大愛村の起工を迎える

2010年 1月 01日 慈済基金会
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【台風八号が去って百日目】

かつてない大災害をもたらした台風八号が去って百日目の二〇〇九年十一月十五日、被災者は悲しみを乗り越え、喜びに満ちてこの日を迎えました。被災者が首を長くして待ちに待っていた新しいふるさと再建の起工式の日です。シャベルを土にさし入れたとき、喜びの声をあげる人や涙をぬぐう人もいました。故郷を失ってから百日、最も心温まる一刻でした。

今年八月八日に台湾南部を襲った台風八号が去ってから百日が経ちました。那瑪夏、甲仙、杉林、美濃、六亀、桃源、茂林が壊滅的な被害を受け、他所への移住を余儀なくされました。移住先として政府が提供した高雄県杉林郷月眉農場の六十ヘクタールの土地に、慈済が住宅建設を援助することになり、この日、起工式が行われる運びとなったのです。

起工式には、将来この新しい村に移り住む被災者のほか、総統と行政院長、高雄県長ら政府高官、鴻海企業グループと慈済ボランティアが参加して、この歴史的な一刻に立ち会いました。会場は熱気に満ち、祝賀の声や歌声が絶えませんでした。

この新しい村に移り住むことが決まっている那瑪夏郷南沙魯村のアリは、この日を待ち望んでいたと語りました。「新しい村に移り住む同意書にサインした後、希望は持てたもののまだ実感はわきませんでしたと感じ、毎朝目が醒めるとそこは避難所の兵営で、他人の屋根の下に身を寄せているという状態です。一体本当に自分の家ができるのだろうかと半信半疑になってしまうのです」。

慈済は被災者雇用制度を採用し、被災者を作業員として雇ったので、村人の多くが建設現場で働いています。まだ工事現場に行ったことのないアリは、その人たちから工事現場についてきいていますが、この目で見るまで信じることはできませんでした。

起工式で歌と踊りを披露することになり、リハーサルのためアリは式の前日皆と工事現場を訪れました。すでに整地を完成した一面の平坦な土地に佇んで、初めて安堵の胸をなでおろし、「私たちの『自分の家』が本当に建てられるのね!」とつぶやきました。



ブヌン族伝統の「十字刺繍」を施した青色のチョッキを着て、頭に鉢巻を結び、アリは村人とブヌン族の「凱旋の歌」を踊りました。ブヌン族の年間恒例行事に「打耳祭」という祭典があります。その結びに豊作を祝って「凱旋の歌」を唱います。

ブヌン族が起工式でこの「凱旋の歌」を披露したのは、新しい村がつくられる吉報のほか、あるめでたい知らせを伝える意味を含んでいました。それは自分たちが故郷の土地を離れるのは、山林に休養を与え、傷ついた大地が自力で回復できる機会をつくるというものです。

内心の葛藤の末、住みなれた故郷を離れ、安全な所に住んで、家庭と伝統文化を存続させていくことに決めたのでした。アリは、「万一再び台風災害が発生した際、平地の方が避難しやすい。これまで住んでいた山地では、救助されるのは早くとも三日後のことです。生命あればこそです」と言いました。

アリは、身にまとっている青色のチョッキについて説明してくれました。これは借り物で、ブヌン族の伝統装束はもっときらびやかだという。「残念なことに全部土石流に押し流されてしまいました」。

十字刺繍は時間がかかり、複雑な模様なので一枚作るのに二~三カ月かかります。「旧正月に新居が落成する暁には、本物の伝統装束を皆様にお目にかけましょう」と約束してくれました。アリの顔には未来に対する希望が溢れていました。

百日この方、各方面の多大な努力により、被災者の新しい故郷となる大愛村の建設は進展しています。村人たちは絶望と悲しみの淵から新しい希望に満ちた今日まで耐え忍んできました。これからはこの新しく生まれ変わった土地から未来をつむいでいくのです。


文・凃心怡/訳・王得和/撮影・蕭耀華