災難の後に初めの暖かい食事

2013年 12月 14日 慈済基金会
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熱々の大きななべの前に、大人も子供も、千人以上の難民が食器を持って、行列していた。みんなの目に希望が膨らみ、慈濟のボランティアから食べ物をもらう。これは台風30号以来、初めの暖かいご飯だ。 超大型台風30号(アジア名Haiyan)がフィリピンを直撃、フィリピン史上最大の災害をもたらしました。被災状況が最も甚大なのは、レイテ島のタクロバン(Tacloban)市、オルモック(Ormoc)市、そしてサマール島(Samar)のギワン(Guiua)島。

慈濟のボランティアたちは11月27日フィリピンで台湾の駐在代表白熙禮さんの故郷ツンガの災害状況を調査する。その際、白代表、奥様および地方官員と一緒に現地の復建と支援について意見を交換した。また、慈濟は被災の酷いタクロバン市に対して、現地有償ボランティアを採用する方法で支援する方法として、11月27日まで79800人を募集した。

災害後初めて暖かいご飯が食べた。

台風からもう20日間を経ってから、慈濟基金会も炊出しの活動を始めた。今回、20箱分の香積飯を用意し、二日間にゆたり、千人以上の難民たちに配布した。今まで、慈濟基金から配布の香積飯は40万人分に達した。

慈濟ボランティアの羅美珠さんは「台風を経た後、難民たちはこれといっていい食べ物がないので、私たちは早めに香積飯を配布すべきです。このことは上人様も心配している」

20箱分の香積飯を、30分で全部配布しました。暖かい食べ物を食べているとき、難民たちは笑顔がを見せました。「被災者たちは歓呼ほど喜んでいました。でも、もっと早く難民たちに暖かいご飯を食べさせたので、申し訳ないという気持ちを強く感じます」ボランティアの羅美珠さんはそうですねとうなずく気持ちで答えました。

11月26日午後から、慈濟のボランティアは二つ日間連続で炊出し活動を行っていた、タクロバン市は各の地域で断水停電という状態なので、香積飯はお湯の必要があるため、ボランティアたちは遠いところから水道水を運んできた。また、酷い生活状況を改善するため、現地で有給ボランティアを募集する方法で、難民たちに自分の努力で地元に復旧するように支援している。

訳/清水瀬奈