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06月24日
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逆境に遇った時はすべてに順じて冷静不動であること

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【證厳法師のお諭し】
逆境に遇えば
因縁と思って障碍と受けとらず
順境に遇えば
誘惑を受けないよう警戒を怠らない
一切の善悪順逆の境界に対して   
明るい面を見て
冷静に堪えて不動であるなら
初心を堅持でき、退転しない

今年の五月で慈済は四十九年目に邁進します。一九六六年の五月十四日は旧暦の閏三月二十四日で、「仏教克難慈済功徳会」が設立した日でした。そして三十個の「竹筒募金箱」から慈善救済活動が始まりました。四十八年間、無数の発願した人々の貴重な時間、精神、体力、金銭の一点一滴が集っていたことは、まさに「一粒の米も集めれば俵に、一適の水も大河に」のたとえのように、愛で志業を成就させてきました。  

慈済人の見返りを求めない奉仕の理念のもとに辿ってきた道の心境は「感謝」でした。一日を平安に過ごせ、生活にこと欠かないことに感謝。これが知足です。人が足るを知ればこれは最大の富みであり、心が安穏を保つことができれば最大の利益ということになります。知足、感謝だけでなく、皆はさらに菩薩道を歩む上で細心に「心身善行」の信念を四十八年間少しのずれもなく、常に精進し菩薩の直道に向かって邁進して、絶えず慧命を成長させてきました。

現在社会の人心は調和がとれていない上、欲念に迷い、気候の乱れはますます深刻になって、天災人禍がさらに多くなっています。米国のアラスカ南部で五月下旬に森林で大火事が発生したのは、行楽客のキャンプの火が完全に消されていなかったため、火種が乾燥した空気の中、強風にあおられて収拾のつかない大火事になってしまったのです。濃煙は天を覆い、人々はパニック状態になり、二万エーカーの林を燃やし尽くしてしまいした。

小さな火種が重大な災禍を引き起こしてしまいました。人心もこのように、心の底に火種を埋めていると、一旦誘惑に遇えば大火を引き起こします。皆さんが心の調和をはかり人生観を改めるように期待します。煩悩をなくし欲念をおさえ、この大地を大切に関心を持ちましょう。そして刹那と空間をしっかりと把握して、この世で福縁を造り、福縁を結びますように。

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ベトナムと中国が南シナ海のパラセル諸島で、長い間領土争いを続けています。最近では中国が南シナ海に石油掘削装置を設置して、お互いの船が衝突する事件が発生しました。思いもよらず海面の衝突は陸地にも及び、五月中旬ベトナムで中国排斥の暴動が発生して二人の犠牲者と二百人あまりの負傷者を出し、多くの中国人が経営する工場が操業停止を迫られています。

大地は豊富な資源を埋蔵して、人類に便利と心地よい生活をもたらしてくれています。しかしながら人類はそれに感謝せず、この恵みを大切にせずに、欲望は尽きません。共生して互いに享受しようとせず、争いは互いの感情を引き裂いています。人類の消耗と争奪の結果、天災人禍は頻繁に起こって社会の安寧はありません。人々が分を守り、あらゆる立場の人が互いに協力し感謝しあう平安な日々はどんなに素晴らしいことでしょう。一念の心の波動は人間に禍をもたらし、心霊が受けた傷はどうすれば癒されるのでしょうか?

ベトナムは社会主義の國で、集会や結社が制限されています。ベトナムに二十年近く在住している慈済人は、細心に経営して、現地の苦難に遭遇している人たちを護っています。近年来、いくらか開放に向かっている政府は、慈済が行う施療と物資の配布を何度も許可してくれました。その度に、慈済ボランティアは病人には施療を、貧しい人たちには物資をあげてきました。

この度の暴動では、ベトナム慈済ボランティアも余波を受けて、工場を破壊されましたが、幸い人は無事でした。突然起きた暴動に内心ショックを受けても恨まず、反対に突然の工場操業停止が現地の従業員の生計に及ぶことを心配していました。そして、慈済ボランティアは「人心浄化」の仕事がまだ足りていないと感じ、慈済精神を現地でさらに根づかせる発願をしました。

この怨みの心のない無私の慈悲心に私は感動しました。余波が速やかにおさまり、人心が平和になって、一日も早く社会に生気が戻るよう願っています。


上に対しては恩に報い
下に対しては模範となる
家庭円満は孝より始まる



五月の第二日曜日は「灌仏会、母の日、世界慈済日」と三節句が重なっている日です。今年は四十カ国の各地域の慈済人が灌仏会の式典を挙行して、三十六万人以上が参加しました。

孝行は人の根本です。母の日は皆に自分の源を忘れないよう、思い起こしているのです。父母による懐胎と出産、そして心をつくしてよい子に育てるのは容易なことではありません。ですから人の子として感謝を忘れてはなりません。「百善も孝より」と言います。善行は家庭の中から始めなくてはなりません。父母が身をもって孝行を子女に示せば、円満な家庭を築くことができるのです。

アフリカのジンバブエにいる慈済ボランティアは、子供たちが母親の足を洗う行事を催しました。熱心に石鹸を使って親の足指の間までしっかりと洗った後、手拭いで丁寧に拭う様子に、母親たちは顔をほころばせていました。

モザンビークの灌仏会ではヤシの殻を半分に割って香湯をたたえ、ペットボトルの栓に油を入れて香灯台として火を灯し、ボトルに花をさしました。そして真心こめて仏の恩、親の恩、衆生の恩に感謝の礼拝をしていました。

ジンバブエ、モザンビークは貧しい人が多く、慈済人はその人たちに心霊の財富である法を示しています。その法を単純に受け入れ孝行と愛を培えば、それはその人たちの財富となります。マレーシアはほとんどがイスラム教徒ですが、ペナン州政府は二〇一一年「慈済の三節句」をペナン祝日の一つに入れました。これは現地の慈済人の長年にわたる愛の努力が実って政府に認められたのです。

各地の灌仏会祭典では、室内、室外、大広場または小規模にかかわらず、皆は人間図形の位置に整然と立っていました。互いの協力と、智慧を出し合ったことによって活動がスムーズかつ荘厳に行われるに至ったのです。

四方八方の人々が心を一つにしていたことに心から感謝しています。この美しさは一人一人が喜んで自分の位置に立って、個人から全体美となった仏法の美でもありました。敬虔な灌仏会を日常生活に延長して、心の愛と善で、大地衆生に奉仕することを期待しています。


根気よく導き
法を善用して布施を行えば
砂漠をオアシスに化す



無明な凡夫は習気が強く、互いに争い無明を複製して、その人生を苦しくさせています。常に自省を促し、自分は剛直調和に欠けた衆生の一人ではなかろうかと。そして、方法を講じ、己の煩悩を調服してこそ、人中に入って衆生の無明を調服することができます。

衆生たちにはそれぞれに異なる習気がありますから、お互の愛、怨み、仇から免れることは困難です。「悪来て善去る」と自分に警戒心を高めなくてはなりません。過去の悪因に対しては現在の善縁によって報いるのです。よい因をつくり、よい縁を結んでいると、日々が楽しく軽安自在になります。反対に悪をもって悪に対すれば、さらに悪縁を結ぶことになって、いつも苦しみ悩み、さらに業を造ることになります。

修行とは常に慈悲心を兼ね備えた忍耐行です。自己の心、行いを注意深く観察し、身、口、意はずれていないかと、そして正智正見を以って人心の迷いを解き、他人の苦難を取り除くことです。たとえさまざまな困難に遇っても、相手が自分に試練をあたえてくれているのだと感謝するのです。もしも忍耐力を十分に備えていれば、自然に善に解釈することと包容することの意義が理解できて、やっと開けた善の門はもうすぐには閉まることはありません。

逆境、悪境に遇った時には因縁果報を知り、障碍を受けることはなく、順境、善境に遇った時は誘惑されないよう、警戒心を起さなければなりません。すべての善悪、順境、逆境には面と向かい合って、動じなければ初心をつらぬくことができます。

南アフリカの自由州にいるボランティアの呉東宝さんの工場は、大勢の現地人を雇っています。ドライバーのチリーは賢いけれど、悪い癖があって会社の物を私的に使ったり、酒癖が悪く騒ぎを起こしたことがありました。呉さんは工場の始業前職員に慈済の事柄や国際間で発生した災難で、苦難に遇っている人たちに慈済がどう対処したか、また「竹筒歳月」の精神、「静思語」について話します。

傲慢だったチリーはついに感化されて、小銭を竹筒にいれることから始め、慈済ボランティアの訓練に参加しました。また実家のシルブラン地区で環境保全を指導して、昨年十月にはキリスト教徒の母親を地域の環境保全所へ連れて行くなど、週に一度は資源回収を指導しています。

資源回収所は給食所でもあって、皆は昼食を食べながらチリーの話を聞きます。苦難の人に対する慈済の訪問ケアでは、貧い人だけでなく、病や障害者、暴力を受けた人たちなど。一つ一つの話を通して、自分たちは幸せなのだと分からせ、奉仕と造福をすすめます。

そしてはじめの資源回収所が成功すると、二番目、三番目と次々に設置しました。一人だった現地ボランティアは五カ月間で四十人に増えて、百七十九名の小学生が環境保全に参加しています。チリーは子供たちを連れて、訪問ケアをしたり菜園を造ったり、竹筒歳月の「わずかな小銭でも人助けができる」と教えて、地域に愛の雰囲気がますます濃厚になっています。

やる気さえあれば困難なことはありません。呉さんが寛容な心で忍耐強くチリーの悪い習慣を改めさせたのは善法の布施です。一粒の種子から無量の人間菩薩を育ててきました。

細心に潤せば砂漠もオアシスとなるように、忍耐力、定力と精進力はこの世に愛をそそぎます。

清浄心を以って法に入る
己を済度し且つ衆生を済度する
法があれば至る所に通ずる


台南の安平区にある静思書軒の豆菩薩ボランティア、陳彦合君が、先日精舎で一月の朝のお勤めに参加した感想を話しました。

「朝のお勤めに参加したおかげで、五つのいい点があります。一、お経を読んで元気が出た。二、友達と一緒に精進ができた。三、これから遊びながら食事をしない。四、これから学校の遅刻をしない。五、学校の昼寝の時間はふざけない。この『一挙五得』ができた」と言いました。

九歳の戴貝米ちゃんと六歳の弟、戴川富ちやん姉弟は、よく大声を張り上げて喧嘩します。ママと説法を聞いた一週間後にまた喧嘩してしまいました。ママは弟に「ねえちゃんはどこにいるの?」と聞くと「ねえちゃんは火宅の中だよ」。ママはまた聞きました。「どうしよう」。弟は「火宅から離れればいいんだ」。法を用いた親子の会話は実に面白く、姉弟の喧嘩もおさまったそうです。

もっと小さい子はまだ字が書けませんので、法を聞いた後紙に絵を書いていました。心霊倉庫というのを二つ書いて、一つは善、もう一つは悪、それを解釈して、「心霊の倉庫に善の物が多いと賢い、でも悪がつめられていたら煩悩で爆弾のように爆発するんだよ」と言いました。

子供の心は清らかですから、微妙な深い法まで体得することができます。仏法とは「通じる」法であって、私たちに無明煩悩から離脱するのを助けることができます。また私たちのために正確な人生の方向、覚悟の道に到達するよう示しています。道理に明るくなり、さらに勤め励めば、真の会得ができて、事はまるくおさまります。反対に字句にとらわれると足が進まず、この道は通じません。

皆さんが法をしっかりと心に刻んで、自分で無明煩悩を済度して、明るい清浄な本性を現ますよう。そして自分を済度した後、他人を済度して、心の内に修め、外では行動で示し、力を合わせて世の中でよい事を行いますよう期待しています。

訳・慈願
絵・周寶秀