頭を使い手を動かし 輝く晩年を作ろう

2010年 10月 01日 慈済基金会
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台湾には六万七千人もの環境保全ボランティアがいる。そのほとんどは高齢者で、義務教育も受けていない人もあるが、リサイクルの仕事にかけては第一人者、「地球を愛する」話になればどんな専門家にも負けない。

汗を流して喜んで奉仕する白髪のボランティアたちは、食べて寝るだけの毎日を送りこの世とサヨナラする日を待っている「三等族」ではないという事を示している。そして子孫を守り地球を守る、永遠の若き勇者たちである。
 
早朝四時半、台北関渡。盧王金環は軽い足取りで慈済関渡園区へ入って行った。彼女は環境保全ボランティアである。毎日責任をもって「こわす」仕事をしている。回収して来た雑誌や本、広告用紙などを一ページずつ破って、カラーのものと白黒のものに分けるのである。

朝六時、高雄。南台湾の太陽はもう高く昇っている。許おばあさんは杖をついて笑顔を満面に浮かべ、高雄市苓雅区の喜捨リサイクルセンターにやって来た。先に来ている人達にあいさつをしながら、いつも決まった席の小さい椅子に座った。そして細心の注意を払いながら、カセットテープやビデオテープをほどき始めた。回収できる銅や鉄やプラスチックと、回収できないビニールテープに分けるのである。

朝八時、雲林。阿巧おばあさんは、出勤する息子と嫁、学校へ行く孫を送り出した後、食事の後片づけをし、洗濯物を干し終ると、古い自転車に乗って斗六のリサイクルセンターへやって来た。マスクをし、手袋をはめて、うつむいてボトルや鉄缶、アルミ缶、紙パックなどの仕分け作業に没頭する。

「拍手する手でリサイクルをしましょう」。この言葉は二十年前、證厳上人がみなに呼びかけられた言葉である。この言葉に応えて環境保全ボランティアが続々と現れ、二十年後の今日、台湾の各県市はもとより田舎の小さな町や村にまでも慈済の環境保全教育センターが設立された。また、あちこちの村の路地や空地や家々の庭に小型のリサイクルセンターがある。

都会、田舎町、山里、海辺の町、離島・・・・・・。あらゆる場所に慈済の環境保全ボランティアの姿が見られる。そしてその人達の多くは髪の白くなった年配の人達である。この人達は町のあちこちや路地の隅まで探して空瓶や空缶を集め、市場や工場でダンボール箱を集める。また、リサイクルセンターを職場と看做して、毎日規則正しく「出勤」してくる人もある。

リサイクルをすることは彼らにとってはまるで「お年寄りのニューパラダイス」のようなものである。

人生の路を見つけた
「昔は商売をしていて忙しく大変でしたが、リタイヤして何もすることがないのは、もっと辛いことでした」。七十七歳の盧王金環は、若い時は海産物の卸売りをしていた。リタイヤした後にはやることが何もなくなり、まるで運転中の機械が急に停まって動かなくなったようになってしまった。このまま動かずにいたら、「無用の廃棄物」として捨てられるのを待つだけ、と思っていた。

息子はそれを見て心配し、お寺にボランティアに行ってはと母に勧めた。縁とは不思議なもので、大愛テレビ局を参観した時に「新大陸」を発見した。それは慈済関渡園区のリサイクルセンターである。

「関渡へ行ってリサイクルをする」と母が言った時、当時新型肺炎が流行していたこともあり、息子は強く反対した。二カ月後、老母はやはりどうしても行くと言い、関渡に小さい部屋を借りて一人で住むことに決めた。

盧王金環は笑いながら、「息子も嫁もとても親孝行でね。時々『突撃検査』にやって来て、私がちゃんとマスクをしているか見に来るのですよ」と話す。

七年この方、盧王金環は年中無休で働いてきた。息子は母に携帯電話を持たしたが、めったに電源を入れないものだから、連絡がなかなか取れない。息子が不満を言うと盧王金環は、「心配しなくても大丈夫よ。私は健康だし、ここでは毎日運動ができて、頭も使うのよ。リサイクルを甘く見てはいけないよ。注意しないと間違えることもあるしね」と言う。

「閑ですることのない人はかわいそうなものよ。私の友達なんか、旅行に行くとか、カラオケに行って唄ったり踊ったり、たまに同級生同士集っておしゃべりしたり食事したりするだけで、誰が亡くなったとか、誰が入院したとかと言うことばかり話している。本当に……」

「リサイクルをして地球を救うことができるばかりか、自分を救うこともできる」と盧王金環は今の生活にとても満足している。

「リサイクルをすればするほど健康になっていくわ。ここへ来たおかげで、人生で行くべき路を見つけることができた」

七十八歳の阿純おばあさんも早起きの人である。五時には北投の診療所へ行って約二時間掃除をし、掃除が終わるとバスで関渡のリサイクルセンターにやって来る。「自分の小遣いは自分で稼いでいるから、子供達からもらう必要はありません」と言う。子供や孫も孝行で、休日にはみなが一緒にリサイクルをしている。

「私は昼間は『一人暮らしの老人』です。もしリサイクルセンターに来なければ、何もすることもなく、家でテレビを見ているだけでしょう。そして見ながら眠ってしまうのです。私がテレビを見るんじゃなくて、テレビに私が見られるわけですよ。リサイクルセンターで大勢でにぎやかにおしゃべりしながら仕事をしていると、時間が過ぎるのがとても早く感じられます」と言う。

お年寄りにとって一番心配なことは病気になること。まして死を何より恐れている。しかしリサイクルセンターでは、見渡すかぎり「年を取っても元気いっぱい」「年は取っているが充分役立つ」人達である。ある人はリサイクルを始めてから、持病がいつの間にかなくなってしまったという。

老人だって一人はこわくて淋しい。誰にも相手にされないという思いは、老人をなおさら臆病にする。私は「余計」な人間だろうかと悩んでしまうのである。しかし、リサイクルセンターでたくさんのゴミをきちんと分別して、きれいに積んでいるボランティアは、これらの資源を売って得た収入は大愛テレビ局の運営資金となることを知って、大きな達成感を感じている。

お年寄りにも仲間が必要
林夏は体が弱く病気がちで耳が悪い。毎日家で何もすることもなく過ごしている。居住先の日本から台湾に帰ってきた妹の林素子は、姉の元気のない様子を見て、リサイクルセンターに姉を連れてゆくようになった。こうして林夏も簡単な仕事をするようになった。ボランティア達の関心を受け、いつも浮かぬ顔をしていた林夏の顔に明るい笑みが戻った。

日が経つにつれ顔色もよくなり、体力もついてきた。最初の頃、彼女は誰にも知らせず内緒で来ていたが、後になり「よいものは皆で分かち合おう」という教えの心に従い、夫を誘って来るようになった。今は「婦唱夫随(ふしょうふずい)」で一緒に仲よくよい老後を過している。

林夏に似た名前の林夏会は、大柄で声も大きいおばあさん。七十二歳の彼女は台北県三重に住んでいる。毎日リュックサックを背負って杖をつき、バスに乗って関渡のリサイクルセンターまで通って来る。リサイクル作業のほか、林夏会はボランティア達に理髪をしてあげる。「私は十六歳で弟子入りし、後には自分の店を開きました。今は年を取ったのでボランティアをしています」「明日は男性ボランティア達の理髪をしてあげましょう」と言った。

「あるお年寄りの慈済ボランティアは梅干しや果物の蜜漬けなどを作り、小瓶に入れて皆に分けています」と、いつもリサイクルセンターに詰めているボランティアの黄蕙貞は言う。「夏にはのどの乾きを止める薬草の青草で冷たいお茶を作ってきてくれる。お正月には香ばしいお餅を焼いたり、草餅など、みな彼女の心のこもった差入れです」。

黄蕙貞はいつもボランティア達がお互い深く思いやっている姿に感動している。「そりゃ年寄りですから気の短い所もあり、時には小ぜり合いの起こる時もありますが、みな法師さまの言われた言葉を思い出し、またボランティア達の『愛の恵み』を分け合って、お互いに反省し合って細かいことは気にせず、腹を立てずに仲よくしています」。

子供には子供の遊び仲間があり、若い人にもそれなりの仲間があるように、お年寄りにもお年寄りの仲間がある。気の合う仲間があり、やりたいことを一緒にするグループもあるということは本当に幸福なことだ。

【環境保全ボランティアの姿】


昼間の老人クラブ
この日テープの分解をしているお年寄り達は皆慈済の制服をきちんと着ていた。あるボランティアの親戚が亡くなったので、告別式に参加するためである。

「麗蘭はお医者さんに診てもらったの?」とある人が尋ねた。「あの人昨日は一日ぐったりしていたの。呼吸も苦しそうで、様子がおかしかったわ」。

「モダンなママ」というあだ名の盧さんは自分の経験を話す。

「自分で勝手に薬を止めたりするのはいけないわ。そして気持ちを大らかに持ち、つまらぬことでくよくよしないことが大切です」と言う。

「家に連れて来て温泉にでもゆっくり入れば少しは気分もよくなると思ったのだけど」と上品な感じの劉麗香が言う。「私が見た所、あの人は一晩中ろくに寝てないようです。私まで一緒に眠れませんでしたよ」。

麗蘭には三人の子供があるが誰とも同居していない。一人暮らしで病気になってしまった麗蘭を、黄蕙貞はとても不憫に思っている。以前に何回も彼女を連れて身心医学科に診てもらいに行った。

「麗香は麗蘭より年を取っていて境遇だってもっと悪い。それでもそこから抜け出ることができたのです」と黄蕙貞は言う。「お互いに助け合い、いつくしみ合う。この心は本当に人の心を打ちます」。

三年前、劉麗香は息子が投資に失敗したため、家を売り貯金もすべて投げ出して借金を返済した。その時彼女は七十歳にして一生働いて得たすべてを失ってしまった。そして可愛がっていたおいが何が原因か自らの命を断ってしまった。劉麗香はほとんど生きる気力も失ってしまった。

家も失い、息子は外国に行ったので、彼女は自分一人で八里の温泉のついた小さな部屋を借りた。何もかも失い、生きる気力もなくした彼女は、どこへ行き、何をすればよいのか分からずさまよっていた。バスに乗って慈済人文志業センターの前を通る時、駆け込んでいって助けてもらいたいという衝動に駆られたこともあった。

とうとうその時機がやって来て、彼女はリサイクルセンターに来た。センターでは大勢のボランティアが心づくしの思いやりで接してくれ、次第に元気をとりもどした。「以前の麗香は憂いに満ちた顔をしていましたが、今は毎日喜びに満ちあふれています」と黄蕙貞は言う。「彼女は本当に心から、慰めを必要とする人達を温くいたわり愛しています」。

「どこの家にも悩みごとはある」ということわざがあるが、年取っても仲のよい友達と一緒に仕事をしたり、汗を流したりしている間に、心を悩ませていたもろもろのことが、まるで廃棄物と同じように「回収」されていった。リサイクルセンターに来てかえって喜びを得ることができた。ボランティア達はお互いに面倒を見合い、励まし合う。「若い人は経済のため頑張り、我々老人は慈済のため頑張る」と言う。

「息子や嫁が出勤する時に一緒に車に乗せてもらってくる人や、また娘が毎日送り迎えをする人もいます。ここはまるで昼間の老人介護施設だねなんて冗談を言っていますよ」と黄蕙貞は言う。

ある時、盧王金環が回収した古紙の中から、家と土地の所有権利書と小切手や債券などを見つけた。センター長の廖永響がすぐに、持ち主に取りに来るように通知したところ、持ち主はすっとんでやってきて大変感謝し、どうしても礼がしたいと言ってきかなかった。

「どうしても断りきれなかったので、それではケーキでも下さい、私達みなで一切れずつ分けて頂きます、と言いました。そうしたらその人は、特大のデコレーションケーキを持って来たので、私達もびっくりしました」

千歳クラブ
花蓮県北部の片田舎、新城郷北埔村にあるリサイクルセンターを訪ねてみると、お年寄り達がアイスキャンデーを食べていた。「ある慈済ボランティアが送って下さったんですよ」と言う。このセンターには特別な名前がある。その名は北埔同窓会。十数名のお年寄りの年を足したら千歳以上になるので千歳クラブとも呼ばれている。毎週二日、センターに集って回収物を整理分類している。

センターの責任者は林秀蝦で、年は六十歳を越している。台湾中部大地震の後、ゴミの中から資源を拾い集めるようになった。自宅の敷地に集められた回収物を見て、隣近所の人が回収に加わるようになり、今では「リサイクル兵団」になった。

センターの人が中古の車を寄付してくれたので、分類したものを回収場に持って行くため、林秀蝦は運転を習うことにした。その時もう五十五歳で字も知らない。猛勉強の末ついに運転免許を取り、中型のトラックを運転することになった。ある時、和平村に古紙を取りに来てほしいと電話があり、彼女は恐る恐る車を運転して断崖絶壁の上を走る蘇花公路を走った。「免許証を取ったばかりで、後から大型トラックに大きい音でクラクションを鳴らされ、こわくてたまりませんでした」と当時を回想して語る。

「センターには、片手に石膏をつけて、片手だけで分類をしている人がいます。また、腰にコルセットをつけながら、休まず仕事をがんばっている人もいます」。林秀蝦は、多くの年配の人は字も知らないけれど、リサイクルの仕事にかけては修士や博士にも引けをとらないと話す。

老人の命のリズム
米国作家のゲイリー・スモールが書いた『長生きするためのバイブル(The Longevity Bible)』の中に、長寿の八大秘訣が書いてある。それは、頭を使うこと、前向きに考えること、社交活動をすること、ストレスを解消すること、環境に慣れること、運動をすること、健康な飲食をすること、医療の力を借りること、だという。

「人はもし床に臥せったままで一週間いると、筋肉のリハビリに一カ月かかります。だから年を取ったら絶対に運動が必要です」と大林慈済病院老人医学科で多くのお年寄りの病気を診て来た蔡坤維医師は言う。「団体や社交活動に参加するということは、お年寄りに自分にも仲間がある、できることがたくさんあるという自信を持たせ、落胆の心をなくします。スモールの本に書いてある八大秘訣は、慈済のリサイクルセンターにすべてあります」。

「生老病死はすべての人間が経験するものです。しかし、リサイクルセンターは命のリズムを調整し、生活を楽しく秩序のあるものにします」と、大林慈済病院心身医学科の徐鴻傑医師は言う。

「今を大切に生き、今を惜しむ。慈済リサイクルセンターはこれらのお年寄りを大切にし、『安らかな晩年』を過ごせるようその役割を発揮しています」

慈済月刊五二四期より
文・陳美羿/訳・張美芳/撮影・楊舜斌