日本支部発足の経緯

2011年 6月 15日 慈済基金会
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一九八〇年七月二九日、台湾北部の陽明山で車の事故が発生しました。運転していた謝富美さんは、他の家族が無事ならば、自分はどんな痛みを背負ってもいいと、そのとき観音菩薩に祈りました。その結果重傷を負いながらも奇跡的に一命を取りとめた謝さんは、必ずこの命で社会に恩返しをしようと決心されたそうです。この謝富美さんこそが、のちに私たち慈済日本支部を立ち上げることになった方でした。

一九九〇年、謝さんは、ある野菜売りのご婦人から慈済のことを教えられました。その後、舅を介して慈済人である宋吳卻さんと知り合いとなり、同じ年の八月十三日に、初めて證厳上人と出会いました。帰依して授かった法名は静聖。更に證厳上人からの祝福も受け、日本へ戻った謝さんは、慈済日本支部の成立に奔走することとなりました。謝さんのご主人は立派な企業家ですが、謝さん自身は専業主婦でした。当時、支部の立ち上げを目指して多くの課題を抱えながら、法務省と都庁の間を何度も行き来ししたそうです。幸い日本に留学に来ていた法師たちと出家前の禅勤法師から多くの助けを頂いたこともあり、一九九一年六月三日、ようやく慈済功徳会日本支部の設立の承認が承認されたのです。

(一)日本支部の特色
  1. 最大の特色は、来日した旅行者が不慮の事故に見舞われた時の手助けです。来日した華人の旅行者に不慮の疾病や事故が発生した時、支部では、患者の世話をしたり、通訳をしたり、医療費の相談を受けたりと、彼らの守護役を務めています。
  2. ボランティアは女性が多く、女性も男性と同じような役割を果たして活躍しています。
  3. 日本とアメリカ、台湾及び東南アジアの慈済ボランティアの橋渡し役として、相互の連絡の役割を担っています。また、日本で生活している親族の世話や、と国境を越えた慈善案件の取り次ぎも行っています。
  4. 日本の福祉制度は十分整ってはいますが、老人ホームでのケアや、ホームレス問題への更なる取り組みは、現在の日本社会に必要な課題であると考え、積極的な参画を進めています。
(二)慈済の志業(慈善活動)のありかた
  1. 電話やFAXなどでの連絡を受け、必要とされれば、すぐにボランティアを派遣し、慈善活動を執り行います。
  2. 車を持っているボランティアがいれば、いつでも我々のありがたき「ドライバー菩薩」となり、共に現場をかけめぐります。中には元々は依頼者だった方が、転じてボランティアとなるケースも多々あります。
  3. 中国語クラスを開催し、優れた慈済の教育及び人文精神を以て執り行っています。
  4. 2ヶ月毎に発行する月刊誌で、慈善活動について会員に報告を行っています。
  5. ホームレス問題への根本的な取り組みを考え、1995年に山谷天主教と共に、東京の隅田川両岸でのホームレスのケア活動を開始しました。更に、2006年1月22日には初めて新宿中央公園で炊き出し活動を行い、今では毎月2回の代々木公園の炊き出しなど、更に活動範囲を拡大さ
  6. 参画した救援活動
    • 1994年の中華航空機の墜落事故が、慈済日本支部が関わった初めての大型救援活動となりました。
    • 1995年の阪神大震災では、被災地で物資の配給活動を行いました。
    • 2004年の小千谷、及び2007年に柏崎で起こった新潟地震に対して募金活動及び震災地で炊き出し活動を展開しました。
  7. 限りある資源を最大限有効活用し、ボランティアの育成教育を行っています。
(三)支部設立のエピソード
当初は決まった集会場所がなかったため、恵敏法師の知恵を借り、東大の仏教青年図書館の会議室を借りて集会を行っていました。次に、1992年春から秋にかけては、劉秀忍さんが提供して下さった船橋の集会所を使い、その後、宋呉部慈済委員の慈悲深いご支援のおかげで、三軒茶屋会所に移りました。2001年に至るまでの10年間、この地に電話やFAXも設置され、日本支部の歴史が刻まれていきました。この15坪ほどの集会所で、会員は40名以上を数え、陳金発さんが国際震災援助の講演に訪れた時には、来場者が50名以上にもなり、会場内から道路まで人で溢れたというエピソードまで残っています。

その後、證厳上人の祝福に授かり、適当な場所探しを重ねたのち、やっと相応しい場所に巡りあうことができ、我々の新たな集会所が現在の新宿区大久保の地に定まったのです。地上9階建て、各階は約61坪あり、全世界に分布している慈済支部の中でも、"最高層の慈済の家"と呼ばれています。
(四)日本社会への一体化への取り組みと協力の過程
  1. 他のボランティア団体との連携によるホームレス支援の視察・研修。
  2. 山友会などのボランティア諸団体と協力し、ホームレスのケア活動を展開。
  3. 日本人向けの茶会、及び日本語版の「静思語」を使用した勉強会の開催。
  4. 新宿のリサイクルセンターを介したエコ講座の開催。
  5. 公民館などを借り、素食(ベジタリアン料理)教室を開催。
(五)華人・日本人ボランティアの受け入れ
  1. 毎月の集会及び共修会を開催。
  2. 毎年末に里帰りしたかのような会員団欒の食事会と祝福会を開催。
  3. 各種のチャリティーバザーの主催、及び華僑団体主催のチャリティーバザーへの参加。
  4. ボランティアへの愛を込めた粽とおむすびの提供。
  5. 合宿や大型イベントを企画し、ボランティア人材を発掘し育てる。例えば、親子合宿、父母恩重難報経の上演など。
  6. 仏陀の"法"が会員とボランティアの心と行動に宿るよう、勉強会や各地でのお茶会を開催。
  7. 発足以来の会員、ボランティア、委員、慈誠、会員数の拡大
委員、慈誠数
1992年委員三名
2010年委員七十二名、慈誠十二名
ボランティ数 
1992年三十名
2010年三百名
会員数
1992年五十名 
2010年四千五百名
(六)慈済人文精神及び日本仏教との融合

「仏国土をつくる会」の会長及び会員の皆さんは早くから慈済の理念にご賛同頂き、常に交流を図って参りました。最近では「立正佼成会」との交流もさかんになり、第二十四回庭野平和賞の授与を機2010年に、相互の精神がますます合うようになりました。
(七) 日本分会の未来への発展
我々は、「静思勤行道、慈済人間路」(静かに物事を考え、人の道を歩み、慈済の人間路を進む)を根本理念とし、證厳上人のお示しに従い、「廣行環保、福満乾坤、浄化人心、風調雨順」環境活動を拡大し、天地を祝福で満たし、人の心を浄化させ、雨風を調和する)を今後の行動目標として努力しています。

また「人間菩薩大招生、環保茹素救地球」(善心ある人間菩薩を多く招き入れ、環境と素食活動を促進して地球を救え)をスローガンに実践を行っています。人間菩薩を招き入れる、という実践として、慈済人文、読書会、茶道、華道会、地域のお茶会などを開催して多くの方々の参加を歓迎し、そこから更なる人材に出会えることを期待しています。

また、「法譬如水」の和訳及び日本語Webページの拡大を通じて、更なる日本人ボランティアを受け入れ、共に日本社会でのボランティア活動を一層活性化させ、愛の循環から新たな感動が生まれることを望んでいます。

環境保全活動として推進中の素食(野菜中心)文化は、支部におけるPRだけでなく、各地域でも素食の料理教室を開催し、体と心の健康を養う素食理念を提唱して、證厳上人が唱える「法入心、法入行、断口欲、滅苦因」(法を心へ宿し、行動に示し、口欲を断ち切り、苦痛の因果を滅す)を実行しています。

そのために"合和互協"(合心、和気、互愛、協力は慈済特有の「四大チームワーク」)を一層強化し、慈済の事業を、日本各地で桜の花のように見事に咲かせていかなければなりません。