世の中のためになることを自分のこととしてする―許明賢のボランティア人生観―

2010年 11月 01日 慈済基金会
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【台湾大水害の後・慈済大愛団地の落成】

強い陽射しや雨にも負けず
工事を進めるために励む
建設ボランティア(注)の許明賢は
自分の持ち場を百三十日間守り通した
慈済の大愛の家を自分の住む家と思い
高水準を目指して心を込めて造る
何事も自分のことと思ってすると
どんなことも辛いと思わない

慈誠隊(慈済の男性ボランティアで組織するグループ)のネクタイをしめ、青のシャツを着た許明賢は車から下りると、素早く雨靴に履きかえ、ヘルメットをかぶり、工業用の巻尺と携帯用コップをズボンのポケットに押し込むと、早足で工事現場へと向かって行った。
三月二十一日に、台南玉井の慈済大愛団地の建設が始まってから八月三日に新しい家ができあがるまで、許明賢は始めからずっとこの服装で「建設ボランティア」の役を勤めて、工事現場主任の手助けをした。建築会社が建設作業の品質とスピードを両立しようと励んでいる時も、ボランティア達は協力を惜しまず、村の人達が一日も早く、安全で住み心地のよい家で暮らせるようにと頑張った。

監督するのは義務
一九九九年、許明賢は扁桃腺ガンに罹った。最後の化学治療をした後に後遺症が残り、口の中の唾液腺が少なくなり、いつも口の中や舌が乾いて、水分をたえず補給しなければならなくなった。味覚にも変化が起って、甘いさとうきびのジュースを飲んでも辛く感じたりする。皮膚にも赤い斑点ができて、日に当たり過ぎると痛くてたまらなくなる。

もともと建築や室内デザインの仕事を何年もしてきた経験があるので、台南の静思堂を建て始める時から、彼はボランティアとして慈済が台南で手掛ける工事に協力して来た。

二〇〇五年に起工した台南慈済小中学校や、昨年の台風八号の被災者のために建てた大愛の家などにも始めから義務監督として熱心に勤めた。

毎朝誰よりも早く台南静思堂に行き、各階の窓を開け、一通り見回りしてから玉井にある大愛団地の建設現場へ行く。基礎工事から詳細に工事の細かい所まで見ている。コンクリートの厚さ、また、コンクリートを流し込む時には鉄筋は必ず石ころやレンガを敷いて少し高くして、上下とも保護するように、鉄筋は直接土地に触れると酸化のおそれがあるのでとくに注意する。

五月に梅雨の時季が終わると、気温は一日一日と高くなる。そして台風も近づき周囲の気流の影響を受けるようになる。もし雨が降ったり、陽射しが強くて堪えられない時には、工事の進行にも少なからぬ影響が生じる。雨が続くと建設作業員たちはいろいろと心配する。許明賢は現場に行けないときには電話をかけて、慰め励ます。

いつも建設現場を走り回っているので、ヘルメットを脱いだ時に、顔にはベルトの痕がくっきり二筋白く浮かび上る。現場から市内に帰った時には体中汗だくだくになっているか、雨に打たれてずぶ濡れになっている。だが、台南静思堂に入る時にはきちんと身だしなみを整えるため、いつも車中に清潔な制服とシャツの着がえをちゃんと準備している。

仕事の手順に注意
七月二日、玉井の大愛団地へ来られた證厳上人は、第一期工事十八戸がわずか七十三日で仕上げられたことを聞き、建築グループの心構えにとても感謝された。が、第二段階の入居者の資格審査が終わって五月二十一日から始まった第二期の工事こそ、本当に困難極まるものであった。

たった八戸を建てるだけであったが、ちょうど雨期に当たり工事の日程はもっと短くなってしまった。また、家が建て上がった後は、県政府による公共工事が行われる。それが済んでから慈済が地面にインターロッキングブロックを敷き、周囲の環境を掃除して村の人に住んでもらえるよう準備する。実に細々としたいろいろな作業が繋ぎ合わさって、ようやくできあがる。建設する人達の肩にのしかかった圧力は言葉で言い表せるものではない。

許明賢は工事を順調に少しでも早く進めるためには、工事の段取りが大切だと考えている。まず先に請負業者にこちらの求める品質などをよく説明する必要がある。そして建設が始まると、工事を受持つ人達の仕事のやり方に注意する。そして自分の期待に合わぬ時には、すぐに相手に改善するよう注意して、間違ったまま仕事を続けて進度を誤り、余計な追加予算がかからないようにする。

もし工事が予定通り進まず問題が起きた時には品質も低下する。そこで許明賢は現場主任と力を合わせ、すべての部門と連絡を取り合い、仕事の段取りが順調に行くように努めたので工事の進度も順調に行き、それでこそ仕事の品質を要求することもできる。

「急いではことを仕損ずる」ということわざがある。ただ急いで仕事をするばかりでは、決してよい品質のものはできない。許明賢は、「順調に仕事を進ませることは、つまりは仕事を請負った相手の金もうけを手伝って上げることになるのです。彼らにお金をもうけさせ、また工事をよいものにするということは、結局は自分自身のためになるのです」と言う。

彼はまた、自分の「細かいことでも気にする」性質をよく分かっている。どんなことでも一旦やると決めたからにはとことん徹底して打ち込む。十一年前に花蓮の静思精舎で法師さまから慈済のことを「自分のこと」と思ってするようにといわれた言葉を今も忘れない。

「『自分のことと思ってする』。この言葉には深い意味があります。私はどんなことをするにも、いつもこの言葉を思いそれを実行しています。人間は誰でも自分が第一という心があり、何よりもまず自分のことを考えます。だからどんなことでも一番よいものにします」と、許明賢は笑いながら語る。大愛の家を自分の住む家だと思うと、自然に自分が住みたいと思うものにできあがる。そして何事も「自分のこと」と思うと、それをするにも少しも苦労だと思わない。

自分の家と思って建てる許明賢は、建築業者に向かう時も自分のことを当事者と思い、こちらの要求する品質に及ばなかった時には、よく話し合ってアドバイスし、できる限り改善してもらえるようお願いする。



会社の経営者であった許明賢は、慈済の中で自分の能力を思う存分発揮できるので、今までの地位を捨てて、へりくだった気持ちで人に対している。彼は建築現場ではいつも建設作業員たちと一緒になって打ちとけている。

工事現場の監督の入れ替わりがあり、許明賢はボランティア事務所の協調センターにもどった。冷蔵庫や茶飲み場、果物置き場の中の物が充分にあるかどうか気にかけ、三、四日毎に出盛りのパイナップルや西瓜、マンゴーなどを補給して皆が暑さに負けぬよう気を配った。

彼の細かい心遣いはこれだけでなく、七月二十一日大愛の家入居希望者のくじ引きの時には、住居にどんな家具を必要としているかを調べて行政部門の人達に品物が着く日には注意するようにと言った。八月十日はちょうど旧暦の七月一日で、台湾のしきたりでは旧暦七月に引っ越ししたりすることは忌み嫌う。それでいくらおそくても九日までには家具類を運び込むようにと、家具の工場に頼んだ。

八月三日の午後に入居式が行われた。許明賢はこの日のため、何日も朝早くから現場に来てあれやこれやと手配してきた。入居式の日、昼近く皮膚は日焼けして、唇も皮がむけていた。準備もほとんど終わり、彼は安心して家に帰って休んだ。

「人生とは無常なものです。私はこれをしようと思ったら始めから最後まで必ずやり通します」。許明賢は大らかな声で「私のしたことは少ないですが、師に何ごとかあった時、弟子は必ずそのため尽くさなければなりません。法師さまの負担を少しでも軽くしてさし上げるためには、未来の時間は借りることはできないのだから今を大切にして何事も行うのです」と言う。

(注)慈済の建設事業に協力する慈済委員


慈済月刊五二五期より
文・葉文鴬/訳・張美芳/撮影・顏霖沼