老菩薩はこの世の宝

2016年 1月 20日 慈済基金会
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良い事柄や善の思いがたえず脳裏に湧き起り、心の中で善の循環を促していくならば、生理的にも善の細胞が生み出され、慧命を伸ばすことにもなります。たとえ体はだんだんと老いていくにしても、善の足跡を積極的に残していくならば、人の心の内に学ぶべき模範を打ち立てることができるでしょう。

屏東の古参の委員である劉徳妹さんは、早くからご主人と共に土木関係の仕事をしていました。真面目に努力して家事を切り盛りしてきた後、善行をするという心の願を立てました。縁のめぐりあわせで、夫妻は花蓮に来て私に会うことになり、そのとき花蓮慈濟病院の建設計画のことを知りました。そして屏東に戻った後、工事現場や食品市場に行っても、また隣近所の人たちに会っても、たえず慈濟の話をして、機会を逃さず愛の募金をすることにしました。

当時は、募金して得たお金や資料は、花蓮へと持参しなければなりませんでした。それで、劉さんは自分で一つのきんちゃく袋を作り、毎月の募金で得た功徳金をその袋に入れて肌身離さず身につけ、ご主人と一緒に屏東から汽車に乗って花蓮まで来て、この「袋の財産」を納めてくれていました。夫妻が寄付を募った人々は少なからずいましたので、その氏名の照合には時間がかなりかかりました。この当時、彼らは農業に従事して忙しく、また水路の開削に協力したり、田地の見回りをしたりして、暇のない日々を過ごしていました。

「両親は子供たちの模範である」と、よく言われます。劉徳妹さんはいつも人々のために尽くしましたが、また愛のエネルギーを次の世代にも伝え、子供たちには、慈濟の活動に参加するよう勧めていました。彼女の三十年以上にもわたる熱心な姿に、同じように精進を続けるボランティアたちが伴っていくようになりました。この老菩薩はすでに亡くなりましたが、彼女の精神には、今も讃嘆の念と懐かしさを覚えるのです。

八十歳を超えた林玉梅さんは、二十年以上前に友人の紹介で、劉徳妹さんと知り合いになりました。二人はまるで昔からの知り合いのようでした。林玉梅さんは、劉徳妹さんに従って、慈濟の活動をするようになりました。林さんは当初、それほど熱心に活動していたわけではありませんでした。しかし、花蓮に来て、慈濟病院の三周年記念式典に参加した際、人々が愛の力を合わせているのを聞いて、生命の価値は家庭のために尽くすにとどまらず、困難を抱えている人たちに積極的に関心を寄せ、手助けをすることにあるのだということを悟りました。そこで、発心して願を立てて、委員証を受けることになり、さらにいっそう慈濟の活動をすることにしたのです。

委員証授与の際には履歴の文書が必要です。林玉梅さんは小さい頃、日本時代の教育を何年か受けただけなので、中国語の知識はあまりありません。しかし、彼女は困難を克服し、家族に一文字一文字たずねながら、一か月かけて六百字の履歴書を自ら書き上げました。

林さんは歩み始めると、道を求める心は堅固でした。高齢であっても、資源回収ステーションでリサイクルの仕事をしたり、食事の準備をしたりしています。「みんなには菜食を喜んで食べてもらいたいと思います。これは良いことなんです。だって直接的には菜食する人が済度され、間接的には動物の命を救うことになりますから」と、林さんは言います。委員の活動には、彼女の存在は欠かせません。なぜなら、彼女は頼まずして師となり、心をこめて尽くしてくれるからです。

老化は自然の法則です。恐れることはありません。台湾には、古参の慈濟ボランティアが数多くおられます。彼らは、劉徳妹さんや林玉梅さんと同じように、数十年を一日のように努め、この菩薩道を自由自在に歩みながら、慈濟の精神をたえず若者たちに伝えています。このようにして師の志を守り、仏の道を重んじる姿を見ると、彼ら老菩薩こそ、まさにこの世の宝であると、思わず讃嘆せざるを得ないのです。

文・證厳法師/訳・金子 昭
『日本慈濟世界』2016年1月号「上人開示」より