鉄骨の骨組み――安身 記憶を残す建築――安心

2010年 6月 01日 慈済基金会
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朝日が東の空に昇り辺りを包んでいた霧が消えてしまうと、グレー色をした新興団地の姿が徐々に現われてくる。

コスモスが満開に咲く緑色の丘が団地まで続いている。水はけのよいインターロッキングブロックを敷いた歩道は環境保全にも役立つ。ボランティア一人ひとりが心をこめてブロックを敷き、この杉林大愛団地を築き上げたのだ。

団地を設計した建築士の一人である郭書勝は、慈済の大愛村建設事業の原則である「緑の建築」(環境保全とエネルギー節約、CO2削減を目指した建設)を採用したと語った。住民にはさまざまな民族がおり、文化や宗教も異なる。その人たちが一つ処で共同生活をする。だから、如何にしてこの土地に彼らが馴染み、互いに融合してそれぞれの文化を発展させられるかが、設計に当たっての大きな挑戦だったと説明した。

恒久的な安全と天災による損害防止を目指し、地震に耐えられるように設計するのが建築の基本原則である。建材と空間設計や環境保全、エネルギーの節約、CO2削減を重視しなければならない。団地のレイアウトは原住民の集まる教会や広場などの公共空間、お年寄りが集う地域の会館、活動センターなど、順次に完成しつつある。建築チームは細心に各方面の構造に気配りし、斬新的な技巧で国際レベルのモデルとなる大愛村を築きあげたいと期待している。

台風防止と耐震
大愛村の住宅は二棟連結で洗い出しの壁、三面に窓をつくって採光をよくしてある。玄関と外側の廊下が美しい、まるで別荘のような家である。

中型の家屋は三十坪、大型は三十六坪ある。みな二階建てで、三つ~五つの寝室と二つの浴室がある。階下のダイニングキッチンは一家が団欒する憩いの場である。

住宅には綿密な細工が施され、先進技術を駆使した丈夫な骨組みが採用されている。梁は鉄骨を使い、壁は軽質のコンクリートで作り、屋根の瓦は隔熱のスラブを使ってある。

一般の鉄筋コンクリートより軽質の、高層建築に使われる軽量鉄骨で建てられた。四階建てのビル建設に使われるボルトで固めてあるので、四階の建築の重さに耐えられる。これらの骨組みはみな大きな台風と地震を防ぐのに必要な処置である。

軽量コンクリート壁の施工は、工事の速度が速い上、環境保全も兼ね備えている。保温や防熱、防火などに効果がある。家の中を常に涼しく保てるので、空調を使う頻度が少なくなり、エネルギーの節約やCO2削減にもなる。

近年、台湾であまり見られなくなった両面が傾斜した屋根は水はけがよく、外観も美しい。屋根と天井の隙間には排気孔を開けて、空気の通りをよくし、太陽の熱もさえぎることができる。

二棟連結の住宅は三面に窓をつけ、通風をよくしてある。採光も充分足りる。窓は「押し開き式」を採用した。建設業者の許長欽さんは、「一般の左右開きの窓は空気の流通がよくないのに対し、『押し開き式』の窓は室内に空気がゆき渡り、気密なので空気が洩れず、雨や台風にも耐えられます」と語る。

教会、祖先の祠、地域会館
プロテスタントやカトリックを信仰するキリスト教徒である原住民にとっては、教会は信仰の中心で、その地位も高いものである。

大愛団地には二つの教会がある。那瑪夏郷の南沙魯村の長老教会と桃源郷宝山村のセブンスデー・アドベンチスト教会である。人々が無理なく帰属意識を持てるように、二つの教会ともかつての教会の外観を模して建設した。

郭書勝さんは言う。「大愛団地に建てる教会は元の教会と同じ姿形にしようと皆の意見が一致しました。村の長老たちもそれを聞いて非常に喜んだ。私たちはキリスト教徒の建築士を建設企画に参加させて、教会内部の配置や細部について住民の希望と習慣に合わせて設計しました」と語る。

過去の記憶を尊重した建築は、住民の傷ついた心を癒すのに大変役立った。新しい団地に移ってきた住民が、見慣れた教会を見て故郷に戻ったように感じられる。精神的にこの新しい土地に根づくことができ、生気が甦る助けとなった。

大愛団地にはいくつかの広場もあり、住民の祭典に使えるようになっている。「平安広場」は起伏のある丘で、あちこちに石で作った椅子が並べてある。教会の前にはいろいろな催しができる大きな広場がある。「台湾南部の冬は暖かい。日曜日の礼拝の後、教会の回りで太陽の光を浴びながら、遠方の景色を眺められるようにしました」と景観設計士の陳瑞源さんはにこにこして語る。

一方、「希望広場」には、漂流木を利用して舞台を作り、祭りや活動に使えるようにした。その後方には十軒の事務室や手工芸の教室になっている。

慈済の建築チームも広場に原住民の先祖を祭る祠を建てる計画をしている。主に原住民が自分たちで設計し、昔から伝わる建築文化を受け継いで、皆で共有できる祠を建てるのである。
年長者を敬う原住民の美徳の観念から、四軒の「地域会館」が作られた。二階建てで、階下は交流の場となっており、二階には寝室がある。郭書勝さんは、「一人暮らしのお年寄りが小型の住宅に住んでいますが、休日に子供が帰省した時、部屋が足りなければこの会館を利用できます」と語る。

原住民地区と漢民族地区には各自の活動空間がある。大愛園区の「活動センター」は将来、医療や職業訓練、託児所などに利用する予定だ。



大愛団地に足を踏み入れてみると、家々は互いに入口が向い合い、掃除をする人や涼み台に坐っている人の情景が見える。窓はみな開いていて、涼しい風が入ってくる。台湾南部は気温が高いのだが、室内は涼しくて気持ちいい。

荷物はまだ解かないまま、家の主人は忙しく新居祝いに来る客を迎え入れる。玄関は来客の靴で埋もれ、おめでとう、おめでとうの声で家中は喜びに溢れる。

このような情景を見て、建築士の郭書勝さんは感動した。昔はもしある家が新しく家を建てる時には、村全体が力を合せて完成させたものだった。「大愛団地の建設は、全世界の愛の心が集まって被災者を助けて出来上ったもので、本当に感動します」と語る。

郭書勝さんは昨年八月末に大愛団地の設計事業に参加して以来、幾度も住民とコミュニケーションを行ってきた。「台風八号で私の故郷も大損害を受けました。大愛団地の企画に参加することは道義上当然のことです」と彼は心身ともに力を尽くして奉仕をしている。

工事が始まる前までは予期しない問題がいろいろと起こり、始まった後も時間が切迫していた。「プレッシャーが大きく、予想していなかった変化も多かったが、證厳上人さまのお諭しを胸に、変化の中から智慧を生む尊い経験を得ました」。

半年来、体力と知力を使い果したが、この建設に関わる人達が互いに励まし合い感動している姿が、勇気を与えてくれたという。「それに十年前の台湾中部大地震の時の『希望工程(台湾中部大地震により倒壊した学校の再建プロジェクト)』を思い出すと、新たな力が沸いてきました。今、被災者が喜んで新居に移るのを見ると、感慨無量で言葉が見つかりません。彼らが再び天災の恐怖に遭うことのないよう祈ります。未来に向け、新しい生活を切り開くことができるよう全世界の慈済人は祈っています」。

慈済月刊五一九期より
文・頼怡伶/訳・重安