心に秘める愛の宝庫を掘り起こそう

2011年 8月 01日 慈済基金会
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證厳法師のお諭し
人人に真摯の愛を啓発し
生命の燭光をともせば
暗闇に光をもたらす
全身全霊をかけた奉仕は
人の心にある宝を発掘する
泉のように湧き出る愛は
この世の大地を潤す

五月、南半球は冬に入る頃です。南アフリカの慈済人は冬に備え、国内と隣国のレソトで、白米、毛布、衣類、靴など十種類の品物を二万戸の貧困家庭に配付しています。

南アフリカは土地が肥沃で自然資源に恵まれ、豊富な金や宝石の鉱脈があり、とくにダイヤモンドは世界最高の品質です。しかしながら貪婪(どんらん)な人心が引き起こす争いは後を断たず、長期に亘る黒人と白人の対立の歴史を辿ってきたために、大部分の人民は貧困生活を送っています。

一九九二年に現地で慈済志業(しぎょう)を興して二十年、慈済ボランティアは、奥地の貧困村落に入って愛の奉仕を続けています。この大地で、人の心にある「愛の鉱脈」が掘りあてられることを願っています。



一九九四年、南アフリカは政権交代を遂げ、悪名高き人種隔離政策は過去のものとなりました。しかしながら人心は乱れ、絶え間ない武力衝突で台湾人を含む外国の商人は続と引き上げました。私は当地で商売をする慈済人に、当地で所得を得たら当地に還元しなさい、先に人を愛すれば人から愛され、貧困の人が温かく飢えていなければ、社会は安定するのだと言いました。

政権が代わっても、南アフリカの貧困層の暮らしは改善されませんでした。加えて多くの白人が一夜のうちに職を失い、さまざまな社会問題が続出しました。慈済人は、肌の色を問わず平等に困っている人人を救助しました。

まだ記憶に新しい一九九四年六月、台湾から二つのコンテナに約六万枚の衣服をつめて、南アフリカへ送りました。その年の南アフリカは特別に冷えて、慈済人はヨハネスブルグ、ケープタウン、レディスミス、ダーバンの四カ所で大規模な配付を実施しました。また、初めて先住民族の集落に入って配付を行い、一万人以上の人が台湾から送られた温かい着物を身に着けました。

翌年の三月、さらに台湾から十五コンテナの衣服が送られました。その中には企業家から贈られた真新しい布もありました。当地の慈済人はミシンを買って裁縫訓練所を設置して、ズール族の婦人たちに教え、職を身につけさせました。今では訓練を受けた数万人の人たちが、裁縫で身を立て生活を改善しています。

慈済は二年間に延べ十万人に衣類を配付しました。一九九五年七月、ヨハネスブルグのスサングウェ地区の人たちは、慈済の「普天三無(天下に許せない人はない、愛せない人はない、信じられない人はないこと)」の精神を学ぼうと、「平和を祈るキャンドルナイト」を催して、人種闘争と政党衝突を止め、一致団結して希望を創造することを宣言しました。当時、台湾花蓮の静思精舎では、急ピッチで大量の蝋燭を造って南アフリカへ送り、人人の心を明るく照らしました。

人人が心に蝋燭の灯を灯した時、暗黒の地に光明をもたらします。南アフリカの慈済人は貧民救済だけでなく、支援を受けた人に努力することを教え、自分が持つ潜在能力を発揮して人を助ける者になるよう導きました。

ズール族の人たちは大変純真で、慈済人の真摯な愛を受けて、お返しがしたいと思う心が芽生え、慈済人の奉仕に喜んで随うようになりました。ボランティア活動を通して人助けの喜びを体得し、心に愛が啓発されて、自発的に集落の人たちの世話をしています。今ではズール族慈済ボランティアは、毎月五千人のエイズ患者とエイズ孤児の世話をしています。

闊達な心は
慈悲と智慧を
同時に運用する
愛は春の太陽のように
世の寒冷を溶かす

南アフリカの治安は悪く、慈済ボランティアはしばしば強盗に襲われます。ある時、台湾へ帰ってきたボランティアが襲われた時の体験を話しました。「師匠、私はとても感謝しています。幸い命を取られませんでしたから」と。

私が「そんな目にあって、がっかりしませんでしたか?」と聞くと、彼は「しません。私はまだ十分にやっていませんから。もっと教育をゆきわたらせねばなりません」と。

「自分たちはずっと現地の貧しい人を助けていたのに、どうして襲ってきたのか」と恨み言は言いませんでした。それどころか、自分に対しての戒めとして、「私はまだ十分にやっていない。もっと真面目にしなければ」と言います。これこそが広い心です。

南アフリカのボランティアはこの心で、二十年間黙黙と現地の人と強い絆を結んできましたので、現地の人も勇敢に慈済人の保護を買って出てくれています。

奉仕はただ物資を与えるだけではなく、「慈悲」と「智慧」が必要です。
ある現地人が金欲しさに、慈済の配付した品物を転売したり、人をいじめていました。その後、慈済人が配付の名簿に彼の名前を見て、ズール族のボランティアにこの人にあげるのですかと聞くと、「悪人だがお腹を空かしているからあげましょう」と。

「悪人でも、お腹が空いているから」と答えたズール族ボランティアのなんと賢い善の解釈と深い智慧でしょう。そこで慈済人は孤児の食事を作るのに、彼から野菜を買うことにし、いつの日か彼が感化されることを願っていました。

その人は、あるズール族の人が隣の家の修理をする時に怪我をして車椅子に座っていても、慈済の白米配付を手伝っているのを見て、自分もボランティアとして働きたいと申し出、その上これから孤児に食事をあげるのだと言いました。
この愛の力は、春の日が冬の寒冷を溶かすようです。困難な道のりもついに輝かしい光が射し、愛があふれ出してきました。
   
心を修めなければ
身と行を整えることは至難
心を修め
行を正せば
人心に感動を与える
美の中にあなたがいれば
美の中に私がいる

五月二十九日、オーストラリア連邦仏教協会(Federation of Australian Buddhist Councils)はシドニーシティーホールで盛大な灌仏会を催し、仏教界の人士が招待されました。慈済も招待を受け十五分間のプログラムを受け持ちました。オーストラリア慈済人は経典「法譬如水」の手話ミュージカルを披露することに決定し、宗教と人文の美を演出することにしました。

現地の慈済人は少なく、僅か三週間で人員を募集し経典の勉強、シナリオ作成、手話の練習、翻訳などの準備をしなければなりませんでした。

それでも、四十人の菩薩が速やかに舞台に立つことができたのです。老若男女、ベトナム、インドネシア、中国、マレーシアなど異なる民族の人人が参加し、中には中国語が話せない人もいました。短い期間で、経文や舞台で演ずる動作や位置も覚えなくてはなりません。

指導に当たった舞踏家の江美如さんは、音楽と動作は簡単なものと軽く考えていましたが、皆が集まって練習を始めた時、人人が動作を合わせるのは容易でないことを発見しました。驕った心を抑え、経典を読んで懺悔しました。これは単なる公演ではなく、自身の心の垢を洗い流すのと同時に法を伝えることだと悟りました。

七十八歳の林福全さんはベトナムの華僑で、中国語が分からない上に視力も低下しているので、皆についていけません。しかし、彼はこの機会を見逃すわけにはいかないと堅く心に決めて、人の何倍も練習を重ねました。夢の中でまで手足を動かすものですから、奥さんは何度も起こされました。

この菩薩夫婦はお互い助け合って、舞台で無事に演じ終えました。当日の満員の盛況に林さんは感動のあまり、これは単なる演技ではなく正に説法だといいました。

何事も意志さえあれば困難なことはありません。経典を重んじて細心に練習した菩薩たちに、感謝に堪えません。各自が自分の役柄を忠実に演じ、皆の心は一致しました。

心を修めなければ、身と行を正すことはできません。経典に入ると同時に人人は心を修め行を整えました。懺悔、斎戒、菜食で徹底的に心を清め、悪癖をなくすことに力を尽くしたからこそ、全体が美しいものになれたのです。

短い期間の練習でしたが、みんなの身、口、意は一斉に揃い、口ぐちに唱える経典の一字一句は明らかに観衆の心に響きました。二千年前の仏陀の御教えを手話で演じ、異なる宗教や言語の人たちに仏教の美を理解してもらい、さらにその真、誠、美は観客を魅了しました。

教育は学問だけではなく
倫理道徳を教えることである
学生は礼があり
規則がなければならない

六月中旬から、慈済教育志業の各学校が次次に卒業式を挙行しています。校長先生や先生方は「教え」を、慈誠(じせい)パパと懿德(いとく)ママ(慈済大学の学生をケアする慈済ボランティア)は「答え」を卒業生に送りました。

戒めや教えは一両日で為せるものではありません。教育者は日日の教育で学生の疑問を解き、教え伝えなくてはなりません。慈誠パパと懿德ママは、常に生活の規律と人生の正確な方向を子供たちに示し、彼らの心が迷わないように教えなければなりません。
所謂「伝教」とはどの宗教を信仰するかということではなく、倫理道徳を教え導き、伝承させることです。

もしも家庭内で倫理道徳に欠けていると、礼儀知らずばかりがはびこり、社会が乱れます。それで、教育は「授業」にとどまらず、彼らが特殊技能を学ぶ以外に、道徳倫理を学生に教え、人生の正確な方向を示さなければなりません。そうでなければ、一念の僅かなずれが生涯の過ちになります。

厳粛な卒業式で慈済の学校で学んだ礼と規律のある卒業生を見て、用心深い農夫によって播かれた種が、地上で発芽して根を下ろし木に成長したように感じられ、未来への希望を見出しました。

慈済人が慈済の学校で長年に亘って細心に教育に従事し、世に英才を送り出してきたことは感謝に絶えません。また、力を余すところなく苦難の身の上に注ぎ、愛で以て社会にも奉仕しています。

懇ろに法を求め
妙法を把握し
正しい方向に向かって
勇敢に進み
着実に悔いのない人生を
創造する

慈済ボランティアの王麗玉さんは、三歳の時相次いで父と母を亡くし、養女に出されました。大きくなって結婚したのも束の間、夫は浮気に走り、結婚前の苦しかった生活をやっと抜け出したのに、今また逢わねばならない情の苦しみはたとえようのない辛いものでした。

その後、成長した子供たちは米国に移り住んだので、そこでクリーニング屋を経営しました。まったく英語が分からなかった彼女でしたが、負けず嫌いの性格で懸命に働き、少なからずの財を成しました。でも、そんなことは彼女にとって少しも嬉しいことではありませんでした。

ある時、大愛テレビを通じて慈済を知り、法を学び布施の意義を知りましたが、読み書きができないことで卑屈になって、慈済に入らないことにしました。ある時鏡を見て、六十を過ぎるとこんなにも老けて見えるのかと自分ながらに驚き、しみじみと無常を感じて店を閉め、慈済の活動に専念する決心をしました。

その後、環境保全の仕事はもちろんのこと、貧困家庭の訪問、支部の当直と何でも受け持つ忙しい毎日です。辛かった過去を振り切って、人生を一段と楽しく着実に過ごしています。彼女は「お金」を子供たちのために残すよりも、「徳」を残すのだと考えています。大愛テレビ局が続く限り、證厳法師の説法は世界の人心を浄化するのだと思い、自分が亡くなった後、全財産を大愛テレビ局に献金すると大願を立てました。

今年の六月五日、麗玉さんは七十歳で亡くなり、角膜を寄贈しました。角膜を摘出している最中、十数人の慈済人は彼女のため《無量義経》を唱え続けました。「頭、目、髄、脳、悉く人に施す」という経文は、正に彼女の生命の最後を写しています。

凡夫(ぼんぷ)は享受を貪(むさぼ)り、菩薩は真理を追究します。麗玉さんは清浄無私の謙虚な心で法を求め、且つその妙法を把握して正しい人生の方向へと歩んで来ました。寸分も偏らず悔いのない着実な人生を創造しました。



灯台がなければ船は安全に岸に着くことはできず、清らかな本性が悪癖に覆われれば心霊は光の指針を失い、大海に迷い、悟りの彼岸に辿り着くことができません。

欲望に溺れていくのは、まるで火に入る虫に等しく、危険を顧みず、「情を放任し、理に暗ければ心は乱れる」ということになります。心の無明(むみょう)は真理を覆い、心が乱れた時、共業(ぐうごう 衆生が共につくった業)は続いてゆきます。

法は人を正確に導いてくれます。人人が機会を把握して精進し、法に入って懺悔し、相互に成就することを期待しています。真心で謙虚に経典に入って、清流のように湧き出させ、随時随所で人心を浄化し、慈悲心を啓発すれば、この世に愛を伝道することができます。

(慈済月刊五三五期より)
訳・慈願 絵・葉錦蓉