輝く黄金色の水梨・下

2009年 12月 01日 慈済基金会
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【果物天国の台湾にいらっしゃい!】
水梨栽培の今後の見通し
接ぎ穂を高接ぎして水梨を実らせる方法が普及したので、台湾の梨の生産体制は新しい局面を迎えた。しかし接ぎ木を毎年繰り返さなければならず、高いリスクとコストが、さらなる発展を阻む難題となっているのが現状である。農業委員会(農林水産省に相当する)の統計によると、昨年の高接ぎ梨の生産コストは、一ヘクタール当たり八十九万一千三百五十一元(約二百四十八万円)で、台湾の全ての果物の生産コストでトップの座を占めている。

接ぎ穂の値段は国産品が一キロ五、六百元で、日本からの輸入品は千二百元する。農家はほとんどが輸入品の方が品質がよいと考えており、高くても輸入品を買う傾向がある。しかし、輸入品を買う際にはさまざまな条件がつく。たとえば、新興梨の接ぎ穂を一箱買う場合、豊水梨の接ぎ穂をついでに一箱買わなければならない。また、接ぎ穂で育った梨は日本に輸出しないなどである。

接ぎ穂という大きなビジネスチャンスはまた、悪徳商人の格好のターゲットとなった。彼らは中国大陸から検疫をしていない接ぎ穂を台湾に密輸入したので、梨山で採れた接ぎ穂が売れなくなるという事態を招いたほかに、かつて見たことのない中国梨の害虫、ナシキジラミが持ち込まれた。二〇〇二年に台湾の梨の木はそのナシキジラミが吸汁することによって葉が萎縮し、排泄物によってスス病が発生し、農家は大変な損害を蒙った。おまけに同じ年、台湾が世界貿易機関(WTO)に加入したので、貿易自由化の影響で国産の果物の売れ行きはさらに大きな打撃を受けた。

この数年、梨の輸入は毎年一万一千トン以上に上るが、その中で韓国産の梨が大方を占めている。度重なる不景気のあおりを受けて、梨の値段は年ごとに下がってもいる。梨栽培で儲かるかつての栄光に満ちた光景は、今では遠い記憶の彼方だ。 

それにも拘わらず、梨の栽培面積は減らないばかりか増え続けている。台湾中部一帯の他に、宜蘭県の三星、嘉義県の竹崎、さらには台東県や花蓮県の農家も次々と水梨の高接ぎ栽培を始めている。

梨農家の頼永進さんは五年前に中国大陸の靴工場での高給の仕事を辞めて、故郷の台中県石岡に帰り父の果樹園の経営管理を引き継いだ。初めの頃、彼は梨の栽培には全くの素人で、商売人の言う通りに農薬と肥料を買って施すのが精一杯だった。梨の採り入れは一向に良くならなかった。ほどなくして中興大学の植物病理科の蔡東纂教授と知り合って教えを受けるようになると、頼さんは梨の栽培管理を根本から変えた。

ことに良い菌を使って病虫害を防除し果樹の養分吸収を促進したので、果樹が元気になり、生産コストもさがり、品質の改善に効果が現れた。努力の甲斐があって、頼さんがつくった青みがかった新興梨は、昨年、品評会で金賞をもらった。しかしそれでも毎年の採り入れ時になると、年ごとに売れ行きと値段が落ちていることに悩まされている。

「値段は思う通りにならないが、品質の向上にはたゆみなく努力を続けている。年配の人が信仰するのは宗教だが、私の信仰は品質である。品質がよいことが精神的なより所となり、元気が出る」と頼永進さんは言う。

自然農法にこだわる曾栄満さんは、仲間の曾光明さん、黄徳雄さんと共同で梨園を経営している。その梨園では、梨の木も地面の草も勢いよく成長している。「草は土地と農家の良き友」という信念をもつ彼らは、八年前から除草剤を一切使わずに、有機質の土壌改良剤で、果樹の成長に最も適した環境を作ろうと努力してきた。

品質向上のほかに、育種の技術で梨の新品種を育成することは切迫した課題である。低海抜に育ち、年ごとに接ぎ木しなくても自然に美味しい水梨が実る新品種はないものか? 

台中地区農業改良場の研究員である廖萬正さんは、一九八五年から新品種の開発を目標として研究に没頭してきた。彼は横山梨のおしべを豊水梨や幸水梨のめしべに受粉させ、三つの新品種を開発した。そして福来梨(台中一号)、晶円梨(台中二号)、晶翠梨(台中三号)とそれぞれ命名した。

台中県東勢の梨農家、廖昌成さんは六年前に晶円梨を植えた。採り入れは今年で三年目になる。「晶円梨の木は世話しやすく着果率も高い。それに熟した果実は大きく見た目がいいし、高接ぎの梨に勝るとも劣らない味だ。一番のメリットは、毎年繰り返し高接ぎをしなくてよいこと。農家は接ぎ穂を買う費用と高接ぎに大勢の人を雇う賃金が省け、コストは半分以上安くなる」と廖さんは誇らしげに言う。

植付け面積を広めつつあるこれらの新品種は、梨の栽培の前途に大きな希望をもたらした。加えて農政機関が品質のよい国産の接ぎ穂を生産し供給する体制作りに乗り出したので、近い将来接ぎ穂は輸入ではなく、最寄りの梨山が重要な供給の拠点になるであろう。

梨山における梨農家の苦楽
一九九九年に台湾中部大地震、二〇〇四年に台湾中南部大水害が起こった後、台湾中部の険しい山々を切り開いて作った東西を貫く道路はずっと不通のまま十年の年月が経った。梨山はその中途にあり、景勝地としてかつて名を馳せていた。周りの険しい山並みは相変わらず壮麗で素晴らしい眺めだが、観光客が途絶えたので一層静けさを増し、物寂しい雰囲気を漂わせている。この世の桃源郷か、あるいは化外の地と呼ぶべきか。

観光業が廃れたので、梨山の住民は百姓に戻って生計を立てるしかない。温帯果物が豊かに実る。リンゴ、スモモ、水蜜桃、甘柿、そして梨。梨の出荷は蜜梨、雪梨、新世紀の三品種が大部分で、新興梨と豊水梨は平地の高接ぎ梨と重複を避けるため少ししかない。近ごろことに人気を集めているのは、十二月に出荷する雪梨である。雪梨は実が一番大きく、果汁も多く、歯ごたえのある食感と美味しさは格別である。

六十年代後半生まれの江家興さんと施慈瓊さん夫婦は、梨山の農家では稀に見る若い世代である。二人とも煩わしい都市生活に見切りをつけた。そして台湾中部大地震の後に、山の上で生計を立てるのは大変厳しいと百も承知の上で、梨山に移り住み果樹の栽培に励んだ。

強風と豪雨を伴った台風はしばしば山崩れや土石流の災害をもたらし、山を下る道が通れなくなる。そんな場合、木から打ち落とされた果実はそのまま畑で腐らせるしかない。また、平地より何倍もの運賃をかけて梨を市場に届けなくてはならない。しかし、楽観的で勤勉な夫妻は七年このかた頑張ってやり抜いてきた。奥さんは自分の農園で育った大きな雪梨を持ち出してきて、私たちをもてなした。果物ナイフで梨の実を割ったその瞬間、切り口から果汁がほとばしった。「この情景にお客さんは感動し、私たちは誇らしい気持ちになる」と言った後、「他の仕事をしていた時は、このような満ち足りた感じになったことはなかった」と付け加えた。

果樹を切り倒して
野菜に植え替える

近年、果樹を切り倒してお茶や野菜に植え替える農家が増えている。山肌の土壌保全で議論が絶えない梨山は、さらなる激しい論争を引き起こすのは避けられない。キャベツを植えた方が果物を植えるより儲けが多い。台風に見舞われて平地のキャベツ畑が水に漬かると、平常は一籠四百元のキャベツが、八百元から千元に跳ね上がる。それは大きな利益だ。

ことに福寿山農場の辺り一帯は野菜畑で埋め尽くされている。傾斜の緩やかな土地は政府が徐々に回収して造林を始めているが、傾斜の急な場所はほとんど個人が所有権を持っているので、自由に売買と貸し借りができる。土壌保全に一番の悪い影響を及ぼしているのはこれらの野菜畑である。

木を植えて山を林で覆い尽くす計画はあるが、実際にやるとなるといろいろな事情でなかなかはかどらない。

こうした状況に気をもみ、一人黙々と造林に心血を注ぐ女性がいる。阿宝と呼ばれる彼女は台湾中部大地震の後に、固い信念をもって梨山にきた。その信念とは、果樹や野菜を植えるために切り捨てた山肌の森林を復活させることだ。彼女は鍬を手に農作業に勤しむ傍ら、筆をとって『女農討山誌』と言う本を書きあげた。本の中で彼女は自分のアイディアを次のように述べている。「小作料を払って果樹園を借り、傾斜の急なところは果樹を植えないで造林する。緩やかな斜面はしばらくの間、果樹の栽培を続けるが、有機栽培に切り替える。お金が貯まったら借りた果樹園を買い取るか、または他の果樹園をさらに借り入れ、同じ手法で規模を拡大しつつ理想を実現していく」と。

阿宝さんを現代のヘンリー・デイヴィッド・ソローと感心する人もあれば、つむじが左巻きではないかと揶揄する人もある。彼女が森林を守る行動を起こしてから十年が過ぎ去った。「愚公山を移す」という諺に匹敵するその志がどれだけ報われたか、興味がそそられる。
 
野生の小さな梨
いかにも強そうな女性という想像は裏切られ、実際の阿宝さんはほっそりしていた。話し声は小さいがはっきりした口調で話し、お茶を濁すようなことはしない。彼女は私たちを彼女のドリームランドへ案内した。そこには彼女自ら植えて育てたヒノキ、クスノキ、ケヤキなどに加え、飛んできた種によって自然に根付いた木が、所せましと生い茂っている。彼女は一本一本の木の年齢と高さを紹介してくれた。まるで母親が自分の子供を紹介しているようである。

畑の周りに張り巡らしていた鉄条網と灌漑用のパイプは全て取り払われ、梨の木は自由奔放に育ち、実を結ぶようになった。彼女はそれを野生の小さな梨と呼んだ。手を差し伸べて一つもぎとり、皮ごと食べてみた。味は甘く清らかだった。

最初に借りた土地は大自然に返したので、お宝さんは二番目の土地を買った。今年三月、彼女は「宜蘭友善耕作小農連盟」を発起した。「友善」とは友好という意味で、消費者と農家はもちろんのこと、環境と土地とも仲良く付き合うのが目的の団体である。メンバーはみんな前向きで大自然と人との関係を考える農民だが、消費者も加わることを歓迎している。

土地を守ることと、美味しくて健康な野菜や果物を作ることは、切っても切れない間柄だ。このことを多くの人に気づいてもらいたいと願う。


文・蔡佳珊/訳・金華/撮影・劉子正