日本災害支援が無事終了

2011年 7月 02日 慈済基金会
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東日本大震災の発生から三か月を経て、慈済東日本救援団は、6月9日から12日までの4日間、日本の岩手県釜石市及び陸前高田市で見舞金配布を行った。第1次東日本救援団は、今日(6/12)陸前高田市で配布の最終日を迎えた。

片時も目を離さず世界からの愛を護る
ボランティアの林勲さん(69)は、連日見舞金を護りながら現場にやって来た。白髪の林さんは、配布場所へ見舞金の入った段ボールをせっせと運んでいる。彼は「全世界から集まった愛ですから、一円も落とすことができません」と語った。

林さんは「見舞金のある場所には必ず人がいる」という鉄則に基づいて、寝るときも見舞金の詰まっている十数個の段ボールと一緒、車にお金が置いてある限り、絶対に降りない。そしていざという時に備えてホイッスルも身につけている。彼は「このホイッスルを使う機会がないことを願っています」と語った。何回繰り返し見舞金の額を数えても、やはりホッとできない。「見舞金を保管するのにあまりに緊張し、なんとなく神経質になっています」と少し照れるような顔で林さんは語った。

3月11日、地震が起きた時林さんは家にいた。日本に来て45年も経つが、こんな大きな地震には遭ったことがなく、まるでこの世の終わりのようだと思った。地震後ほどなくして、テレビで大震災の発生を知り、日本支部に駆け付けようとしたが電車が止まっており、結局自転車で10キロもの道のりをこいで、一時間後に日本支部に到着した。その時、支部では既に熱いお茶と休憩場所を人々に提供し始めていた。

6月に入って、慈済による見舞金の配布が始動した。「證厳上人の慈悲と知恵に感謝の気持ちでいっぱいです。全世界からの愛のこもった見舞金は、責任をもってちゃんと保管します。」と激しい感情を抑えて、涙ぐんで話した。傍らではスケジュール表が配られるなか、林さんは小さい椅子を持ってきて、見舞金の段ボールのすぐそばに、目を離さずに座っていた。

心温まる休憩所 心身のストレスを癒す
昨日の配布では、ボランティアたちは、ずっと涙ぐみ、目を赤くしながら列を作っている被災者の方々を見て、歩み寄って慰めたい気持ちにかられたが、時間をとらせないよう、またそれぞれのお気持ちに配慮した上で、優しい「休憩所」の設置を考案し、見舞金を受け取ったみなさんにお茶一杯と相談を勧めた。

筋肉疲労を訴えるお年寄りが何人かいた。ボランティアの陳秋涼さんがマッサージをしている間に布施政庭医師が呼ばれた。布施先生がお年寄りたちの生活について丁寧に尋ねた結果、彼らのほとんどは全身に痛みがあって、よく眠れないことが分かった。布施先生はおばあさんに消炎薬を湿布して、「実はこれらの薬ではそんなに助けにはならないのです。心理的なストレスが不調の主な原因ですから、ボランティアの皆さんが優しく話しかけて、ストレスをなるべく解消してあげるのが一番です。」と気の毒そうに首を振りながら語った。

「顔まで変形して、DNA鑑定もできなくて、どうやって家族だと確かめるの?」戸羽宏子さんは泣きながらボランティアに話した。今回の大津波で、母親、妹と妹の夫を亡くした戸羽さんは「交通の遮断で救援を求めることもできない。黒い大津波が母を巻き込んで、何も残らなかった。」と語った。

「泣きたくなかったけど、皆さんの厚い人情が私を泣かせてしまいました。」菅野竹子さんの目には涙があふれた。ボランティアの許麗香さんは軽く菅野さんの肩をたたいていた。津波でお嫁さんが亡くなり、2人の孫だけが残された。もう限界だと思って、今日見舞金を受け取りに来たら、慈済のボランティアたちがみんな笑顔で挨拶していた。「『おはようございます』、『ありがとうございます』を聞くごとに、私の心が動いた。」と菅野さんは言った。慈済の愛があるから、彼女は、息子と一緒に孫を守って、がんばって生きていくと決めた。

92歳の佐々木さんは、高田小学校前の広場に一人で立ち、息子が見舞金を受け取ってくるのを待っていた。六月の東北地方は風がまだ冷たく、ボランティアの林秋里さんは佐々木さんにを熱いお茶を勧め、慈済の日本語版雑誌とパンフレットを紹介した。たまたま休憩所に入ってきたボランティアの謝景貴さんは、見舞金を入れる封筒に書いてある、證厳上人から被災者への手紙を佐々木さんと一緒に読んだ。佐々木さんは読みながら涙を流し、そばにいた林さんと謝さんももらい泣きをしてしまった。

市長も感動 慈済との縁を続けたい
配布の現場では、人を感動させる場面が多く見られた。今回慈済の陸前高田市においての配布に協力してくれた市役所課長の熊谷正文さんは、朝早く高田小学校の現場に着いて、配布の過程を細部まで関心を持って見守り、被災者からの質問への回答も手伝ってくれた。熊谷さんは慈済の毛布配布において、ボランティアが自分で被災者の肩に毛布をかけたのを見たことがあったが、今回の配布でも、両手で丁寧に見舞金を渡すだけでなく、被災者の方々が入ってくると大勢のボランティアたちは彼らを迎えに来て、日本語で挨拶をしていた。その効率的な配布と暖かい思いやりのようすを見て、熊谷さんはとても感動した。

熊谷さんは終わりまで参加しただけではなく、ボランティアたちと一緒に合掌して祈りも行った。「今回の見舞金配布について、慈済はすばらしい評価を受けています。ほかの地域も慈済との協力を要望しています」と熊谷さんがボランティアの陳金発さんに対して話した。「必要があれば、慈済は必ず検討いたします。」と陳金発さんは誠実に語っていた。

陸前高田市市長の戸羽太さんも訪れた。100名余りのボランティアたちが頭を下げて、両手で丁寧に見舞金を渡す姿を見て「まさに人間の素晴らしさを感じます。」と驚いていた。更にボランティアたちがすべて自費で台湾や日本の各地からきたことを知って、深く感動していた。「大震災の後、復興を目指しながらも最初は心細くて、不安もありました。慈済の協力を感謝しています。慈済との絆を代々続けていきたい」と語っていた。

今日は陸前高田市で合計696世帯への配布が行われ、4日間で釜石市と陸前高田市の合計6741世帯に見舞金が配布された。帰り道、ボランティアの洪敏昌さんは「今回の見舞金配布では、慈済のボランティアたちのやさしいふるまいが日本の被災者の方々の心を暖めた。このことが一番大切な宝ものです」と語っていた。

文/古継紅、張晶玫
訳/黄碩彦