国際援助

2011年 5月 02日 慈済基金会
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1991年のバングラデッシュ洪水被害の援助を契機に、慈済の国際災害援助活動の序幕が開かれました。今日では援助対象が全世界のさまざまな国や地域に広まっています。海外の支部と国内の慈済人が協力して活動を行っています。

慈済は、被害を蒙った国に対して、食糧や衣類、農作物の種、医薬品などを緊急援助する以外に、家屋建設や水源開発、さらに施療奉仕を行っています。こうしたさまざまな活動は全て、「生命の尊重」の理念の下に行われています。 

2005年12月26日、スマトラ沖地震による津波がインド洋の12カ国を襲いました。慈済はインドネシアのアチェ州を重度被災地区に認定し、救援活動を展開しました。2005年からアチェ州で三つの大愛村が次々と建設され、診療所や学校などの公共施設も作られました。

もう一つの重要援助対象はスリランカのハンバントタです。緊急援助の後、2005年6月に起工した大愛村は2006年の2月から続々と竣工し、村には地域活動センター、集会所、隣組センターなどが併設されています。2008年1月5日、慈済の援助で建てられた慈済国立中学校の校舎が落成しました。

2008年5月3日、サイクロンがミャンマーを襲い、ひどい被害を起こしました。ミャンマー政府の許可を得て、台湾、マレーシア、タイの慈済ボランティアは被災地に入り、物資配布と施療を行いました。被災者に種もみと肥料を配布し、学校5校と大愛村を援助建設しています。

台湾と中国大陸の間には複雑な政治事情がありますが、政治に一切関わらないとの原則を守る慈済では、災害が多く貧しい中国大陸の人々にも並々ならない関心を持っております。1991年に中国の中部と東部で大水害が発生した際に初めて援助活動を行って以来20年近くもの間、中国各省で各種慈善事業を行ってきました。冬季に援助物資を配布するほか、災害にあった村や老人ホーム、小中学校などの建設、さらに貯水タンクの建設などの援助活動を行っています。2008年には政府の許可を得て慈済基金会の支部を設立しました。

2008年5月12日、中国四川省でマグニチュード8の大地震が発生しました。慈済は災害発生の3日後に被災地に駆けつけ、弁当、毛布、薬品などの物資を配布しました。世界各地の慈済人も募金活動に奔走しました。四川省には17回に亘って災害援助チームを派遣し、被災地の洛水と漢旺にサービスセンターを設立し、慈済人医会の台湾人メンバーと北京、四川の医療人員が力を合わせて施療活動に当たりました。倒壊した学校の再建事業「希望工程」も現在進行中です。また、漢旺リサイクルセンターを設立して、地球を愛惜するために尽力しています。

2008年8月から9月にかけて4度の台風に見舞われた貧国ハイチは、さらに深刻な食糧不足に陥りました。災害発生後、慈済は調査隊を現地に派遣し、慈済米国総支部のボランティアが2度に亘って物資配布活動と施療を行いました。2010年1月、今度はマグニチュード7の大地震がハイチで発生しました。地震によりインフラが寸断されるなど困難を極める中、食糧配布や施療などの援助活動を逸早く行いました。また、災害後の物価高騰といった状況を考慮して、被災者に労働の代価として賃金や食糧を支給する被災者雇用計画を推進しました。

慈済の国際援助活動の原則は「直接に」「重点的な援助を」「相手を尊重して」行うことです。海外援助は相手国の所轄機関に作業を託すのではなく、初めから終わりまですべて自分たちの手で行います。適確な援助を行うために、まず現地に行って綿密に現地調査を行い、救援対象者の選定をします。この調査結果に基づき、必要物資を準備します。そして物資を支給する時には慈済人が現地に赴き、自らの手で直接、救援対象者に手渡しますが、この時、相手を思いやる心配りを忘れません。「施しをしてあげている」という気持ちでは決してなく、「奉仕を受け入れていただいた」という感謝の気持ちを持たなければならないと考えるからです。人と人とのふれあいを通じて、助ける方も助けられる方も、お互い尊重しあえる関係をつくることが大切だと考えています。