なくした命と救えた命

2014年 4月 08日 慈済基金会
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私と慈済との縁(えにし)は特別なものです。私は骨髄ドナー(提供者)で、家族にも骨髄の提供を受けた人がいるからです。骨髄の提供を受けたのは息子のカブです。カブは4歳の時に急性骨髄性白血病(AML)と診断されました。息子の主治医は、3年間集中的に治療をすればカブの治癒率は飛躍的に向上すると励ましてくれました。カブは治療期間中夥しい数の注射を受ける必要があり、化学療法の副作用に悩まされなければなりませんでした。カブは、「どうしてぼくが」と悲痛な声を上げました。

3年間の治療が終わろうとしていたとき、カブの病気が再発し、別の治療方針を試みるために、もっとたくさんの、そしてもっと強い薬を使う必要が出てきました。その事実は私たち家族を精神的に打ちのめしましたが、私たちはその治療を受けざるをえませんでした。その頃、隣の病室の子がその化学治療を受けましたが、その甲斐なくやがて亡くなりました。

私たちは迷いに迷った末、化学療法に代わる治療を受けることにしました。その治療は1年間続きましたが、カブのガンはものすごい勢いで広がっていきました。カブは、あまりの痛さに、自暴自棄になって思わず自分の胸を叩き、壁に頭を打ちつけてしまうほどでした。再び入院することにしましたが、病院は息子の第二の故郷となってしまいました。

ある日、カブは足を蚊に刺され、その傷口が蜂窩織炎になってしまい、主治医は、病気に侵された骨と腫物を治すために壊死組織除去手術を行わなければなりませんでした。その手術は8~9時間かかりました。

皆さんは、手術室の外で待ちながら不安に押しつぶされそうになったことがありますか。私は何度かそのような経験をしました。今でも、その時のことを思い出すたびに、涙があふれてしまいます。

手術後目を覚ましたとき痛みがぶり返してきて、カブは「こんな足いらないよ。お医者さんに切ってもらってよ」と私たちに言いました。私は、絶望的なほどに心が沈んでしまい、どうして愛するわが子がこんな目に遭わなければならないのかとずっと考えていました。

1~2ヶ月たって、カブが感染する危険性は以前よりも高くなりました。さらに、カブは肺が細菌に侵され、抗生物質も効果がありませんでした。菌に侵されたカブの肺は一部切除する必要がありました。私は、近い将来に訪れるかもしれない更に悪い知らせにこれ以上耐えることができず、浴室に籠もって泣いてしまいました。

骨髄移植をすると決めた


ある日、化学療法はもうカブには効き目がないと、主治医は私たちに言いました。主治医は次の二つのうちのいずれかを選択するようにと迫りました。一つは、ホスピスケアであり、もう一つは、骨髄移植です。主治医は、骨髄移植は様々な副作用が伴うだけで成功率は低いため、慎重に最終判断を下すようにと言いました。9歳の息子にとってそのような決断を下すのは簡単なことではありませんでした。しかし息子は、思い切ってわずかな可能性に賭けてみることにしました。慈済を介して型の合致したドナーに出会えたことは幸運でした。私たちは、ドナーの方が息子にもうしばらくの間生きる機会を与えてくださったことにとても感謝しています。

移植を受ける前に、対消滅療法を受けなければなりませんでした。カブの口はひどくただれてしまい、何も飲むことができませんでした。そして血小板が壊れてしまったために、体は血を固めることが難しくなっていました。カブが輸血を受けている間も鼻から出血が止まらず、執刀医たちはカブのそばに容器を置いて血を集めなければなりませんでした。その後、カブは体力が極端に弱まり、一日中寝たきりでいるしかできませんでした。

移植手術の日まで、私の心臓は高鳴っていました。幹細胞が一滴ずつ息子の体内に注入されていくのを見守りながら、ずっと最善を祈っていました。しかし、カブの体は衰弱が激しく、約20日後亡くなりました。

同じ病気の人のために、骨髄提供の苦しみを耐える

私は、慈済の幹細胞センターで、骨髄ドナーになるための血液検査ができることを偶然知りましたので、センターを訪れて登録しました。3年後、慈済のボランテイアが、骨髄の型が合致したことを知らせてくれました。私は、嬉しさのあまりセンターに行って骨髄を提供することを約束しました。愛する息子のカブと同じように、必死になって生きようとしている人がいるからです。骨髄液を採取する前に、GCFS(顆粒球の増殖を促す因子)注射を受けなければなりません。注射後、骨まで痛みを感じ夜も眠ることができず、吐き気を催すようにまでなってしまいました。私は、体内の幹細胞のおかげで何とか持ち堪えているように感じました。良いことは、苦もなく訪れることはありません。骨髄提供の日に私は、二人の医師たちから代わる代わる9回の注射を受けました。末梢血管から血液を採取する過程も痛みを感じました。その時、息子のドナーに思いを馳せました。面識もない私の息子のために、このような苦しみを耐えた方に、今でも心から深い感謝を申し上げます。

二週間後、骨髄を受けた方から手紙が届きました。息子のカブと全く同じ急性骨髄性白血病で苦しんでいる13歳の男の子でした。私は涙が止まりませんでした。かけがえのない骨髄をこの男の子に提供することによって、この子が再び生きられるようにさせたのは、カブが私の心に働き掛けたものと信じています。私は、幹細胞を提供したことをとてもうれしく思います。もう一人の息子ができたような気がするからです。自分が必要とされたこと、骨髄を提供する機会が与えられたことをとても幸せに思います。

訳/中村文応