大愛で結ばれた東北有情

2015年 12月 03日 慈済基金会
印刷
慈濟人が東京と東北両地を行き来するようになってからもう五年となる。天高く秋風漂う九月十九日から二十二日の4日間、ボランティア一行八人は再び東北、宮城県石巻市と東松島市ヘと向かった。

豆乳鍋でお互いの心を温めた

初日の石巻市。民宿「美来荘」の懐かしい風景が目に映った。庭にはコスモスがやさしく咲き誇り、地元の人が満面の笑みで遥々東京から来た慈濟ボランティアを迎えた。夕食の暖かい豆乳鍋で東京、東北両地のボランティアの心身はともに温まった。

東北地区で初めて慈濟メンバーの一員となった張君女史が、今年受証式を終えて委員となった。被災者の一人として、見舞金を受け取った感動から長い時間を経て、慈濟メンバーの労わりの中、娘を失った悲しき辛い体験を乗り越えてきた。彼女は、今日、小さい苗から大きい大木となった。

傾聴するボランティアの愛の絆

今回の宮城県訪問で、二組に分かれボランティアと地元の人とでそれぞれ親睦茶会を行った。慈濟メンバーが常に心に留めている武山さんが私達の来訪を聞いて、とても嬉しくてされた。七、八年前からご主人が中風で車椅子の生活をしていた。ご自分も糖尿病や心臓病を患い、経済的に不自由はないものの、精神的には大きな負担を負い、心の伴が必要だった。

八十歳を超えた二人暮しの伊藤和郎老夫婦。伊藤さんは下半身が不便で、奥さんの永子さんは心臓病持ち。ボランティアの伊藤幸子の懸命に取り組みで、仮設住宅から広く明るい市営マンションに移ることができた。永子おばあちゃんは部屋が広くなったから、一日部屋中で歩き回るだけでも足が疲れてしまったと冗談で言った。

もう一人は仮設住宅に住んでいる二見老婦人。今年五月に会った時より元気になっていた。八十を超えた高齢で緑内障を患った彼女だが、いつでも周りをきちんと綺麗に整理整頓している。ボランティアの幸子はよく訪ねて、ペーパーフラワーを作って労った。地元のボランティアの付き添いのお蔭で、精神的に緩和され、生活も改善された。

集会所で気軽な茶話会

心臓カテーテル手術をしたボランティアの山内氏は術後の回復は順調だが全快するまでは一年ぐらいかかるという。可愛い泰子老婦人は電話口で「会いに行くよ」と聞いただけで興奮して元気いっぱいとなり、駐車場まで迎えに来てくれた。その歩く姿は前とはまるで別人のようにとても軽やかだった。

九月二十日矢本運動公園の東集会所で茶会が行われ、四十二名が参加してくれた。久々の対面なので、互いに懐かしい会話が尽きることがなかった。三月、別れた時、秋に再会しようとの約束を果たしたことを双方とも大事に思っていた。

茶会の中でボランティアが九月中旬に茨城県常総市の水害について話しを分かち合った。家を失った人が多く、慈濟メンバーが支援のために最前線へと駆けつけた話をした。九月十三日から十八日までの六日間延び七十人、後援人員を入れたら百五十人のボランティアが参加した理由は純粋な慈悲心であった。清掃の手伝いや物資の配布を手伝ったり、一日四百人分の弁当を作ったりした事に、参加者を感動させた。

この世にどこか災難あれば、福ある方が自発的に善の行いをする。茶会の中で懐かしい歌や童謡などを歌い、お年寄り達を愉しませ、忘れ難い思い出作りができた。その後二十一日、渡波第二集会所、二十三日は三反走団地集会所、東松島百合之郷老人ホーム、ボランティアは一ヶ所一ヶ所と慰問訪問して素晴らしい有意義な時間を過ごすことができた。

地元のボランティアの努力と、上人の慈悲行善に追随する願力を頼りに、私たちは勇往邁進して、正しい事は実行するのみと言うだけである。

文/林秋里
訳/陳麗静