イチゴ 畑で採れる赤い宝石・下

2010年 7月 01日 慈済基金会
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お天道さまのご機嫌を
伺いながら食べるご飯は辛いよ

経験と天気を考慮して、農家は各自イチゴの植付け時期を決める。健康で丈夫な苗は栽培が成功するか失敗するかに関わる重要条件なので慎重に選ぶ。苗を植えてから収穫が終わるまで約半年かかる。もし自分で苗を育てる場合は十二月に始まり、翌年の九月に育った苗を畑に定植するまでかれこれ一年余り経ってから、収穫となる。

イチゴの苗の成長期間は長く、その間失敗のリスクをたくさん孕んでいる。専門に作物の種と苗を繁殖して売っている種苗場もイチゴの苗の生産には消極的である。それで農家は各自で苗を育成せざるを得ない。苗を立派に育てられたら、イチゴの栽培は大半成功したと言える。

苗の培養は、まず病虫害に罹っていない健康な親株を選び、それを苗床に植えて、根と蔓が適当に伸びた頃を見計らって小さい苗に切り分ける。さらに花の芽になる細胞の分化を促すために苗を気温の低い高い山の上に仮植えする。仮植えから畑に定植するまでの長い間、梅雨、台風、集中豪雨に見舞われて、ともすると苗がダメージを受けて使えなくなることもある。

年がら年中休む暇もなくイチゴの栽培に従事する農家の人々は、肉体的な苦労を堪え忍ぶほかに、あれこれ心配も絶えない。一粒の小さなイチゴがいかに貴重であるか身に染みて分かった。農家がイチゴ狩りに来た人に、イチゴをもぎ取る時は指で優しく、実ではなくヘタのところを挟んで軽く採るようにと、再三にわたって注意を促すのは最もだと分かった。

イチゴは誰が見ても食べたい気持ちになる一方、農薬の残留はないかと心配する。もろくて弱くて美味しいイチゴは虫も大好きである。農薬を使わないと収穫は望めない。イチゴは一度に花が咲くのではなく、断続的に花が咲いて実をつける十二月から翌年の四月までの間に四回収穫できる。しかし各々の畑の採りいれ日取りは微妙にずれているので、あちこちで農薬の噴霧をしている光景が目につく。イチゴ畑は引っ切りなしに農薬を使っている印象を人に与える。

誤解を招かないようにと、研究員の張広淼さんは次のように説明する。断続的に収穫するイチゴの特性に配慮して、イチゴの栽培に使う農薬は殺虫の効き目が五日間しかない分解の早いものに限ると決められている。

農協の幹部謝亜倫さんも言う。苗栗県農政当局はイチゴを重要な農薬使用の監視作物に指定して、技術者をイチゴ畑に派遣して抜き打ち検査をしている。農政当局の許可した農薬以外は絶対に使ってはいけないことを、全ての農家はわきまえている。ことにGAP(適正農業規範)の認定を受けている農家は農薬の使用を詳細に記録することを義務づけられている。GAPのマークがある農家の畑を選んでイチゴ狩りをするのが一番安心できると謝さんは勧める。

その実、イチゴ農家もできるだけ農薬を使わないことを望んでいる。農薬の噴霧に長いこと携わっていると自身の健康が損なわれないか心配だ。また、農薬を散布したあと薬効が残っている間はイチゴを採るのはご法度だから、イチゴ狩りに来た人々を失望させて手ぶらで帰らせかねないように、農家は農薬の使用を控える。

イチゴ農家の優等生と言われる傅玉安さんは、誰よりも先に生産履歴を記録、公開し、無農薬の栽培を試みたこともある。しかし難しくコストが引き合わないので止めて、今はGAPに従って高い水準の管理方法でイチゴを栽培している。農薬はできる限り使わないかわりに、イチゴ畑にいくつかの誘蛾灯を置いて夜間に飛んでくる害虫を捕まえている。さらに環境と人体に優しい微生物を利用した殺虫成分や、シトロネラ油または天然ヒノキの精油を蒸留した水を使って害虫を駆除する。

農薬を使わない害虫の駆除が一番だとの認識が農家に浸透してきている。それはイチゴ畑のあちこちに虫を捕まえる箱が釣り下がっているのを見ると分かる。雌のフェロモンで雄を誘い捕まえて、害虫の繁殖をおさえる工夫である。仕掛けると箱一杯に虫がかかるので非常に効果があると農家は喜んでいる。

近年、農業改良場が勧めている高架の床を作ってイチゴを栽培する方法は、病虫害の発生を少なくするのに役立っている。六年前に率先してこの栽培方法に切り替えた劉玉嬌さんは、高架床の栽培は株間の通風と水はけが良いので、病虫害の発生が自然と少なくなり、農薬の使用量も従来の三分の一ほどで間に合うと言った。

高架床の栽培は整地の作業が省けるし、長雨でイチゴが水に漬かる心配をしなくてもよい。肥培管理とイチゴ狩りも立ったままでき、屈んだり立ったりしないので楽だ。しかし始める時の設備費が高いので、普及するまでは時間がかかりそうだ。

農作業が楽になれば
若い世代が農村に戻ってくる

大湖のイチゴ生産は安定した環境のもとで発展して来た。台湾がWTOに加入した後、数多の農産物は自由貿易の大きな打撃に耐え切れず悲鳴をあげているが、イチゴだけは逆に勢いを増し、生産量は年ごとに増え続けている。イチゴの生産と消費がこのごろ急に熱狂的な人気の対象となったブームを引き起こした立役者は、大湖郷農協の幹部たちだ。彼らは台湾中部大地震後の復興の機会に、二〇〇一年にイチゴのお酒とジャムを造る工場を建設した。その三年後にさらにイチゴ文化館を開設して、大湖のイチゴ産業が観光客に幅広く知れ渡るように工夫を凝らした。

この単純なイチゴ狩りのレジャーと文化活動を組み合わせた試みは意外にもヒットした。イチゴ狩りに、またはイチゴの製品を買いに、観光客が引っ切りなしに押し寄せるようになったのだ。酒造工場ができる前、大湖の一年のイチゴ生産額は四億元だったのが、できた後は、十二億元に跳ね上がった。毎年の観光客も数万人から二百万人余りに増えた。

新しいアイディアと手法で地域産業を経営すれば、地方に発展をもたらす。「以前大湖の若い世代はほとんどが村を離れて都会へ働きに出ましたが、金融ショックの後、里へ帰ってきてイチゴの栽培に励む者が増えました。近頃、酒造工場とイチゴ文化館が次々と稼動し出した後は、地元で就職するチャンスが多くなり、働くためにわざわざ外へ出ていく必要は少なくなりました」と大湖農協の黄栄将総幹事は誇らしげに言った。

多くの果物が毎年売れ行きが滞って値段が大幅に落ちる中で、イチゴ農家は幸いこのような心配はない。それにはいくつかの理由がある。まずイチゴの栽培に適している畑は限られているため生産過剰になることがないからだ。それから、イチゴを加工して酒とジャムを造る工場が後ろに控えていること。さらにイチゴ狩りにくる人も多い。このような条件の下では仲買商人が値段を値切ることは難しい。

一切の成功は容易いように見えるが、実は大湖の農家が一体となって、五十年を越す歳月を費やして苦労を重ねてきた賜物である。まさに時間をかけて細心に研ぎ磨いて得られた宝石のようだ。大湖のイチゴ産業の今日の輝かしい発展は台湾農業に限りない生命力と可能性があることを物語っている。

経典月刊第一四〇期より
文・蔡佳珊/訳・金華/撮影・徐安隆