義捐の心と太陽のような笑い声

2011年 6月 20日 慈済基金会
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東日本大震災からちょうど三ヶ月目を迎えた6月11日、被災地ではまだ数多くの方々が住むところに不自由しています。親戚宅や友人宅のお世話になる方、狭い仮設住宅に住まわれる方など、まだまだ被災者の生活は安定していません。釜石市の696戸の方々に少しでも生活上のゆとりを感じて頂こうと、慈済は現地にてお見舞金の支給を行いました。

おじいさんの記録:慈済の善行、いい思い出に
釜石市の会場では早くも多くの方々が待機場所に集まり、整然とボランティアたちの到着を待っていました。青い服を着たあるおじいさんは、首にプロ用のカメラをかけ、ひときわ人目をひいていました。

ボランティアが話しかけると86歳になるという藤原忠蔵さんは自らカメラを動かして見せ、メモリーに保存された写真について話をしてくれました。奥さんとの温かい家庭の写真、そして津波が襲ってきたときの恐ろしい光景も記録されていました。

「妻は地震当日、流されてしまいました。怪物みたいなシャベルカーに家も壊されてしまいました・・・」藤原さんは目に涙を浮かべながら自宅が津波で押し流されてきたシャベルカーにより壊されてしまった様子を話してくれました。それでも藤原さんは気を取り直し、愛用のカメラを取り出して慈済人の姿を記録に収め、人情の温かさを記憶に留めていました。

竹筒の愛心、太陽のような笑い声
優先席で友達を待っていた83歳の和田乙子さんは、絶えず近くを通り過ぎる知り合いと挨拶を交わしていました。会場にはいつも和田さんの朗らかな笑い声が響き渡っています。その朗らかで明るい性格と、溢れんばかりの笑顔はまさに暖かな太陽の光のようだったため、ボランティアたちは和田さんを「太陽のおばさん」と呼んでいました。

オーストラリア支部執行長の紀雅瑩さんは、オーストラリアでの竹筒への義捐金募金の経験を紹介し、被災者の方々も愛心を発揮されるよう呼びかけました。この突然の発想に、日本支部のボランティア林真子さんは近くにあるペットボトルや紙を使って手製の竹筒を作りました。

竹筒を作っているとき、林さんは和田さんに竹筒の意味を紹介し、たった五円で人を助けられることをお話しました。和田さんは竹筒を手に取り、笑いながら「あら、この英語、わからんわ」。

紀雅瑩さんはすぐ別のボランティアに「祝福」という日本語を書いてもらいました。和田さんはすぐにポケットから千円札を取り出して竹筒に入れましたが、足りないと思ったのか、少し考えて、小銭入れから五百円玉を出して竹筒に入れました。

明るい退職教員:一呼びかけると百返ってくる義捐の心
「お手伝いお願いできませんか?」紀雅瑩さんは機を見て和田さんに尋ねてみました。笑っている和田さんを見て、「慈済のベストを着て、ボランティアとして募金活動を手伝っていただけませんか?」と続けました。

和田さんは快く引き受けてくださり、新しいボランティアが誕生しました。紀雅瑩さんは更にお願いしました。「日本語で書かれた證厳上人の慰問メッセージ、私は読めないので、一度読んで聞かせてもらえませんか?」

「證厳上人曰く、天の上、地の下、私たち全人類はひとつの家族です」和田さんは感嘆の声を上げながら読み進めます。「人の心が浄化されると、社会は穏やかになり、天下は無災無難となる・・・」

和田さんは竹筒を高く掲げ、お見舞金を受け取りに来た方々に大声で呼びかけました。「日本を助けてください。百円でも十分です。千円でも多すぎることはありません」

このとき和田さんの友人が来ました。和田さんが「ご協力お願いします」と言うと聞くや否や、友人はすぐに財布からお金を出しました。

和田さんは以前、地元の小学校の先生だったため、とても顔が広いのです。持ち合わせのなかったかつての生徒の一人に和田さんが「大丈夫よ、代わりに出しておくわ」と言うと、その生徒の娘さんは急いで「私、あります」と言い、千円札を入れてくれました。

笑い声と呼びかけの声を繰り返しながら、「太陽のおばさん」は心を込めて地元の皆さんへと義捐金と義捐の心を呼びかけていました。

文/古繼紅
訳/岸野俊介