慈善は慈済にとって永遠の根源です。一九九一年に孫さんにお手伝いの手を差し伸べて以来十九年間、慈済日本支部は数百件もの助けを求める声に応えてきました。そのうちもっとも印象深かったのは、一九九三年、癌に侵された凱凱さんと連れ立って行った最後のディズニーランド旅行でした。ある退役兵のため、九州と台湾を往復して五十年も生き別れになっていた親類を探したこともありました。日本旅行中に不幸が発生した蕭仕喬さんのご家族と同行したときには、ボランティアの皆さんが悲しみと無力感に打ちひしがれるご家族に手を差し伸べ、頼れる存在になってくれました。この十数年来、一人ひとりに差し伸べられた手は、新たなボランティアとなって戻ってきました。例えば白血病から奇跡的な回復を遂げた女の子とそのお母さんのこと。海を越えて援助を行ったマレーシアの陳樹碧さんのこと。まるで社会に見捨てられていたかのような加賀さんのために掃除していたこと。台湾から来た留学生を長期にわたり世話をしてきた尾村さん、その彼をケアすること。二十四時間にもわたって肝臓移植の手術に付き添ったこと等。感動的な思い出が多すぎて、そのすべてをひとつひとつ挙げることができません。ご縁があってお手伝いすることのできた人々が、慈済の菩薩となって戻ってくることを深く信じています。