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11月12日
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簡素な生活

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人生数十年、皆さんは衣食住や行い、または物質を追求し悩んでいるのではないでしょうか。本当は何事にも満足し、他人を善に解釈して簡素な生活をすればいいのです。

生活が豊かで飽食のこの時代に於いて、一粒の米や一本の糸が手元に来るまで容易ではないことを考えてみてください。一枚の服はどれだけの糸で織られているのでしょう。その中の一本の糸はどれだけの農業と工業を経て作られたものか。その後に紡績工程を経て生地になり、それを縫製して服になるのです。どの服も簡単にできるものではありません。また、水一滴や米一粒でも野菜にしても同じことです。毎日の生活に必要な物はどれも多くの人の労力を経て、やっと私たちの衣食を満足させているのです。

私たちは生活に対して足ることを知り、簡素を求めるべきです。そのような生活は単調だからもっといろいろと追求した方がいいではないか、と思う人がいます。もし、常に留まるところを知らなければ、返ってくるのは際限のない煩悩ばかりになります。そのような人生は煩悩の中に生きているようなもので、人間関係に於いて好き嫌いが激しくなり、その複雑な環境下では非常に心の狭い人間になってしまいます。

平凡な人生は時には最も美しいのです。ある台南に住む中年の男性が十数年前、家から六十キロ離れた洗車場に就職しました。初め、そこの女主人は、口数が少なく機敏でもなさそうなその人が洗車の仕事に向いているのかどうか疑いましたが、使ってみると非常に勤勉であるのに気づきました。

十数年間、彼は一生懸命働き、周りの人に感動を与えました。彼は毎日、勤勉に働き、火曜日には必ず母親が大好きなパンを買って帰りました。自転車で往復百二十キロ。風が吹こうが雨が降ろうが休むことはありませんでした。

その稀に見る親孝行は女主人を感動させました。彼女は彼に汽車賃を払って乗り方を教えましたが、彼はもったいないと思い、やはり自転車で帰りました。彼は自転車で帰るのが一番楽しいのだ、と言いました。どうして彼はそれほど楽しいのでしょうか。単純な親孝行の気持ちも単純な生活も彼は自分の本分だと思っていたからです。

人生は単純であるほど真に幸福になれるのです。単純さは複雑な人生を楽しくさせてくれます。このような単純な人に習うべきです。また、環境は人生を美しくしてくれますが、物質で美化できることではありません。真の美化とは、心の底から行動を起こし、環境や他人を穢したり傷つけたりせず、自ら生活の中で善を維持していくことです。

故に複雑な煩悩を消し、心を開いて視野を広くして純粋な考えの下に輝きながらも簡素な生活をすべきです。簡単にできることではないと思う人もいますが、単純ということを心がければいいのです。「心を広く持ち、煩悩がなければ」、幸福な人生であると言えます。

「あなたにできること」


勤勉に仕事し、食事や酒の付き合いを減らす。
複雑な生活上の欲求を簡素化する。
人の好き嫌いによる煩悩を減らし、憂いを少なくする。
使うお金を減らし、人助けをすれば人生は楽しくなります。


くらしの欲求を簡素化する

生活する上でどれだけのものが必要なのでしょうか。享受を追求し、ブランドものや流行に乗った生活用品を求めていたら切りがありません。ある退職したお年寄りは七十歳を超えても健康で、話を聞いていても面白いのです。その人は自分の人生哲学を持っています。

彼は小さな古い家に住んでいます。「どうしてもう少しいい家に住まないのですか?」と聞くと、「必要ありません。住めればいいのですから」と答えました。 家の中には十五年使ったベッドがありました。昼間は椅子として使い、夜は端の方に板を置いて長くし、そこで寝るのです。他の日用品も少なく、まだ使える扇風機もカバーはなく、テレビも非常に古いもので、買い替えるのがもったいないのです。靴も磨り減っていましたが、履ければいいと言いました。帽子は拾ってきたもので、庇が破れていたので、切り取ってから自分で付け替えました。かぶり心地がよいとのことです。

退職金は彼一人の生活には十分でしたが、敢えて苦労してでも簡素な生活をし、物を非常に大切にしています。ある人は彼を見て忍びなく思い、「おじさん、どうしてそんなに節約するの? 全く自分のために使わないなんて」と楽な生活を勧めます。

「自分のためにお金を使うのは全く意味がありません。しかし、そのまま放ったらかしておいても死んだお金になり、いくらたくさんあっても意味がありません。慈済に寄付すれば生きたお金になり、用途が広がります」と彼は言いました。

また、「飢えず、寒さに凍えず、病気にならずに楽しく暮らせれば、一番偉いのです」と常に言います。何と心が広いのでしょう。彼は生活の哲学を修得したお年寄りです。

彼は死後の献体同意書にサインしました。死んだ後の体は無用の長物であり、必要な人に寄付したり医学のために役立つのであれば意味があるでしょう、と言っています。

そのお年寄りが倹約した生活を送ると共に物を大切にし、無私の奉仕をする考え方には感動させられます。慈済ボランティアはよく彼を訪問しますが、彼は非常に満足しており、自分は世界で一番裕福であると言います。

その一方、多くの人が毎日を無駄に過ごしています。そして、お金が足りないからといって鬱病にかかる人がたくさんいます。どれだけお金があれば足りるのでしょう? 人生に対する価値観が異なれば、異なった生活を送りますが、考え方を変えて欲求を減らせば、煩悩も減るのです。

人生で他人と比較しても始まりません。重要なのはどうやって心の雑念を取り除いて汚染されないようにし、軽やかで自由気ままな生活ができるか、ということです。以前、ある家庭を支援したことがあります。山の上に住む八人家族で、夫婦と二人の娘、三人の息子、そして妻の弟という構成ですが、ほとんど程度の異なった知能障害を持っていました。ただ末っ子の男の子だけは健常で、非常に聡明な子でした。

その子は幼稚園や保育園に通っていなかったため、小学校一年生と二年生の時は勉強にあまりついていけませんでしたが、三年生からは一番になり、六年生まで成績はいつもトップクラスでした。それに彼は人助けが好きで、勉強についていけない同級生がいると、教えるのです。また、家ではお兄さんやお姉さんの勉強の手伝いをしたり、お母さんに家の中の片付けを教えながら一緒に手伝っています。

彼は非常に将来性がある子で、家庭の事情を苦に思っていません。この家庭に生まれ、両親の知能が余り高くなくても彼らの子どもであることに変わりはない、と思っています。彼はこんなにも純粋で善良なのです。人の性の美しさは単純さの中から見えてきます。

彼は容易に満足し、他人を羨ましく思うことはありません。生活する上で余計な欲望はなく、自分の本分に満足しています。そして、人助けが好きですぐに行動に移し、何事も真っ先にします。私たちが彼を訪ねた時、先生も同級生もこぞって彼を褒め称えていました。同級生とも非常に仲がいいのです。彼は自愛すると共に他人を愛し、皆から愛されています。裕福な家庭の子どもよりももっと裕福であると言えるでしょう。

満足すればいつも楽しくなれると誰もが知っています。しかし、果たして何人の人が足ることを知っているでしょう?「一あっても九が足りない」とよく言います。つまり、百円あると九百円あればいいなと思い、千円を追い求めます。また、九千円があれば……と思って一万円にしようと思います。例えそれが一億円になっても九億円が欲しくなって十億円を追求します。それだったら十億円に満足するでしょうか? いいえ、百億円でも満足しません。数字が小さくても大きくても同じなのです。

「一あっても九が足りない」という人生は苦しいものです。いつまで経っても満足できず、貧しい人生となってしまいます。もし、考え方を変えて、今もっているものに満足し、一歩進んで「十あれば一を奉仕する」ようにすればいいのです。千円あれば百円を人助けに使うのです。自分の境遇に感謝し、足ることを知ると共に見返りを求めない奉仕をすることによって得られる軽やかで自在な心は、人生で最も楽しいものなのです。

人生は素朴に生きるべきで、複雑にしてはいけません。単純な人生が最も美しいのです。他人と比較したり競争することは人生を複雑にするだけであり、醜いものにしてしまいます。

❖生活の知恵


1. もらわない…要のない物はただであってももらわない。
2. 買わない…よく考えて物を買い、無駄な物は買わない。
3. 適量にする…必要以上の物は買わない。買ってから長い間、使用しないと忘れたり使用期限を越えてしまう。
4. 共用する…常時使うものでなければ、皆で使う。
5. なくてもいい…なくてはならないという考えを捨てる。


文・證厳法師/訳・済運
著作【清貧から豊かさを得る】。
慈済ものがたり220期より


 

" 日常生活での些細なことの積み重ねによって徳を修めるのであり、いつまでも続ける心構えがなければならない。日頃の言行挙止が仏法の教えに適っていてこそ、本当に仏に学び徳を修めることになる。 "
静思語