パイナップルはめでたい兆しの果物・上

2010年 8月 01日 慈済基金会
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パイナップルの採り入れ時、農家の人々はとげに刺されても痛くないように、厚い生地の服を全身にまとって畑に入る。そして採れたての熟した芳ばしいパイナップルを、まるで赤ちゃんを扱うように、大切に背負ったり抱いたりして畑から持ち出す。手間のかかる作業である。

台湾に持ち込まれてから三百年の間、時代が移り変わる中、パイナップルは相変わらず低い姿勢を保ったまま土壌にしっかりと根を張って、その時々に人々が求めるパイナップルの実を育て続けてきた。

刺々した皮を手で触るとごつごつして、粗野な果物との印象を人に与えるパイナップルの実は、その赤みがかったオレンジ色の皮、鳳凰(ほうおう)の尾羽のような冠芽、金色の果肉がめでたい象徴として台湾では大変重宝がられている。

パイナップルは漢字で「鳳梨」と書く。台湾語では「オンライ」と発音するが、その音に別の字を当てて「鳳来」、「王梨」、または「旺来」とも書く。これらの字はみな良い兆しの意味を含んでいる。それで、台湾では選挙に立候補する人、事業を始める人、試験を受ける人にパイナップルを送って前祝いをするのだ。お寺や廟のお祭り、先祖の供養にも欠かせないお供え物である。同じように漢字を使っている中国ではパイナップルを「波蘿」と呼ぶが、台湾で呼ばれている名前の方が親しみやすい感じがする。

その果肉を練って餡にしたパイナップルケーキ(鳳梨酥フォンリースー)は台湾ならではの銘菓である。一口噛むとパイナップル特有の甘酸っぱさと、小麦粉と牛乳、卵をこねて焼いた皮の香ばしい匂いがとろけ混ざり、なんとも言えない美味しさが口いっぱいに広がる。台湾を離れて外国へ留学に行っている人は家からパイナップルケーキが送られてくると、食べながら涙がこぼれ落ちてくるほど懐かしい故郷の味だ。

日本が台湾を統治し始めたころ、日本人は台湾で採れるパイナップルの美味しさに目を見張った。はるばるハワイから輸入していた果物が、この近い新しい領地にたくさん採れると知って大いに喜んだ。

史料によるとパイナップルは一六〇五年にポルトガル人がマカオに持ちこみ、その後、中国の福建、広東を経て台湾に入ってきた。既に三百年以上の歴史がある。他の果物の栽培規模が小さいのに比べて、パイナップルは十七世紀から比較的大きな面積の栽培が行われて来た。ことに高雄県鳳山一帯が盛んだった。

百年の厳しい道程を乗り越えて
日本統治時代、高雄県の鳳山と大樹一帯は、パイナップル畑と缶詰工場が台湾で最も多い所だった。一九〇二年に岡村庄太郎が初めて鳳山にパイナップル缶詰工場を設立した後、パイナップル産業は速やかに企業経営に様変わりし、缶詰は日本国内の需要をまかなうほかに、外国にも輸出された。日中戦争の初期、台湾のパイナップル缶詰の国際市場で取引される割合は、ハワイとマレーシアに次いで第三位だった。

しかし時世は移り変り、今は高雄県大樹郷の泰芳鳳梨会社の古めかしい赤い煉瓦作りの建物だけが、往事をしのぶ唯一の遺跡となっている。かつて辺りに漂っていたパイナップルの香りと、敏捷に立ち働く女性作業員の姿はもう消えてしまった。わずかに大樹の農家がパイナップルの果肉で「王莱仔」というパイナップルの味噌だれを作っているだけ。この味噌だれは甘じょっぱくて、おかずにもってこいで、サバヒー(ミルクフィッシュ)と一緒に煮ると美味しいのだそうだ。

一九三五年に当時の台湾総督府は台湾全島のパイナップル缶詰工場を合併して台湾合同鳳梨株式会社を設立した。戦後は中華民国政府が接収したが、初期の業績は好ましくなかった。新政権はパイナップルの輸出を外貨獲得の重要手段と定め、パイナップル産業振興計画を立てて、缶詰の生産を回復させた。一九六六年からは生のパイナップルの輸出も始めた。

一九七二年の台湾のパイナップル植付け面積は史上最大の広さに達し、収穫したパイナップルの八割は缶詰にして輸出した。ハワイに次いで二番目に多いパイナップル輸出国となり、台湾のパイナップル産業のもっとも輝かしい時代だった。

しかし好景気は長続きしなかった。一九八〇年代に入って工賃、延いてはパイナップルの生産コストが高くなり、国際市場での競争力は、労働力が安く欧米資本が後押ししている東南アジアの国々に及ばなくなった。こうして、かつて台湾の外貨獲得に多大な貢献をしたパイナップルは栽培面積と産量が大幅に萎縮し、一九八五年の植付け面積は一番多い時の三分の一までに減った。

台湾のパイナップル産業は経営方針を変えざるを得ない状況になった。缶詰を作って輸出するのをやめて、青果物のままで国内の消費に当てるように切り替えたのである。農業改良場の育種任務もそれに従って、生で美味しく食べられる品種の育成に力を注いだ。

台湾のパイナップル産業が倒れかかった状況から立ち直った最大の立役者は、「生食パイナップルの父」として尊敬されている張清勤氏であった。張氏は嘉義農業試験場での四十数年に亘る勤務期間と、定年退職して亡くなるまで生涯の全てをパイナップル育種のために力を尽くした。

かつて張氏の助手だった官青杉さんは現在、その育種の仕事を引き継いでいる。親株を選んで人工受粉を行い、できた種をまいて苗を育てる。育った実の品質が良いのは、さらに品種比較試験など、一連の栽培試験を経て、最終的に品質が評価されたものを新品種として命名する。一つの新しい品種を培養から普及させるまでに二十年ほどの時間がかかる。パイナップルの缶詰の売れ行きが好調な時でも、専門家たちが新品種の開発に尽くしてきたおかげで、台湾のパイナップル産業は荒波を乗り越えて持ちこたえることができた。

嘉義農業試験場の温室に入ると、官さんは苗床の小さな苗の葉に刺が生えているのを見つけると引き抜いて捨ててしまう。「刺があると農家の畑仕事の邪魔になります。育種の第一の目標は刺のない品種を選ぶことです」と説明した。

ミスターパイナップルの異名を持つ官さんは毎年約十二万の種をまく。発芽率はほぼ半分の六万株で、何回も淘汰を繰り返し、最後に二万株残ったところで畑に移し植える。その一年半後に実を収穫して一つひとつ品質を鑑定する。厳しい鑑定に合格した、ずば抜けて品質の良い株だけが命名されて繁殖の過程に入る。命名されるチャンスは万に一つと言っても過言ではない。

運送に堪えられる「金鑽」、甘みが強い「甜蜜蜜」、皮が薄く果肉がきめ細かい「蜜宝」、それから唯一冬に実る「冬蜜」も、すべてこの小さな苗床から出た正真正銘の台湾育成の新しい品種である。

世界の主なパイナップル産地は今なおほとんどが、缶詰用原料のスムース・カイエン品種を植え、機械化された大面積での栽培を行っているのに比べ、台湾は「小さいが美しい」を売りにした経営方式をとっている。生で食べるのに口当たりと風味が最も良い品種をたくさん持っているのが特色だ。農家が栽培につぎ込む知識と労力のレベルも他の国より高い。さまざまな品種の選択が可能であり、なおかつ品質が高いことが、今日の台湾パイナップル産業が他国よりも優れている点である。

近年、台湾のパイナップル栽培面積は再び一万ヘクタールを上回った。主に中南部に分布している。屏東県大武山の西側の山麓や高雄県の大樹、台南県の関廟、嘉義県の民雄、南投県の名間などに多く植えられている。乾燥と強風に耐えられるパイナップルは痩せた土地でも良く育ち、病虫害も少ない。さらにかなり前からカーバイドを使って開花期を早める技術が導入されているため、年がら年中市場にパイナップルが売られている光景は珍しくないようになった。台湾の数多くの果物の中で、パイナップルは庶民がごく当たり前に食べられる果物の一つである。

パイナップルの産地で一番名が売れているのは関廟である。関廟へ行ったら、山西宮のそばに店を構える林秋茂さんをぜひ訪ねるべきである。林さんはわずか十五秒の早業で、一つのパイナップルをナイフでさばいてしまう。「関廟第一刀」と呼ばれるパイナップル切りの名人だ。そのお手並みを目の当たりにして確かにすごいと知った。

しかし、それよりもっとすごい技を持っている。パイナップルの皮を指で弾いて返ってくる音を聞いて、等級別に選り分ける腕前である。トラックがパイナップルを運んでくると、林さんは一つ一つ手に持って指で弾く。「豚肉をぶったような音を出すのは、中身が幾分赤く、果汁も多い。太鼓の響きに似た音がするのは、果肉が白く軟らかくて芳ばしい」と彼は説明する。その間も手は休むことなく彼独特の方法で鑑定を続けている。しばらくしてトラック一台分のパイナップルは彼の手によって品質別に幾つかの山に分けられた。

関廟一帯のパイナップルはもともと山腹の排水のよい傾斜地にしか植えられていなかった。砂土と粘土がちょうどよい割合で混ざっているそこの土壌は、微量要素を豊富に含んでいるので、特別な香りと風味のあるパイナップルを育む。しかし近年はパイナップル畑が平地にも広がった。経験に新しい技術を加えて栽培されたパイナップルは、消費者があこがれて買い求める人気の果物となった。

林秋茂さんは幼いころから父についてパイナップルの栽培を習った。今はパイナップルの卸売りに励んでいる。「関廟のパイナップルは祖父の世代からの努力のおかげでその名をとどろかせ、人々に好まれてきたので、これまで売れ行きを心配する必要がありませんでした。しかしここ数年は国内マーケットの値段が安定しませんね」と林さんは首を横に振りながら言った。

「主な原因は天候の不順にある」と林さんは例を挙げて説明した。農家はパイナップルが一度に実るのを避けるために、畑をいくつかの区画に分けて、時間をずらして開花時期を調節する。ところが最初に開花の促進を処理した後も気温が低いままだと、開花は思うように早まらなず、二番目に処理したのと同じ時まで遅れてから開花する。そうなるとパイナップルは集中して出荷するので値段は落ちる。さらに農家はそれぞれ開花期を調節する時間がまちまちなので、出荷のピークを予測することが難しい。

植物ホルモンの乱用と肥料のやり過ぎで育ったパイナップルの実は大きいが、品質は悪く、繊維も粗い。口当たりがよくない上に口の中が傷つけられることもある。パイナップルを買い求めるときは、大きいばかりが能じゃないと林さんは言う。

(つづく)

文・蔡佳珊/訳・金華/撮影・A.Buzzola