縁あり巡り会ったからには力を尽くす

2012年 3月 03日 慈済基金会
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【国際医療協力・フィリピン】
国境を越えて医療を施す時、医療スタッフにとっても、医療ボランティアのメンバーにとっても、責任が重く、精神的圧力が計り知れないほど大きいものです。また、費やす金銭も少なくありません。しかし、生命の危険を抜け出して劣悪な環境が改善された成果を目にした時、払ったすべての代価が価値あることだったと感じるのでした。

人口の三十パーセントを超える国民が貧しいフィリピン。国民の年平均所得は二千ドルで、失業率が七・二パーセントに達しています。
フィリピンでは、公立病院で無料で診察を受けられますが、手術、検査、薬などの代金はすべて自費で賄わなければなりません。医者と病院が賃貸関係にあるので、患者は医者に診察代や手術費を払い、病院には検査費と薬代を支払うことになっています。 

フィリピンの貧しい人にとって医者にかかることは、大変な負担となります。そのため多くの家庭が病気で貧困に陥り、貧しいまま辛い病気に苦しんでいます。こうした状況の中、一人でも貧しい人を助けたいと、慈済のフィリピンにおける慈善と医療の志業(しぎょう)が始まりました。

フィリピンにおける慈済志業は、マニラに支部が設立された一九九四年に始まりました。ボランティアは長年に亙って病院を訪れて貧しい患者に関心を寄せ、薬品などを渡しました。一九九五年から各地で大規模な施療活動を行っています。今年六月までに百四十五回の施療を行ない、二十万五千人の民衆に奉仕してきました。その中でさらに進んだ治療を必要とする患者を発見した時は援助し、大きな病院に移して治療を続けさせました。

慈済ボランティアが二〇〇三年シャム双生児のリアとレイチェル姉妹、二〇〇四年脳水腫症を患い顔面を著しく欠損したジャイボに出合ったのは、児童病院でのボランティア活動がきっかけでした。

「当時マリータさんはシャム双生児を抱いて控室で大勢の物好きに囲まれていました。私は前に進み寄って、何か役に立てることはありませんかと聞いたのです。その時姉妹は高熱を出していました」

「初めてジャイボを見た時はとても驚きました。顔面は裂け、手足の指はくっついていました」
慈済フィリピン支部の執行長を務める李偉嵩は、彼らと出会った時の状況を今もはっきりと覚えています。

マリータさんが姉妹をやさしくなで、ジャイボの母親マリアさんがジャイボにキスしている場面を見て、ボランティアは偉大な母愛に感動し、必ず助けるのだと決心しました。この信念に基づき、その後の如何なる困難も恐れず、金銭的、精神的な消耗にくじけることなく、とにかく救うことを最優先として、ほかのことはその後で考えようと誓いました。

病で貧困に陥り一家を破滅へと

「證厳上人様のご慈悲で設立された慈済病院は、国境を越えて医療を施しています。病に苦しむ貧しい人を救いたいとの使命を果たしています」。二〇〇三年にリアとレイチェルを台湾につれて行き、花蓮慈済病院で治療を受けさせました。治療期間中、姉妹に付き添っていた李偉嵩は、慈済病院がほかの一般の病院と異なることを発見しました。

「リアとレイチェルの治療のために、慈済病院の医療ミーティングに参加しました。参加スタッフは六十人に上りました」と李偉嵩はその時のことを語ります。検査が終わればすぐ分離手術を行うのだとばかり思っていましたが、病院は慎重を期して各科の専門医、看護師、栄養師、さらにソーシャルワーカーとボランティアを呼び集めて、手術前の準備から手術後のリハビリに至るまですべてのプランを入念に立てました。「これはフィリピンの病院ではとてもできないことです。皆はそれぞれ自分の仕事に忙しく、せいぜい患者を科から科へ移すぐらいで、滅多に科と科の間で話し合うことなどしません。ましてやチームを組織して治療を検討するなどという観念などありません」

李偉嵩は続ける。「さらに強く印象に残っていることは、手術が成功した後、どの部門も功労を争うことなく、そればかりかお互いに賞め称えることでした。医者やスタッフのこのような謙虚な態度は実に珍しいもので、私は深く感銘しました」。ジャイボに付き添って大林慈済病院に行った慈済ボランティアの陳麗君も、「入院五日目に医療チームが手術を行い、失明の恐れがあった左目の治療に成功しました。フィリピンでは五カ月待っても手術ができませんでした。でも、慈済病院に来て五日間で解決しました。全く思いもよらないことです」

ジャイボは生まれもった特異な様相のために、村人からのけ者にされていました。しかし慈済病院に来てから、皆から優しく世話をされ、母子二人は温みを覚え、人として尊厳を感じました。
常に患者を第一に考え、貴賎を問わず一視同仁に医療が行なわれることは、フィリピンのボランティアにとって初めての経験で、これが慈済病院を深く信頼する所以となりました。この後、シャム双生児の第二の例のローズ姉妹も、分離手術を受けるため台湾の慈済病院に送りました。

「フィリピンの貧困者にとって最大の問題は医療です。慈済に救済を求める人の九十パーセントが病気を患っており、手術や治療を受ける金がなく、そのため家庭の破滅をもたらしています」。長い間貧困者への医療に関心を寄せてきた李偉嵩は言います。「慈済支部では施療センターを設けて眼科と歯科の診療をしています。貧困と病に苦しんでいる患者を見つけた時は、ボランティアは協力関係にある病院や慈済人医会のメンバーである医師の診療所に連れて行きます。もし特殊な病気であったり複雑な病状の場合には、台湾の慈済病院に送ることを考慮します」

台湾に移されて治療を受けても、必ずしも順調に成功するとは限りません。例えば二〇〇八年マニラで発見した心臓がつながった双生児の兄弟の場合は、台湾の花蓮慈済病院で詳しく検査した結果、分離手術は命に危険を及ぼすことが分かり、手術は行わずフィリピンに送り返しました。

手術は行なわれませんでしたが、フィリピンのボランティアはその後も引き続き関心を寄せていました。その後その中の一人が心臓衰弱を来たしたので、急いで病院に送り、緊急に分離手術をしてもう一人の生命を取り止めました。

李偉嵩は、これは神の選択だと信じています。慈済はできる限りのすべてを尽くしました。それから残った一人のために、治療費や生活費を援助し、安定した成長を続けられるように世話をしました。

慈悲と智慧でもって
全てを世話する

慈済ボランティアが国境を越えて行う医療志業は、ただ医療を施すだけではありません。ボランティアはさまざまな方法を講じ、煩雑な手続を経て患者を台湾に送るのです。付き添う母親は国外に出た経験がなく、ボランティアがいつも付き添って世話をしてあげねばなりません。到着してから入院、手術、帰国の手配、国に帰ってから適切なリハビリを受けるための病院探し、そして父親への安定した就職の世話まで、手伝いは及びます。

ボランティアは起こりうることの一切に関心を払い、そして辛抱強く喜んで世話を続けます。それに費やされる人的、物的な費用などは計り難いものです。

「正直に言うと、初めてシャム双生児を台湾に連れて来た時、私たちは治療後フィリピンに帰ってからも世話をしなければならないとは知りませんでした」と李偉嵩は笑いながら言うのでした。当初は一途に患者の治療の面倒を見ることに全力を尽くすのが精一杯でした。分離手術の傷口さえ治れば山の家に送り届け、このケースは終わるとばかり思っていました。それがフィリピンに戻る前の日に、證厳上人が「帰ってからも継続して面倒を見てあげるように」と特に仰せつけました。ボランティアたちは法師の言いつけを守り、長い期間に亙って一家を世話してはじめて、暮らしの改善がもたらした成果をその目で見届けたのでした。

リアとレイチェルの現在の様子について、李偉嵩はこの上ない喜びを感じています。「アンディさん一家はリサイクルセンターの近くに住んで、慈済と一つの家族のようになっています。二人の子はチビボランティアで、さながら親善大使の役を務めています。二人はその両手で、社会大衆からこれまで受けた関心にお返しをしています」

八年来付き添って面倒を見てきましたが、その間決して困難に遭わなかったわけではありません。医療に住まい、さらに家計の問題などすべてが簡単なことではありません。あらゆる問題がボランティアの忍耐力を試すようで、ボランティアは多方面から考えを巡らせました。「一つ一つ異なる問題にはそれぞれ違う方策で当たらねばなりません。ただ慈悲のみに頼るばかりでなく、頭を働かすことも必要でした」と李偉嵩は言います。

リアとレイチェルが台湾で分離手術に成功し国に帰ると、メディアが大々的に報道し、大統領とも謁見しました。生活状態の急変に慣れず、一家は山の故郷に帰ることにしました。けれども暮らしていくためについにはマニラで働いてそのまま住みつくことを選びました。初めは貧民窟に住んでいましたが、慈済の計らいで父アンディが慈済のリサイクルセンターで働くことになり、一家も新しい家に引っ越しました。姉妹には学費などを援助し、これでやっと一家に本当の安定した生活が訪れました。

一方、ジャイボは故郷に戻った後、ボランティアが慈済人医会の医者にジャイボの村まで往診してくれるようお願いし、傷口の回復状態を検査してもらいました。幾度か病気をした時は、ボランティアはあわてて現地の医者に連れて行ったり、母に連れられてマニラまで治療に行ったりもしました。遠い辺鄙な場所だからといって、世話を中断することはありませんでした。また父親や兄の就職を世話してやり、現在この一家は貧困から脱け出すことができました。



「労力と金銭を差し出すことにためらいはありません。私たちが尽くしているのは縁があるためです」とフィリピン支部執行長の李偉嵩は言います。「さまざまな問題が縁あって慈済のもとへ舞い込んでくるのです。我々が手助けできるかどうかもすなわち縁があるかないかに関わっています。一旦関わった以上は自分のできる限りを尽くします。さもなければ良心に恥じ、後に心残りとなります。もし一所懸命尽くしてもうまく行かなかったなら、これも縁だと無理はしないことです。そして、成功した時は皆で大いに喜ぶのです」
李偉嵩は證厳上人のお諭しの「信己無私、信人有愛(自分が無私であることを信じ、人には愛があることを信じる)」の八字を堅く信じています。成し遂げようとの心さえあれば困難はなく、必ず医療費は集められます。「願いがあれば力は湧き出てきます。これこそが妙法というもの」

ベトナムの少年、グアン・シー・チェンが二〇〇一年、台湾に来て治療を受けたことから、台湾の慈済病院が国境を越えて治療した患者はベトナム、フィリピン、インドネシア、シンガポールにわたっています。患者は皆病状が深刻で緊急に台湾に送られました。慈済病院は常に生命を尊重する理念に基づき、医療チームが全力を傾けて治療を尽くし、生命の危機を取り除くことを第一としています。

慈済医療志業の執行長である林俊龍医師は、海外の患者の治療ケースを担当することは、精神的負担も責任も非常に重いものだと言います。医療チームは常に持てる限りの力を尽くしています。患者と付き添いの家族は故郷を離れて入院生活を送るので、精神的なサポートが必要です。幸いにして慈済病院には、如何なる苦労も恐れないボランティアのグループがおり、その人たちが身心共に落ち着けるようサポートしています。

「医療チームとしては、患者を見たら救いの手を差し伸べますが、さらに患者の家庭が新たに立ち上がるのを見れば、この上ない愉快なことです。もし『苦しんでいる人を目にして自分の幸せを悟る』、さらに『施すことは、人から施されるよりも幸福である』ことの真の意義を会得できれば、それこそ最大の心の収獲です」

◎文・黄秀花/訳・王得和/撮影・蕭耀華