星月旗の下での愛 シリア

2016年 1月 20日 慈済基金会
印刷
2011年初頭の中東のジャスミン革命以降、シリアで内戦が勃発し、戦火の中2015年7月迄、400万人を超える、人々が国外に逃れた。隣国トルコにはその内の180数万のシリア人がいる。

子供たちは路上に住まいし、ごみ箱をあさるような状態である。そんな姿をみて、トルコ在住の慈濟ボランティア胡光中は、自分に何ができるだろうかと考えた。そして二〇一四年九月から救援物資の配布を行うことになり、證厳法師にその旨を報告した。彼は現地でシリア出身のジュマ教授に相談して、物資配布の人員を募り、ただちに活動を開始した。

同年十月と十一月に毛布や食糧を配布した際、多くの難民の子供たちが学校に通えないありさまを目の当たりにした慈濟ボランティアたちは、ジュマ教授と共に関係各方面を奔走した結果、トルコ政府の認可を得ることができ、半公立のマンナーハイ小・中学校を設立するにいたった。この学校はトルコ政府が場所を提供し、慈濟が学習資金を援助するというものだ。五百七十八名の生徒が通えるようになり、学校で勉強したいという子供たちの夢がついにかなった。

だれもがみな同じ家族

「この世界にあって私たちはみな同じ家族なのです。」十月十七日の開校式で、慈濟ボランティア黃秋良は慈濟を代表して挨拶を述べた。

ジュマ教授は挨拶の中で、シリア難民が苦しい生活を強いられている時に、はるばる台湾から駆け付けてくれた慈濟ボランティアに感謝して言った。「證厳上人が私たちを助けてくれたこと、またトルコ政府にも感謝申し上げます。子供たちは暗黒から抜け出すことができました。遠路の旅をものともせずに来てくれた、台湾のお客様のことは決して忘れないでしょう。」

学校に通えることに、尽きせぬ感謝

慈濟ボランティアたちは、子供たちと交流した際、彼らの大半が十二歳から十四歳で、その多くが児童労働者であることに気が付いた。彼らの賃金は安く、仕事もよくできるものの、勉強をしなくてはいけない。そこで、胡光中は子供たちの雇い人たちに、彼らが学校で勉強を続けられるようにしてほしいとお願いした。

アブドラズという名の男の子は、労働に追われていた。シリアにいた時は成績も一番で、未来に大きな希望を持っていたが、トルコでは児童労働者になり、未来の希望も失われた。しかしマンナーハイ小・中学校が設立され、彼は学校に再び通えるようになり、笑顔も戻ってきた。彼はクラスで一番になるよう、勉強をがんばりたいと語っている。

子供たちを学校に 補助金給付

シリアの子供たちに勉強する機会を提供するため、慈濟は一百五十二戸の家庭に補助金を給付することにした。家庭の事情に応じて、三百~八百トルコリラを給付することになった。ジュマ教授は、「シリアの同胞たちにしていただいた事に感謝いたします。」と述べ、次のように語った。「私には子供が二人います。上の子は病気なので、皆さんにも祈ってもらうようお願いします。下の子は十六歳になったばかりですが、彼はヨーロッパに逃れました。私はだれの子供であっても、自分の子供だと思っています。だからどの子にもしっかり勉強を教えます。」ジュマ教授の話を聞いて、多くの人たちは目がしらを熱くした。

愛の補助金で楽しく通学

「私はアラブからきて二年半になります。なかなか良い学校を見つけられなかったのですが、マンナーハイ小・中学校のおかげで、私の娘は仕事を止めて学校に通えるようになりました。……このチャンスに、娘にはどんどん勉強してほしいと願っています。」補助金給付の場で、エンヤの父親はこう語った。

慈濟がこのチャンスを与えてくれる前、エンヤはもうすでに二年間も働いていた。父親は車の修理工だが、少しでも家計の足しにしようと思っていた。向学心の高い彼女は当時のことを思い出して、「慈濟人の皆さんのおかげで今こうして学校に通えています。家ではお金が必要なので、慈濟が八百元の生活補助金を提供してくださいました」と述べた。エンヤはもう家計を心配する必要がない。

アハンマド・フセイン氏は、交通事故で脊椎を損傷し、仕事ができない。二人の息子(十三歳と十一歳)がアルバイトをして千五百トルコリラを稼ぎ、一家の家計を支えている。「家賃が五百リラ、水道電気代が二百リラ、自分の毎月の薬代が百五十リラ、その上に生活費がいるのです……。」一家五人の暮らしは、これだけではとても足りない。

「生活費を補助して下さり、とても感謝しています。おかげで子供たちが仕事に行く必要もなくなり、学校で再び勉強できるようになりました。私は毎日、上人や慈濟のために感謝のお祈りを捧げています。」アハンマド・フセインがこう述べた後、胡光中は次のように付け加えて言った。「フセインさん一家は足るということをよくご存じです。二人の子供たちにアルバイトの賃金を尋ねた時、彼らはそれぞれ六百五十リラ、五百五十リラと答えてくれました。実際には、二人とも一か月に七百五十リラ稼げるのです。でも、彼らは慈濟が多くの人たちを援助しようとしているのを知り、より多くの子供たちに勉強してもらおうと思ったのです。」

学校に戻れたことの感謝

小児麻痺で身体が不自由なアドハンは、歩行器を頼りに故郷を逃れて、陸路・海路をはるばる命の危険を冒し、四人の子供を伴い、食べ物にも欠く中、トルコにやってきて三年になる。二人の子供はマンナーハイ小・中学校で勉強しており、アドハン一家は慈濟から与えられたデビットカードをうやうやしく『コーラン』の書物の中にはさんでいる。アドハンの妻は「慈濟の精神とイスラム教の教義はからずして一致しています」と語った。「上人や上人のお弟子さん方にアラーの平安が与えられますように」と、アドハン夫婦は證厳法師にお礼の手紙を書いた。

台湾ありがとう ジュマ教授の談話

トルコでの最後の日、ジュマ教授は慈濟ボランティア団に次のように語ってくれた。「四十八年間の私の人生で最も嬉しかったのは、證厳上人を知った時のことです。皆で手話の「一家人」の歌を歌う時、お互いがみな同じ家族であると感じました。皆さんが私たちに灯してくれた明るさは慈悲の心に由来します。

證厳上人が皆さんをここに派遣されたのは、愛と思いやり、人道精神です。真実の思いやりは、ひたすら純粋な愛の心から来るものです。私は皆さんの姿にそれを見て、感動しました。いつかシリアに帰国できたならば、できるかぎり皆さんに何かをお返ししたい。その日が来ることを信じています。ありがとう皆さん、ありがとう上人、ありがとう台湾!」

文/慈濟ホームページ抜粋整理
訳/金子昭