苦難の衆生を救い、衆生を度(ど)す

2010年 9月 01日 慈済基金会
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證厳上人のお諭し
世の中で災難が多発し
無数の人が
塗炭の苦しみに遭っている
「普」とは世間の衆生を愛し
「渡」とは苦難の人々を
平安へ導くこと
苦難を和らげ
幸福へ導くことが
真の「普渡」(注)である

今年八月八日は昨年、台風八号が台湾南部に未曾有の大災害をもたらして一周年の日です。一周年前夜、台南県玉井、屏東県長治の二カ所で慈済が建設した大愛村が完工しました。この一年間で、高雄県杉林、屏東県長治、高樹、台南県玉井の四つの大愛村で九百五十四戸の永久家屋が建設されました。四千五百人の被災者が安心して身を置ける新居で新たな人生をスタートさせました。

八月三日、玉井大愛村で入居式が行われました。ここの住人となる被災者たちは、かつては美しい山に囲まれて暮らしていましたが、雨の降る度に土石流の脅威に脅かされていました。この度、大愛村に入居することができ、これからは安心して暮らせるようになり、子供たちも慈済の愛に感化されて真面目に勉強して、自分から奉仕するようになりました。

代々山で農作を営んでいた人も、この度の災難に驚き、もう開墾はせず、山に休息を与えようと覚悟を決めて、平地へ引っ越しました。そして、慈済ボランティアの無私の奉仕を見て、これまで以上に生活に精を出し善行に努めると言っています。

ある人は、一年前の災難を思い起こす度に胸が激しく動揺するものの、今では安心して身を置ける家があるので、幸福な人生が開かれたと喜んでいました。

見返りを求めず、ひたすら奉仕する人の愛が、その愛を受けた人を感謝させて、さらに愛を生み、愛の循環となって最高の美の境地を開いています。感謝の心を抱いていれば、たとえどんな困難な環境におかれていても力が湧いてきます。反対に悲しみや恨みは、時が過ぎ去った後も煩悩となって、日々苦しめられることになります。

喜んで奉仕する菩薩は
苦労しても幸せだと言う
人々に安らぎをもたらし
安住できる家を与える


昨年八月七日の深夜に起きたあの恐ろしい出来事は、まだ人々の記憶に新しいものです。花蓮に台風が上陸し、強風、洪水の第一波が台東の太麻里村を直撃し、瞬時に家屋が倒壊、田畑が流されました。その後、記録的な豪雨が南投、嘉義、台南、高雄、屏東の台湾南部一帯を襲って洪水となり、目を覆うばかりの災害をもたらしました。風雨の収まらない中、慈済人は山を越え、洪水も恐れず危険な被災地へ駆けつけ、物資と温かい食事を届けました。すかさず慰めの手を差し伸べた慈済の菩薩たちは、災害の去った一年後の今でもなお被災者に付き添い続けています。

被災者が安心して住める住居をもて、そして平穏な心でいられることが、すべての慈済人の目標で、そのためどんな困難をも物ともせず、大愛村の建設に尽力してきました。建設中、無数の慈済人が自分の仕事を差しおいて、炎天下や大雨のぬかるみの中、工事現場で建設作業員と共に喜んで働き、奉仕してきました。

昼夜の別なくこの一年努力してきた結果、四つの大愛村がとうとう完成し、被災者が新居に入ることができました。被災者の喜びは、ひたすら衆生の安泰を願って、無私の愛で奉仕してきた成果です。慈済人は苦しんでいる衆生を見ると、傍へ駆けつけそっと寄り添います。すべてを失った被災者を見るに忍びず、安心して住める堅固な家を建て、人々の心が安らかになるよう、ただそれだけを祈って、奉仕するのです。

喜んで奉仕する慈済人に、私は感謝でいっぱいです。「苦労」を「幸せだね」と言っている慈済の菩薩は、「常に喜びの心、真心」で奉仕します。人々が安楽の場を得たことが自分にとっても喜びの瞬間です。心が幸せで満ちていることは人生最大の喜びです。

台湾の宝は何か
それは善と愛
皆で細心に
この貴重な宝を守ろう


八月十七日、慈済はトルコから十一年前のトルコ大地震の救助活動に対する感謝状を受け取りました。一九九九年八月十七日、トルコで発生したマグニチュード七・四の大地震で一万五千人が犠牲となり、二万六千人以上が負傷、六十万人あまりの人が家を失いました。全世界を震撼させたニュースに慈済は「トルコに愛を 苦難の人に情を」とのスローガンを掲げ募金運動をしました。

一方、慈済ボランティアは現地へ駆けつけ実地調査をして、緊急に三千枚の防水マットと六千枚の毛布を被災者に贈りました。引き続きトルコ政府と相談して土地の提供を求め、三百戸の大愛家屋と四間の臨時教室を建てました。

トルコ大地震から三十五日目の一九九九年九月二十一日、今度は台湾で台湾中部大地震が発生しました。台湾全島の慈済ボランティアは日夜救援活動に没頭する一方、トルコで大愛家屋建設に従事していたボランティアは現地に留まり復興活動に携わっていました。二〇〇〇年の一月八日、トルコのボランティアは復興の任務を果たし、大愛家屋がイスラム断食明けの祭りの前に完成しました。

千里を越えて駆けつけた慈済の友情は、十一年の月日を経ても今なおトルコの人々の心に残っています。その時、慈済と提携して被災者のために家を建てた「太平洋諸国社会経済互助協会」は今年四月、花蓮へ人員を派遣して、台風八号風災への援助を申し出てくれました。そのとき、「トルコは慈済との貴重な友誼を永遠に忘れない」と述べました。

このことで台湾の宝は善と愛だと分かるでしょう。人々はよく心を配ってこの宝物を大事にしてほしいと思います。

人の痛みに我痛み
人の苦に我悲しむ
心を開いて喜捨をしよう
慈悲心でもって
天下の人のために
天下の事をなす


昨年九月二日、インドネシアの西ジャワでマグニチュード七・三の大地震が発生し、千人以上の死傷者を出しました。それから一月足らずの九月三十日、スマトラ島西部でまたもマグニチュード七・六の大地震が発生し、千人以上が犠牲になり、二十万棟の家屋が倒壊、西スマトラ州パダンは廃墟と化しました。

インドネシアの慈済人がこれらの地域を調査に訪れた時、子供たちが劣悪な環境の中で勉強しているのを見て、学校建設を支援することに決定しました。インドネシアは大部分の人がイスラム教信者です。一部の人は仏教団体の支援に懸念を示していました。しかし、パダン市長が十一月に花蓮を訪れて、慈済が四十余年来、宗教、国境を越えて大愛精神を発揮していることを知って驚き、当地でも「竹筒歳月」の活動を起こす願を立てました。

慈済が援助建設を行っていた西ジャワの被災地・バンドンのパンガレンガン大愛国立小学校と、同じくパダンのパダン第一国立高校が、今年の八月に同時に落成しました。小学校落成式に出席したスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領は、社会における慈済の大愛精神を認め、当時猜疑心の目で見ていた人たちも、建設された堅固な校舎やモスクを見て感謝と信頼の気持ちに変わりました。

この他、バンテン州タンゲラン県の、唯一の国立大学「スリワヤ仏教大学」では経費の不足で校舎の建設が遅々として進んでいませんでしたが、インドネシアの慈済人の支援により三階建てのビルが今月完成しました。

その落成式の様子を見た瞬間、私は感動に震えました。赤い垂れ幕には慈済のロゴを真ん中に、左側に国の宗教シンボルマーク、右側に学校のマークが掲げてあるではないでしょうか。インドネシアの人々が慈済に対して感謝を表していたことに、私は深く感動しました。

タンゲラン県ではイスラム圏在住の慈済人が、「人の痛みに我痛む」の寛大な心を抱いて奉仕していることに感謝していました。宗教の壁を取り除き、相互に尊重し融合することは、まさにこの世に現れた美しい光景であり、未来への希望を表しています。

鬼神は何処に
それは人の心にある
疑心暗鬼でいると
心が定まらず
魔が忍び入る
明るい心でいれば
日々が吉祥


まもなく旧暦七月です。台湾では「普渡」という祭祀が行われるこの時期、家々では鶏やアヒル、ガチョウなどを供えて先祖を祀ります。この月は「地獄が開く」といわれ、あの世の魂がこの世に帰ってくると言い伝えられており、結婚、新築や引越し、遠出は禁忌とされています。全ての活動を禁じ、病気をしても手術を避ける人さえいます。

これは未開の頃の昔の人の言い伝えが、だんだん誤って伝えられたもので、仏教では七月を「歓喜月」、「親孝行の月」、または「吉祥月」と言っています。

仏陀がこの世におられた頃、僧たちは日々裸足で托鉢に回っていました。四月のインドは雨季で、じめじめして蒸し暑く、動植物は勢いよく繁殖します。僧たちが外へ出た時に誤って虫や蟻を踏みつぶしたり、毒のあるものに噛みつかれることがあるので、仏陀はこの期間僧たちに休息を取るよう言いました。そうしてこの時期、僧たちは托鉢に出ず修行にこもり、在家の人たちが僧たちに食べ物を贈って供養するようになったことが「夏安居(げあんご)」の謂れです。

四月十五日から三カ月の間、僧たちは身、口、意(心)を清め修行に精進し、「戒(かい)、定(じょう)、慧(え)」を修めていました。七月十五日を夏安居が終わる日として、僧たちは修行の成果を仏陀に報告し、仏陀は僧の修行成り、仏法を伝えられるようになったことを喜ばれました。それが旧暦の七月が仏教で歓喜月、吉祥月と言われる由来です。しかしながら、欲深い衆生はいろいろの迷信風習を生み出します。その実、鬼神は人の心にあるもので、疑心暗鬼でいれば心が定まらず、魔を忍び込ませることになるのです。

時代の背景が文化をつくる
智慧、慈悲、道徳は
人文をつくる
風習は変えられる
そして文化を人文に高めよう


年々普渡を行うためにどれだけの生贄が命を落としているでしょうか。市場で鶏やアヒルが両足を縛られ、首を切り裂かれて血を抜かれ、熱湯にくぐらせられた後に毛を抜かれます。その驚愕にあがく苦痛は痛ましいものです。

しかし実際、あの世の霊はこの世の物を必要としているのでしょうか。物の乏しかった頃は、年越しや旧正月、節句の時にしかご馳走などしないものでした。物が豊かになった現在、お供えにかこつけて殺傷すべきではありません。

「普渡」の典故は、お釈迦様の時代に目連尊者(もくれんそんじゃ)が母親を餓鬼道(がきどう)から救う物語に由来するものです。

夏安居が終わった時、目連尊者はお釈迦様の教えを受け、深く法に触れて煩悩を絶ち、宇宙の真理に透徹したことに感謝すると同時に、自分にこの身を与えてくれ、出家を可能にしてくれた父母にも感謝の念でいっぱいでした。そして亡くなった後の母は、輪廻によりいったい何処へ行かれたのだろうと思い、神通力を使って地獄へ行きました。地獄で柴のような細い四肢の、腹がふくれた女の人を見ました。それはなんと、よくよく見ると自分の母親でした。

尊者は「お母様、なぜ餓鬼道に落ちたのですか」と尋ねると、母親は「在世の時に貪(とん)、瞋(じん)、癡(ち)の因果があることを知らなかったのです。三宝(仏・法・僧)を罵った上に殺生、貪欲、無節制で、苦難の人を見ても慈悲心なく、快楽は当たり前だと考えていました。それで死後地獄に落ちて様々な刑罰を受けているのです」と。そこで、尊者はまた神通力を使って食べ物を母親に差し上げました。ところが口へ持っていった途端、口から炎が飛び出し食べ物はたちまち真っ黒に焦げてしまいました。

たとえお釈迦様の弟子で神通力の一番の使い手と言われる目連尊者でも、為す術がありません。そこで、お釈迦様にお願いに上がりました。お釈迦様は、「あなたの母親の業は須彌山のように重く、誰も母親の苦痛に取って代わることはできないが、解夏(げげ)の時に祭壇を設け、誠心誠意僧たちを集めて供養するのです。清浄にして悟りのある大勢の修行者が母親のために祈祷すれば、助けることができるだろう」とおっしゃいました。

そこで、尊者は七月十五日夏安居の終わった日に、清い水に真新しい布をひたして一人一人の僧の手をお清めした後、恭しく食べ物を差し上げました。僧たちが一斉に祈祷すると、その声は地獄に届き尊者の母親だけでなく、倒懸の苦を受けている人たちも地獄から解脱することができました。

これが中元節すなわち盂蘭盆会(うらぼんえ)の由来で、逆さ吊りを救う「救倒懸」とは地獄で苦しみを受けている衆生を救うことです。しかし今の人たちは地獄に落ちた人々を救わないばかりか、鶏を逆さ吊りにしているのは逆の意味になります。

本当の普渡とは衆生の苦難を平安へ導き、餓えている人の腹を満たしてやり、恐れや悲痛の心を鎮めることです。もし人々が肉を食べなかったら殺生しなくてもすみ、動物を飼育する上で発生する土壌の汚染、温室効果ガスの排出を抑えることができ大地を護ることができます。

時代の背景から生まれたものを文化といい、内心から発する智慧、道徳が生み出すものを人文といいます。風習は変えることができ、文化もまた人文に高めることができます。智慧を持って七月の普渡を考えなおす必要があります。年一度だけ祭祀を行うことは無意義で、毎日のように天下の人を愛し、衆生を善に導かねばなりません。

一時の立願に留まらず
常に敬虔であること
一秒一秒がつながる時の中
永遠に真心で奉仕すること


パキスタンでは一月近い雨が続いて家々が洪水に遭い、千人あまりの人が命を落とし、被災者は二千万人を超えました。中国甘粛省南部の舟曲県では豪雨のため頻繁に土石流が発生して、死者や行方不明者は千七百人に達しました。

この度のパキスタンの災害はとくにひどく、家を失った人が大量に発生し、飲み水と食糧も欠乏しており、疫病がいつ何時蔓延しても不思議ではありません。五年前、パキスタンはマグニチュード七・六の強い地震に襲われました。死傷者は十四万人を超え、慈済は毛布やテント、生活用品を贈り、施療を行いました。この度の被災地はその時よりもさらに広く、被災者が多く水もまだ退いていません。慈悲と智慧を同時に働かせて、救援の方法を考えなければなりません。

天下の多難に無数の人が苦難に喘ぎ、さながら「倒懸」に遭っているようです。台湾では七月のお祭りにあの世で使うとされるお金を燃やしますが、これは空気汚染になります。また、祀りの名をかりて生贄を捧げ、殺生するよりも、敬虔にこの世のために福を植えましょう。この敬虔な心は一時だけでなく、永遠に奉仕を続けなくてはなりません。

災難のすべては時間、空間、人間(じんかん)が絶えず累積した宿業(しゅくごう)から生ずるもので、少しの悪と軽く見過ごしてはなりません。天下を包容する広い心を持ち、人々の慈悲心を啓発すれば、凝集した力で天下の人のために天下の事を為すことができます。

安泰の福に感謝すべきです。被災した時の苦しみを忘れずに真心で戒律を守り、善を見て歓喜心を起こし、苦を見て己の福を知り、災難を見て慈悲心を起こしましょう。人々に慈悲心と智慧が生じることを期待します。地蔵菩薩のように大願力を発して、観世音菩薩の大慈悲心を学び、苦難の地へ行って衆生の苦しみを労わり、幸福を願うことが真に倒懸の苦しみを救うことです。

(注)台湾の民間では、旧暦七月に無縁仏の供養を行うことを普渡と言っている

慈済月刊五二五期より
訳・慈願/絵・高配