慈済日本のサイト

07月17日
  • Increase font size
  • Default font size
  • Decrease font size
ホーム 美しき台湾 歯ざわりしゃきしゃき グアバ

歯ざわりしゃきしゃき グアバ

Eメール 印刷
グアバ(番石榴(ばんざくろ)ともいう)は台湾では一般に芭楽(バッラ)と呼ばれている。南洋から伝わってきたこの果物は、野性的な力強さを感じさせる一方、生命力溢れる種子をたくさん持つ。

かつては野原に自生し、小鳥しか食べなかったのが、今では改良されて数倍にも大きくなって、栄養も増えた。しかも手ごろな値段で買えるので、庶民に大変喜ばれる果物となった。

グアバ(番石榴)を芭楽と当て字で書くようになったのは近年のことで、その前は方言の発音に倣って「拔仔(バーア)」または「那拔仔(ナーバーア)」と書くのが普通であった。台湾の田舎の至る所に「嶺拔林」「拔仔庄」の地名が多い。グアバは特に植えなくても、地上に落ちた実の中の種が自然に発芽し、根を張って大きな木に育つ。繁って林もできる。その生命力のたくましさが窺える。

グアバの漢語、「番石榴」に「番」の字がついているのは、外国から持ち込まれたものであることを示す。原産地は中南米のメキシコやペルーあたりで、十七世紀にヨーロッパ人の航海ルートに沿ってアジアの熱帯地区に広がった。風土への適応能力が高く、種子が多いのが石榴に似ていることから、番石榴と呼ばれるようになったと言われている。一説によれば、台湾に入ってきたのは、オランダ人がジャワから持ってきたと言う。また、鄭成功の時代に中国大陸からの移民が持ち込んだとの説もある。いずれにせよ、三百年も前から台湾にはあちらこちらにグアバの木があったので、台湾に元元ある果物と勘違いされることがある。

台湾で初めてグアバが植えられた当時の様子を記した文は、一六九六年の「台湾府志」と、一七一七年の「諸羅県志」に載っている。同じ頃に中国大陸から台湾にきた人人の詠んだ詩や書いた文章を見ると、そろってグアバのクセのある味にうんざりして食べたがらなかったとある。「その匂いは大変臭い」、「近寄らない方がよい」、「上品な果物ではない」、「臭くて渋い味、食べた人は眉をひそめる」など、マイナスの評価がほとんどだった。広東人はグアバを鶏屎果(鶏の糞の果物)と呼んでいる。

日本の台湾統治が始まったばかりの頃、考察にきた伊能嘉矩も一八九七年八月の日記に「昼飯のあと丘に上がってみると、そこには沢山のバッラと呼ばれている木が生い茂っており、原住民は歩きながら木の実を採って食べている。私が『原住民の言葉で何と言いますか』と聞いたらKote-Raodohu(鶏の糞)と彼らは答えた。そのように呼ぶのには、訳があると私は思った」と書いている。一体どういう訳なのか、伊能嘉矩の日記はこれ以上の説明をしていないので分からないが。

半世紀に亘って変化した
グアバの境遇

かつて改良前の野生のグアバは、南洋のドリアンのように強いクセがあった。そのクセのある味に慣れている原住民は平気で食べるが、他所から来た人はその味に慣れず、ほとんど食べない。また、ありふれた物ほど珍重されないのが世の常である。野生のグアバを人の他に鳥獣も採って食べるが、食べきれないで捨てるのがたくさんあった。その捨てられた実の種は汚い野原で発芽してまた実を結ぶ。それでグアバは不浄であるので、神様へのお供え物として使ってはならないといわれてきた。

しかし、いま市場で見かける真珠グアバ、水晶グアバなどは実が大きく外観は綺麗で、味も良く改良された。高貴なイメージのある真珠や水晶の名を冠して、もう昔の野生のグアバではないことをアピールしている。今では食卓に登場するばかりか、神様にもお供えされるようになった。

台湾のグアバが大変身を遂げ、素晴らしい果物に生まれ変わったのは、技術者が長年の努力を重ねた結果である。グアバの研究に携わって十五年になる鳳山熱帯園芸試験分所の謝鴻業副研究員は、半世紀に亘る台湾グアバの品質改良の過程を、文章に綴って発表した。それによると、一九六0年代以前に栽培されているグアバは実が小さく、産量の少ない野生種だった。一九七0年代の半ばから野生種はどんどん淘汰されて、野生種を改良して育種した「中山月抜」、「白抜」など、生で食べてもよいし、加工に使ってもよい品種に取って代わられた。

しかしその後、台湾のグアバ栽培に画期的な局面が発生した。一九七六年ごろ、南部の農民がタイから果実一つが一キロもある大きなグアバを持ち込んで植えた。こんなに大きなグアバを見たことのない農民が争って植え、一大ブームを巻き起こした。そして、実が熟れるとすぐ黄色く軟らかくなって、貯蔵に長持ちしない従来のグアバ品種は次第に畑から消えていった。タイから持ち込んだグアバはさらに改良と選別を経て、こりこりと歯ごたえのあるグアバが畑を独り占めするようになった。

台湾で当初植えられたタイのグアバは大きいばかりで、食感は全く駄目だった。農家は耕作にいろいろな工夫をこらして、一九八二年に「世紀」と名づけたグアバの栽培に成功した。台湾中部の彰化県に最も多く植えられていた品種だ。続いて一九九一年に、高雄地区の「真珠」と「水晶」が相次いで市場に出回ったが、中南部のグアバ農家はほとんどが真珠グアバを選んで植えた。一時的に人気のあったタイグアバと世紀グアバに取って代わり、真珠グアバが市場のほとんどを占めるようになった。

謝鴻業副研究員は言う。今、台湾で出荷されるグアバの九十五パーセントは真珠グアバが占めている。真珠グアバは病害への抵抗力が強いばかりでなく、単位面積の生産量も高く、貯蔵にも耐えられる。それで夢の品種だと農家に大変重宝がられている。さらにそのしゃきしゃきとした歯ごたえと、さっぱりとしたほの甘い風味は消費者の人気が高い。

火山灰と泥が育む真珠グアバ

真珠グアバの発祥地は高雄市の大社区だ。大社区の種苗業者の陳玉盞さんが育成したのを、当時、農業協同組合の前総幹事だった倪福全さんが命名した。しかし、真珠グアバの作付け面積を大大的に成長させた揺りかごの役目を果たしたのは、大社区に隣接し、グアバ畑の多い燕巣区で、一千六百ヘクタール余りを植えている。近頃では、果物屋が燕巣産の真珠グアバの看板を出せば、ただちにわれ先にとグアバを買いに来るお客で賑わう。燕巣区で生産されたグアバは、人が目を見張るほどに人気が高いと分かる。

燕巣区の有名な観光スポット「月世界」は不毛の地で、鋭い傾斜の山肌がノコギリの歯のようにぎっしりとそそり立っている。ふもとには地熱で温められた濃度の高い泥水が火山の噴火のように絶えず噴き出ている。この珍しい地形と草さえ生えない現象は、月の表面に似ていることから月世界と呼ばれるようになった。

話によれば、この一見草も生えない痩せた土には豊富な鉱物質がある。ずっと前からそれが雨水に流されて河岸の畑に堆積したので、そこに植えたグアバは独特の味わいがあるのである。

産地が燕巣のグアバが名高いもう一つの原因は、地元の農協が共同経営している十六カ所のグアバ農場の出荷、格付け、包装の仕方、流通先の分配、品質のアピールなどをまとめて引き受けたからである。一ヘクタールの広さに及ぶ整然として秩序のある集荷場は、ピークの日には出荷量は百トンを超すと農協販売部の主任は言った。

今回私たちが訪れたのは都合の悪い時期だった。昨年九月の十一号台風がもたらした災害で、高雄地区のグアバ畑はひどい損失を蒙った。冬はグアバが一番美味しく、値段も最も高い時である。グアバ農家にとってこの時に多く出荷ができたらそれに越したことはない。しかし目の前の広とした集荷場の一日の出荷量は、僅か十トン足らずだった。

台風が起こると、グアバの木に損害を与え、秋から冬にかけてよりよい取り入れを望む農家の期待に反して、果実の減産をもたらす。しかし、翌年の春には生産過剰を来たす恐れがある。グアバ農家の劉建明さんの説明によると、八月と九月に台風に見舞われたグアバの木の幹と枝は強風に折られたので、秋から冬に実る果実は少なくなる。しかし台風後、残った枝が一斉に新芽を出すので、翌年の三月から四月には揃って実がなる。集中して出荷するので、供給が消費を上回り、値段が生産コストより安くなる時もある。

一昨年の八月八日の豪雨による水害が原因で、昨年三月のグアバの産量は予想外に増えた。その時、売れ行きが滞り、産地での値段は一キロ当たり二元(一元は約三円)までに下落した。生産過多となったグアバを農政当局が保証価格で買い取って、堆肥の原料や豚の餌にした。

グアバは元来、年がら年中出荷ができ、しかも値段が比較的安定している果物である。それは開花期の調節が比較的容易にできるからである。枝を剪定すれば新芽が生え、開花して結実する。そのため農家は時期をずらして枝の剪定をし、人と一緒に出荷するのを避けられる。しかし、グアバはこのような長所があるにもかかわらず、バナナと同じように生産過剰で値段が生産コストより低くなる時もある。それを改善するには、植付け面積を減らすしかない。

グアバを植えるのはたやすいが、品質の良い実を育てるのは大変難しいと劉鴻業さんは言う。植えやすいので植える農家が後を絶たない。それで産量は増えるが、栽培が難しいので果実の品質はまちまちである。その他に台風に襲われて生産と販売に支障をきたすのは、他の果物が抱える難題と一緒である。

一九八四年にグアバの栽培を始めた劉建明さんは新品種の栽培を積極的に試みた。度重なる失敗にも挫けないで、台湾のグアバ品種の移り変わりを経験した。タイのグアバ、マレーシアの種子のないグアバから台湾育種した世紀、真珠を自分の畑に植えたほかに、最近では鳳山熱帯園芸試験分所の謝鴻業副研究員が育成した最新の品種、帝王グアバの畑での栽培試験を手伝った。二十数年このかた、熱心に勉強し実験にも協力したので、劉建明さんは素人からグアバの達人となった。

品質を高めるために劉建明さんはチームのメンバーと共に、グアバの外観と重さによって等級を決める従来の方法で選別するほか、糖度の検査を行い厳格に品定めをしてから出荷した。これにより消費者の信頼を得て、より高い値段で売れるようになり、農家も一層気を配って栽培するようになった。

(つづく)
文・蔡佳珊 訳・金華