我が教え子 アレス(Ares)

2011年 7月 28日 慈済基金会
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二0一0年一月十二日、ハイチでマグニチュード七の強烈な地震が発生した。三十万人が死亡し、百五十万人の人人が家を失い、首都のポルトープランスは廃墟と化した。

震災発生後、ジョン・ダニースは私と同様、慈済のボランティアとして、救済活動に参加していた。英語教師のジョンは、震災から二カ月後に慈済の協力の下、サン・アレハンドロに臨時の学校を創設し、百数十名の学生を復学させ給食を与えた。

この臨時の学校で教鞭をとることになった私は、その時、四歳になるアレス・ジュドソンを知った。アレスはジョンの甥で、身体が弱く、その時初めて幼稚園に入園した。

アレスは思いやり深い聡明な子供だった。常に笑顔を絶やさず、周囲の人たちを楽しくさせるので、皆はアレスにマウゾー(Mawozo)とあだ名をつけた。その意味は「人に喜びをもたらす子」である。

母と姉、妹を守る

震災後十カ月、ポルトープランスにある学校はほとんど復校した。慈済は復校後の援助計画を展開し、九十八人の貧困学童に奨学金を配布した。アレスや三歳になる妹もイューデック小学校の幼稚園部に通っている。兄と妹は一緒に登園し、家に帰ると一緒に宿題をしたり、絵をかいたり、園で習った歌を歌って母親やお隣りの人に聞かせた。

アレスの父親は、数十万人のハイチの人たちと同じく、大地震が発生した後、再び家に戻って来なかった。二十八歳の妻、エリセナーは全力を尽くして仕事を探し、商いをして、アレスと十一歳と三歳の娘を養っている。

エリセナーは、台湾で慈済が三十人の主婦から始まった「竹筒歳月」と呼ばれる慈済の草創期に倣ったハイチ版初代メンバーの一人である。震災後、一家は大黒柱を失い窮乏していたが、彼女は人を助ける心念をずっと持ち続け、活動している。

アレスは一家の唯一の男である。幼いながらも、自分は母親と姉妹を守らなければならないと思っていた。そしてまた一家にとって喜びの源泉であった。彼は母に将来よい暮しができるようにするよと約束した。

しかし不幸にして、昨年の十二月十一日、父親が亡くなって十一カ月後にアレスはこの世を去った。コレラがハイチ一帯に蔓延し数千人が死んだが、アレスも犠牲者の一人であった。

アレスは虚弱でよく病気をする子だった。彼は全国に無数にいる貧困児童の典型である。彼らは貧しさゆえに栄養失調になり、伝染病や水質汚染の危険と隣り合わせで日日生きている。

これまでアレスはあらゆる困難や病気に打ち勝ってきたが、今回は二度もコレラに感染し、貴い命を失った。

生命最期のシナリオ

アレスが亡くなる八日前、私たちは彼の住む地区に行き、慈済が参加している「学校援助計画」と「放課後の輔導計画」について父兄や児童の家庭訪問を行った。

そのころは全国選挙の二週間後だったので、政情が緊迫し、暴力的なデモが頻繁に起こっていた。ポルトープランスの学校は全て安全上、閉校されていた。私たちが家庭訪問した目的は、生徒の家庭問題やどのように勉強をしているかを実地に調査するためで、父兄たちと慈済の愛と善についての理念を分かち合うことができた。

アレスは慈済ボランティアの訪問をとても喜び、私と一緒に記念写真を撮った。当日アレスの母親は仕事に出かけていた。後に母親から聞いた話によると、あの夜アレスは、ボランティアが来て一緒に歌ったり踊ったりしたことを嬉しそうに話したという。その時のアレスは元気そうで血色もよかったという。

アレスが亡くなる二日前の十二月九日、彼にとっては嬉しい日であった。母親が新しい靴を買ってくれたのである。アレスは嬉しそうにはいてみた。そして母親に、クリスマスの日にこの靴をはくのだと言った。

しかし、余命はいくばくもなかった。翌日、一日中病苦にさいなまれた。一晩中眠れず泣きつづけた。自分の命が終わりに近づいていることなど知るよしもなかった。

十二月十一日土曜日の早朝五時、アレスは国境なき医師団の診療所に運びこまれた。医師たちは二時間かけて救命に全力を尽くしたが、彼の命を救うことはできなかった。

アレス亡き後の一家は泣き声が絶えなかった。私たちボランティアは彼の霊を弔い、葬儀費用の募金をした。

アレスは二00六年十月十六日に生まれ、この世でたった四年しか生きられなかった。

私たちの敬愛する證厳法師は「今日という日は一度だけです。この日を無駄にせず、やるべきことをやるのです」とおっしゃる。アレスとの出会いは私たちに人生は無常であることを教えてくれている。今日できることは決して明日に延ばしてはならない。

ハイチの親たちは、子供たちがよい教育を受けてよい仕事につき、将来老後を養ってくれることを願っている。慈済は力を尽くしてアレスを育ててきたが、彼は学業を成し遂げる時間がなかった。幼いけれども、大きな夢を抱いていた。母親と姉妹を助け、医者になる志を抱いていた。彼はその果たせなかった全ての夢を私たちに託して去って行った。

皆で祈りましょう。ハイチの人たちが再びコレラで命を落とすことがなく、世界が平安でありますように。

慈済月刊五三0期より
文・レスリー・ピエール(Lesly Pierre) 訳・重安