2011年7月18日 岩手県上閉伊郡大槌町

2011年 7月 28日 慈済基金会
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地震見舞金配布三日目
今回の大槌町での見舞金配布活動の最終日となった。受け取りに来られる人は昨日より更に少なくなっていた。しかし慈濟のボランティアは時間を無駄にはしません。昨日よりも更にここに来られた方とコミュニケーションをとっていました。会場へ入られた方への朝の挨拶、受け取り手続きをしながら近況を聞いたり、お互いに感謝をしたり、見舞金を受け取られ帰られる方には慈濟のパンフレットや時にはUSBなどを手渡し、この機会をいただけた事に感謝の挨拶をした。慈濟のボランティアはあえて誰もが日本語を得意とするわけではないが、それでも積極的に話しかけ会話し、喜びを分かち、悲しみを癒し、互いにこの縁に感謝をした。ただ、おじいさん、おばあさんとの会話は慈濟ボランティアの人にはちょっと通じにくい言葉もあったものと思う。日本人である私も何人かのおばあさんと話をするなかで正直、理解できない部分も決して少なくなかった。それでも嬉しかった事、悲しかった事、今までの事、これからの事、色な事を話してくれるおばあちゃんに、最後はしっかりと握手をして、ありがとうとお辞儀をして別れました。

今回、会場には私たちにこの機会のきっかけを下さった方方もいらしていただけました。

国会議員の玉置様には台湾の花蓮へも足を運ばれ、会場のこの場ではボランティアの陳金發から感謝の言葉を述べると共に、上人からのお年玉をお渡しさせて頂いた。大学教授の山口さんは大槌町の若者と来られ、陳金發とも話をされていった。今回の活動も含め、慈濟の活動は多くの方の縁と弛まぬ努力によって成り立っていることを強く感じました。

この日の配布活動は午前を持って終了し、慈濟メンバーから大槌町役場の方への感謝の言葉で完了しました。その中で大槌町長代理の平野課長から私たち慈濟メンバーへの感謝の言葉と共に一つのお願いがありました。それは今回見舞金を受け取ってくれた生き延びた人たちへの感謝と共に、亡くなられた方への鎮魂も忘れないで欲しいとの願いでした。平野課長も共に頑張ってきた部下を亡くし、それでも生き延びた自分がやらねばならない事を歯を食いしばってやってきたと、言葉を詰まらせていました。そして平野課長はこれからの長い復興の道程にこの慈濟との出会いを大切に、縁を大事にしていきたいと言われ、さらに今回の見舞金配布活動のお礼に、大槌町民を代表してぜひ台湾、花蓮の方へ謝辞を伝えに行きたいと仰ってくださいました。本当に感謝の気持ちが伝わってきました。

私たちが活動をさせていただいた大槌町をはじめ、陸前、陸中海岸の市町村はまだまだこれからが復興の始まりです。新しい町を何処でどの様に築くのか、住民も行政もこれからの100年に向けた新しい挑戦が求められています。その道程の中で慈濟は何をできるのか、何をするべきなのか、私たちの活動もこれからがその真価を問われる新しい挑戦だと感じました。

文・池田浩一