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04月20日
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ホーム ドキュメンタリー 東日本大地震援助活動 2011年7月16日 岩手県上閉伊郡大槌町

2011年7月16日 岩手県上閉伊郡大槌町

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地震見舞金配布開始
朝7時、配布会場の大槌小学校にはすでにたくさんの人が列を作っていた。その様子をみたボランティア達は会場の最終セッティングを急ぎ、9時開始予定だった配布を7時45分に早めた。配布開始にあたり陳金撥が皆様への慰問の言葉と今回の配布活動が行えることへの感謝の気持ちを伝えた。それに答えこの被災で亡くなられた大槌町長に代わり町長代理を執行されている平野様が大槌町民を代表して感謝を述べられた。

見舞金配布が順調に始まって暫くして、ひとりのおばあちゃんが会場の入り口で困った様子で立たれていた。事情を聞いて見ると、自分は5万円の支給条件のはずだが,頂いた金額が3万円だったとの事だった。そのおばあちゃん言葉を借りれば、仏様の縁で感謝を込めて頂いたのに金額の些少をいうなど心苦しいと思っていらした。とはいえ決して楽とは言えないこの状況でどうしたものかと逡巡していたのでした。話を聞いた慈済ボランティアは自分達の落ち度にもかかわらずそれにクレームを言うどころか恐縮しているおばあちゃんにこころからのお詫びをするとともに金額の訂正をおこなった。人の落ち度をあげつらう事無く、私達に自らの間違いを正す機会を頂いたことに感謝いたします。

また、一人のお子さんをつれたお母さんがいました。今回の慈済の支援に感謝をされ、暖かい言葉を頂きました。そのお子さんは震災前この会場となっている大槌小学校に通っていたのでした。校舎の中にはそこかしこに元気な子供達が遊び、学んでいたであろう痕跡がのこっていました。水泳大会の賞状、風の子学級と書かれたプレート、給食の服装と書かれたかわいいイラスト、その光景が無残にも砕け散った窓ガラスの中に見えました。今は隣町の小学校に通っていると言っていたその子もやはり心の傷を負っていたのかもしれません。この子達が一日も早くまた元気な姿を見られるように私たち慈済もその努力を続けていかなくてはならないと思いました。

また別のおばあちゃんが息子さんの委任状と身分証を手にボランティアに相談にきました。おばあちゃんの話によると息子さんの罹災証明を紛失し、そのコピーも用意出来なかったとの事だった。それでも東京に出稼ぎに出ている息子に変わり何とかできないかと3時間以上かけて盛岡からやってきたとのことだった。対応したボランティアは大槌町の役場の方と相談したが役場が休みに入っている今は罹災証明書の即時発行はできないとのことだった。それでもボランティアも役場の方も何とか支給を受けて頂きたいと思い被災者名簿等の確認など出来る限りの手を尽くして対応し、おばあちゃんに支給を受けていただく事ができた。私たち慈済には常に柔軟な対応が求められています。常にひとを思い、人の痛みを解かり常に最善の行いをする必要があります。そのためにも常に智恵を蓄え、智恵を使わなくてはなりません。

もうひとりおばあちゃんを紹介します。この震災で4人のお子さんを無くし,一人残ったお孫さんを育てているとの事でした。眠ってしまったお孫さんを手続きの間、ひとりの師姐が抱いていてあげました。私たち慈済ボランティアはこの縁をいただき奉仕をさせて頂く大槌町の人たちに感謝を込めて御礼をします。それに対し大槌町の方もさらに深く感謝を表されます。人の痛みを解かり、人のためにまごころをつくす、私たち慈済ボランティアはこれからもさらにその努力を続けなければならないと感じました。

文・池田浩一
 

" 日常生活において身をもって模範を示すことはもっとも大事なことである。まず己の身、口、意を浄化してこそ人を感化することができ、「我が身を修め、他人を尊敬する」ことができる。 "
静思語