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11月12日
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精進して困難を乗り越える

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【證厳法師のお諭し】
人生には困難や障害が付き物であり
逆境は「増上縁」である
即ちそれを乗り越えさせてくれる
「良縁」である
精進する者は境遇を克服でき
怠け者は境遇に克服される

毎朝書斎から出る時、空はまだ暗く辺りは静寂で清々しいのです。遠い空を眺めて昨日と今日の違いを感じます。季節は夏から秋に移ろうとしています。同じ時間の同じ空は、昨日は淡く白かったのが、今日は暗い色をしています。

地球の動きと共に季節が移り変わり、自然の法則を感じます。そして、心には諸々の感謝の気持ちが湧いてきます。それは、地球が万物を育んでくれたことや自然の摂理の中に無限の真実の道理が存在し、その全てが法を説いていることへの感謝です。

日常生活の中で人間が外の境地を認知できるのは、「六根」と外に存在する「六塵」が結びついて「六識」ができるからです。それは「目」で見る色塵、「耳」で聞く声塵、「鼻」で嗅ぐ香塵、「舌」で賞味する味塵、「体」で感じる触塵、「心」で理解する法塵などです。

毎日聞く鳥の鳴き声でも、ある時は群れを成した鳥の鳴き声であり、ある時は一、二羽がさえずっていますが、鳥の心境がどうであるのか、人間には分かりません。しかし、注意してその鳴き声や姿を観察してみると、自然の美しさを感じ取ることができます。同じように二千数百年前、仏陀が生存していた環境や説法した法、心に感じたことなどを私たちはどのようにして知ることができるでしょう? 真の仏法とは何でしょう? それを推察することはできません。心で聞き、思考し、修行して初めて諸法に通じることができるのです。

仏陀が四十九年間民衆に伝えたかったのは、「無上妙理、明顕実法」です。「明顕実法」という道理は永遠であり、不生不滅です。例えば、青い空を見上げてみるとそれは静寂で動かず、永遠に変わることはありません。地球が回っているために、人間の目には様々な変化が見えるに過ぎません。

法を聞く時、専念すると共にそれを信じて受け入れ、己の心と法理が結びつかなくてはなりません。そうして初めて仏の知見を深く理解すると共に心が明るく照らされて本性が見え、智慧が成長します。

人々と深く交わり
菩薩法を学んで
宇宙の真理を理解すると共に
大自然の教えを感じ
人々の中から
無尽蔵の宝を見つける

人生で様々な障害に出会うのは避けられないことです。精進する者は境遇を克服でき、怠け者は境遇に克服されます。

《仏説須頼経》に次のように記されています。

仏陀が舍衛城で説法していた時、須頼という修行者がいました。彼は非常に貧しかったのですが、仏の説法を熱心に聞き、敬虔に法を学びました。須頼は心から仏陀の言葉を信じました。「菩薩道を歩む者は金銭や権威を有する必要はない。誠意と愛さえあれば、行動に移すことができる」

慈悲心に満ちていた須頼は、飢えと病に喘ぐ貧しい人たちを見て、苦労して働いて得たお金を一銭残らず、人助けのために使いました。

ある日、一文無しの須頼が非常に多くの貧しい病人や孤独な人を世話し、人々に仏の説法を聞くよう勧めていることに天帝釈が気づきました。「世にこのように大きく福を修行している人間がいる。将来、まさか私の地位を奪おうとしているのではないだろうな? 」と怖くなってきました。

そこで、天帝釈は群集に姿を変え須頼が住んでいるあばら家の外で大声を上げて罵り、彼の修行を邪魔しようとしました。しかし、須頼の心は全く外の物音に影響されませんでした。天帝釈が化身した群集は遂にあばら家に押し入り、彼を鞭打って殺そうとしました。しかし、須頼は相変わらず微笑を湛えながら仏の説法の中の世界に浸っていました。

群集の中の一人が、「彼らはあなたが大変な善人であることを知らないのです」と言って、即座に金銀財宝を献上し、須頼にそれで布施するよう請いました。しかし、須頼は全く心を動かされることなく、笑顔でその好意を断りました。「自分で稼いだお金ではないのに、何の徳が私にあってそれを受け取ることができましょうか? 不義の財は受け取れません」

天帝釈は脅しても財で以ても須頼を誘惑できなかったので、今度は美女で誘惑することにしました。しかし、須頼はより警戒心を強め、美女への興味は全く起きず、修行する心はもっと強くなりました。

天帝釈はなすすべがなかったので、仕方なく姿を現してこう聞きました。「あなたはこのようにしてまで修行に精進して何を求めているのですか? 」

「何も求めてはいません。世の人が平安で、誰もが仏法を受け入れて苦しみから解脱し、善行を行えばそれでいいのです。それが私の人生で最大の願いです」

天帝釈はそれを聞いて深く感動しました。「あなたは既に六道を輪廻する人ではなく、六道を超越した菩薩です」と賞賛して去っていきました。

仏陀がそのことを聞いて弟子たちを諭しました。「須頼は過去の人生で仏法を修行し続け、今生では貧しくて苦労しているが、貧しさが修行する上で最良の『増上縁』になっているのだ」

衆生の心は常に愛や憎しみに影響され、人との争いで無明が起き、仏法を学ぶ心に支障が出ます。修行する志があれば、学ぼうとする心を堅持して外的要因に影響されないようにしなければなりません。信ずる心が定まって初めて法水が一滴ずつ心に入り、それを日常生活で使うことができるのです。これこそが真に法の世界に入ることなのです。

菩薩法を学ぼうとするなら、深く群集に交わることです。人は誰でも心の中に経を持っており、私たちが学ぶに値する法を持っているのです。大自然の万物も常に私たちに対して法を説いています。これが「無量の法門は目の前に現れる」ことであり、これを心して理解することができれば、「大智慧を得て諸法に通じる」ことができるのです。

志と願があれば
妙法は永遠に保たれる
「煩悩障」と「所知障」から
遠ざかり
正信、正法、正念に親しみ
志、願をもって
ひたすら精進すること

仏法の道理は永遠ですが、どうすれば時代の移り変わりに合わせて法水で人々を啓発し、浄化することができるのでしょうか? それには大衆の志を統合しなければなりません。志と願があって、ひたすら精進するのです。

毎年の旧暦七月になると台湾であれ海外であれ、中華系の人が住んでいる所であればどこでも、そこに住む慈済ボランティアが、ある観念を広めています。それは旧暦の七月は「吉祥の月」であり、「孝行の月」または「斎戒の月」でもあるということです。各地で行われる祈福会で、人々を迷信から正信に変え、正知と正念、正見、正思を持つよう導いています。

今年、台北市の万華地区で行われた祈福会では、以前金紙(神仏や先祖に供える紙の金)を売る店を経営していた呉金宝さんが自分の過去を分かち合いました。「私は毎日神頼みしたり、仏を拝んでいましたが、どうして守ってもらえなかったのでしょう? 」。昨年、金宝さんの姑が亡くなった時、慈済ボランティアが助念(台湾の風習で通夜に行う八時間の念仏)に来て、彼女に「法は水の如し」の読書会に参加するよう勧めました。その読書会で彼女は熱心に仏法を学び始めましたが、ある時、全ては因縁果報だったのだと悟ったのです。福とは自分で努力して手に入れるものであって、頼んだり拝んだりして手に入るものではないことを知ったのです。そこで、リサイクル活動に参加して体を動かし、健康の元になる種を植えました。さらに菜食することを決意し、斎戒することで金紙を焼くことをやめたのです。

凡人には「煩悩障」と「所知障」という二つの障害が付きまとっています。この二つの障害は人を惑わし、殻に閉じこもったり、是非の区別ができず、自分自身でなくならせます。心がわずかにそれると、行動が他人に影響するだけでなく、自分をも傷つけます。従って、日常生活で人や事、物に対してよほど自分の心のあり方に注意しなくてはなりません。いつも考えたり経験を活かして、常に清らかな信心を持って初めて心がそれなくなるのです。

聞くだけで
行動に移さなければ
法は心に残らない
心を開いて法を招き入れ
実践して無明を取り除けば
心の世界は
光明で輝かしいものになる

今年の四月末、一人の若い女性が中国福建省の福鼎病院に運ばれました。検査の結果、急性肺膿腫にかかっていることが分かり、緊急治療を必要としました。しかし、彼女を送ってきた人は既におらず、何も書き残していきませんでした。病院は緊急治療を行うと共に、警察に連絡しました。

女性は体力は衰えていましたが、非常に激しい気性で、容易に人を寄せつけませんでした。警察が来て身分照合をしようと思っても、なかなか本当のことを言わず、家族に連絡を取ることができませんでした。

彼女の入院中、慈済ボランティアは慈母のように彼女に心温まる愛を注ぎ、髪の毛を切ったり洗髪したりして、付き添いました。一方、医療人員は細心に彼女を治療しながら、少しずつ彼女の心を開いていきました。そして、やっと叔母の住所を聞き出すことができ、父親と連絡が取れたのです。

女性は広西省の田舎の出身で、三歳の時に両親が離婚したため、目の不自由な祖母に育てられました。十三歳の時に貧しい家を離れ、大都会で流浪した挙げ句、盛り場を転々とし、薬物中毒になりました。父親は二年ほど彼女を捜していたのですが、彼女が重病と知り、親戚からお金を借りて福鼎に来て、七月末に退院するまで付き添っていました。

三カ月余り入院した結果膨大な額に膨らんだ医療費を彼女は払えませんでしたが、病院と慈済は彼女のために募金を集めました。彼女は大勢の人の愛を身に感じ、それまでの冷淡な態度を一変して、自ら人々に感謝の意を表しました。「こんなに多くの人が私を愛してくれているのです。私は人生を改め、社会に奉仕したいと思います」

「本来、人の性は善なのです」。ただ周りに汚染され、無明の煩悩が次々に出てきて自分自身に障害をもたらしているだけなのです。福鼎病院の医療人員やボランティアの愛の奉仕に感謝します。女性の病を治癒してくれただけでなく、彼女の心を取り戻し、大切な人生を救ってくれたのです。

縁があって善法と出会った時、心を開いて日が差し込めば、心は光明で輝き出すのです。逆に心を閉ざせば、善法は心に入らず、心は暗い無明の中に陥ってしまいます。

法を聞けば行動に移さなければならず、そうすれば、気力を発揮して志が定まり、いつも善法が心に宿ります。そうやって、煩悩と執着は遠ざかるのです。心に愛があり、行く先々で福を作れば、真の幸福が訪れます。

苦しみを理解して初めて
解脱することができる
心して法を聞いて
慈悲心を啓発し
仏に学んで実践し
仏のように悟りを開こう

二千数百年前、仏陀は修行して悟りを開きました。そして、鹿野苑に戻って、当初仏陀と一緒に修行し途中で自信をなくした五人の比丘を探し出し、彼らに「苦、集、滅、道」という四聖諦法を説きました。

五人の比丘は、仏陀が人の世の諸々の煩悩や苦しみの根源を分析するのを聞いて、初めは懐疑的でしたが、やがて自信を取り戻しました。五人同時に説法を聞いたのですが、悟る時期には違いがありました。

アナンが一番に悟りを開きました。彼は仏法の中から人生の苦しみは貪、瞋、癡、慢、疑等の心から来ていることを理解し、心の初まりの時に一念の無明から「苦」を滅するしかないことを悟ったのです。

他の四人は全てが心に起因していることをはっきりと理解することができませんでした。そこで、仏陀は二回目の説法を行い、「苦、集、滅、道」の修行法を説きました。そして、三回目はさらに一歩踏み込んで、自分で実証したことを話して聞かせました。というのも、仏陀が「知、断、証、修」を行った過程で、人々に菩提の大道を歩み、長い間、六道を輪廻してきた苦しみを取り除くことを教えたのです。五人全員が「四聖諦法」を理解するのを待って、仏陀は彼らに帰依を許しました。

凡人と賢人と聖人はそれぞれ境地が異なります。凡人の心は迷えるため、仏陀は様々な方法を考案して説法することで人々に理解してもらったのです。すなわち苦しみから解脱するにはまず苦しみの原因を知り、そこから無明の煩悩を断ち切って、しっかり修行することです。

修行は独りよがりであったり、自分の殻に閉じこもっていては、できることではありません。「道」を知り、大いなる慈悲心を啓発し、前進するのです。外部の境地がどうであれ、心して仏に学んで実践し、仏のように悟ることです。誰もが仏を信じ、仏の志を守ると共にその道を歩み、精進して実践することを期待しています。

訳・済運
慈済ものがたり190期より


 

" 智慧を用いて精神力を集中し、時間をダイヤモンドのように大事にして勤しむことができるなら、この世に完成できない事はない。もし時間を土くれと見なして無駄にし、怠けてばかりいたら何ひとつ成就せず、社会に迷惑をかけることになる。 "
静思語