も重要な事業です。さらに、医療専門ボランティアグループである国際慈済人医会(TIMA)を設立しました。人医会は医師、看護師、医療アシスタントのメンバーから成る医療専門集団で、さまざまな国から人種、宗教の違いを超えて参加しています。医療専門スタッフのほかに慈済ボランティアも加わり、より良い医療サービスを提供するために、遠隔地や離島へ定期的に診療奉仕に出かけています。その時に、生活援助が必要な人や行動が不自由な人がいれば、引き続き診療を必要とするリストに載せ、次から往診を行います。都市ではホームレスや老人ホームへの医療奉仕を行っています。

「慈済人医会」は台湾で基盤を固めてから世界にも目を向けました。国際災害援助の体験をきっかけにして、医療奉仕を海外まで広げています。米国、フィリピン、マレーシア、インドネシア、シンガポールで9カ所の施療センターと3カ所の診療センター、3カ所の貧困者透析センターを開設し、社会的弱者の方々のために奉仕しています。慈済人医会に参加したボランティアの数は全世界で延べ8600人を超えました。海外では人医会の拠点が11カ国58カ所あり、系統だった組織として医療奉仕網を形作っています。2008年に四川省大地震とサイクロン・ナルギス、2010年にハイチ大地震が発生した際には、すぐに被災地に駆けつけ、医療奉仕に尽力しました。「大愛に国境はない」という慈済精神を実現しているのです。
 

" 【生命を守ること、害すること】 飢える人に腹いっぱい食べさせ、凍える人を暖め、病人に診療を施し、身の周りの人道的な行為を見たり聞いたりしては互いに励まし合い啓発し合う、というのが「生命を守る」正しい方法である。盲目的に生き物を捕らえてから放ち逃す「放生」は本末転倒であり、かえって生命に害を加えることになる。 "
静思語