見舞金の配付、福島が立ち上がることを望んで

2011年 12月 26日 慈済基金会
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冷たい小雨の中を慈済ボランティアは小型バスに十九人、ミニバンに三人分乗して福島県相馬市に向かった。第十回目、即ち、千八百世帯を対象にした最後の配付活動である。東日本大震災の発生から九カ月。慈済は六月九日から今日まで重被災地で途切れることなく、愛を送り届カてきた。前後十回の配付活動で、九万六千七百七十四世帯に全世界からの愛が届カられた。

放射能の影響で生計が立たない

第十回目の配付活動は、放射能汚染で生活に大きな影響が出ている福島県で行うことになった。以前、福島の人は漁業と農業、牧畜業で生計を立ててきたが、今、福島産のものを買う人はいない。住民の生活は全部、外部からの援助に頼る以外にない。その援助はまだまだ続くかどうかは更に住民を不安にしている。今回、ボランティアは住民を励まし、彼らのことを気遣っている人がいることを知ってもらおうとも思っている。

震災発生後、放射能と福島という言葉を聞いただけで、人々は顔色を変える。現地の住人である菊池節子は、「そのために福島の人は全く商売ができません。これが今、一番困った問題なのです」

仕事もなく商売もできない福島の人は、住み慣れた故郷で、援助による憂鬱な生活をいつまで続けることができるだろう。慈済ボランティアは福島の人に、忘れられてはいないことを知ってもらうために、東京からやってきたのだ。見舞金は全世界三十九カ国からの祝福であるがゆえに、途切れることなく遠い東京からやって来た。そして、思いやりと尊重でもってより多くの人が奉仕に参加してくれることを望んでいる。

大愛の種を蒔く

ある七十七歳のお婆さんがボランティアに、「生きているだけでも幸せなことです。その上に見舞金を頂けるなんて、本当に感謝しています」と言った。

慈済は東北で見舞金を配付するだけでなく、大愛の種を蒔かなくてはいカません、と證厳法師さまが言ったことがある。慈済ボランティアはこの六カ月間の活動で、無数の被災者を感動させたばかりでなく、多くの人を奉仕の列に参加させてきた。

日本人ボランティアの小倉志保子さんは相馬市から車で一時間ほどの浪江町に生まれ育った。彼女は「今回の災害で多くの人が家に戻れなくなっています。これらの人に何かをしてあげたいと思ったのです」と言った。彼女は会場で高校時代の同級生に出会った。そして、同級生は明日、妻と一緒にボランティア活動に参加すると言った。

何回も配付活動でボランティアをしてきた相羽利子さんは新潟県で行政書士の仕事をしている。彼女は二〇〇四年の新潟県中越地震の後、慈済の手伝いで緊急支援を必要としていた人々を見つける仕事をした。そこで慈済ボランティアの謝冨美と知り合い、支援活動に参加するようになった。彼女は慈済ボランティアが自費で活動に参加していることを知り、「もっと多くの日本人に慈済を知ってもらう」ことを今後の目標に置いている。

慈済日本支部の陳量達は来訪した現地の子供記者たちに、見舞金は世界三十九カ国で慈済ボランティアが集めた募金であることを説明した。彼らの質問に答えると共に、謝冨美は、人生には使用権があるのみで、所有権はない、という法師さまの言葉を紹介し、チャンスを活かし、できるだけボランティア活動に参加するよう若者たちを励ました。

自立して他人を助けることで
新たな人生を歩む

配付活動の最終日である十二月四日、小倉志保子さんの同級生は約束通り、奥さんと一緒にやってきた。縁とは奇妙なもので、その奥さんは謝冨美と同じ東京の学校の後輩だったのだ。

今回の大震災で離れ離れになった人も思いがけず再会した人もいる。十回の配付活動の会場には悲しみも喜びもあり、人と人の情が行き交った。

日本人ボランティアであれ、慈済ボランティアであれ、誰も言葉を多く必要とはしなくなった。手振り一つ、眼差し一つで次にするべきことが分かった。責任を買って出ることは真の技量であり、喜んで協力するのは真に智慧がある人である。あちこちに見返りを求めず奉仕すると共に感謝する人が見受けられる。一番感動的なのは、被災者たちが法師さまからの慰問の手紙を聞いている場面である。

相馬市の市役所窓口を担当する課長は、慈済ボランティアの心遣いと被災者の感動や感謝の気持ちを見て、再度来てくれることを望んだ。遠く山梨県から来たボランティアの末木忠男さんは、「この二日間、被災者と話をしましたが、泣き出す人もいました。僕はこの見舞金を大事に使うようにと言うと、皆さんの愛を使いたくないので取って置くと言っていました」と言った。「また、慈済ボランティアの皆さんが何でもやるのを見て、帰ってからは少なくとも自分のことは自分でするようにします、と言っていました。僕はこのボランティアの服を脱ぎたくありません。必要とあれば、直ぐに飛んでいきます。皆さんが僕みたいな新米ボランティアを旧友のように扱ってくれたことをとても嬉しく思います」

愛でもって愛の心をもてなす。九カ月間、慈済ボランティアは十回、東北に出向き、愛を携えて人々の生活の再建に付き添ってきた。

文・張秀民、沼田青寶、李淑娟
訳・済運