花蓮震災 全日本溢れる愛情

2018年 4月 28日 訳/福田紫宇 文/明玳‧慈涓
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二月六日の深夜、突然鳴り続ける携帯電話、更に幾つもの衝撃的な影像が急速にインターネット上に拡散していった。「花蓮は六日の深夜、マグニチュード6級の地震に襲われ、有名なホテルやビルなども倒壊・崩壊している…」

二月七日の朝、日本の多くのテレビ局が緊急地震速報として花蓮の大地震を伝えた。東北の方々からは日本分會へ電話を頂き、誰もが花蓮の慈濟基金會本部の安否を憂慮されていて、さらに自主的に迅速な募金活動を行い、多くの市町村からも状況を憂慮されるメッセージが多く届けられた。日本の安倍晋三首相も「台灣加油」のメッセージをSNSへ投稿し被災者への励ましの気持ちを送るとともに、哀悼の意を表明された。そして迅速に日本の災害緊急救援チームを組織し、直ちに台湾の花蓮へ派遣した。人と人の愛の絆が凝集し、善の効果が素早く拡がっていった。

一方有難八方支援する 日本全土から溢れる愛情

東日本大震災の時、岩手県で物資配布活動を行ったとき協力して頂いた三浦陽子さんは遥々日本分會へ自らの気持ちと共に寄付金を持って駆け付けて来てくれた。岩手県の山田安子さんからは、友人等の寄付金と共に、「東日本大震災の時の恩返しをするのだ」と自らの思いを慈濟基金會を通して、花蓮の被災者へ伝えて欲しいと頼まれた。山田安子さんはあの震災の時、積極的に慈濟基金會を岩手県議員三浦陽子さんへ紹介してくれた方で、あの時山田さんは「こんな大きな災害には、支援に“必ず愛を込める”との経験がある慈善団体に協力してもらわないといけない。」と語り、何度も話し合いを重ね、慈濟基金會が日本東北の救援活動を行うきっかけとなった。

更に、岩手県の宮古市、山田町、大槌町、釜石市、東松島市などの市町村役場から電話が届き、慈濟基金會の本部が花蓮にある事から、特に被害を憂慮される言葉をいただくと共に、各地域で募金活動が行われ全ての募金が慈濟基金會へ寄付された。宮城県東松島市の菅原三千男さん、石巻市のボランティア亀山千代志さん達は「台湾地震応援」の募金活動を始め、東松島市の市役所、及び鳴瀬総合支所二箇所で募金箱を設置した。また、三月十八日東松島市の渥美厳市長が東松島市市民の募金、四月四日釜石市野田武則市長も自ら募金を日本分會までに持って来てくださった。皆さん真摯に気持ちを伝えに来てくれた。

名取市杉の袋南町公会堂の佐藤節子さんと“ホット体操”チームの方々は震災のニュースを知ると直ちに募金活動を行い、皆さんの気持ちを花蓮の被災者に伝えようと活動を始めた。名取市の太田幸男さんは、東日本大震災の時から様々な協力活動を行い、慈濟基金會と連絡を取り続けていた。今回、花蓮の地震救済募金活動にも本当に熱心に対応し、彼の所属する慈善団体も募金活動を、閖上復興市場と美田園地域の方々もが街頭募金を行い、311台湾から愛心を込めた支援の恩返しのもとで、花蓮の被害者が一刻も早く再建できるようにと呼びかけました。小野幸三さんと佐藤節子さんと相原忍さんは三月中旬震災募金及び手作りの工芸品を自ら花蓮静思精舎ナ迄届けてくださいました。

東日本大震災の時に慈濟基金會の見舞金を受け取られた花壇寿太郎夫妻は、車で片道2時間をかけて日本分會に寄付金を持って来られた。

日頃から縁のあるシャンティ国際ボランティア会、日本仏教看護・見取り介護協会なども募金活動を行い、曹洞宗の松音寺の住職金山富彦先生が自ら憂慮を親筆したファックスと、聖和学園からも憂慮の思いの電報を頂いた。新潟東アジア交流プロジェクト実行委員会及び新潟市長夫人、そして立正佼成会付属庭野平和基金会も寄付金と慰問の電話を頂きました。

宮城商工中金青年会太宰栄一さん、深松努さん、平間宏樹さんは花蓮静思精舎に上人にお会いして、慈濟への感謝の意を述べました。慈濟の助けを受け取った商工会会員の企業者とその家族は、慈濟メンバーの藍白色の姿を見て、当時を思い出させて感動しました。深松努さん、平間宏樹さんは、「日本が被災されたとき台湾慈濟からたくさんの援助を頂きました。今回の募金はただその恩返しと感謝の意を表したいと思います」と語りました。

この愛の絆はさらに拡がっている。これは東日本大震災の見舞金へのお返しだけではなく、大和民族の真摯の愛だと思う。