影の立役者――何国慶

2009年 9月 01日 慈済基金会
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【記念特集】

二十年前、マスメディアの先輩である王端正、高信疆両氏と『静思語』を公開出版することについて討論をしました。その時、何国慶氏は五十万ないし百万部は売れるはずだと言いました。「お二人は大笑いし、『何さん、それはとても無理でしょう! 二万部を売れれば幸いですよ』と言いました」。そして今、この「不可能」が現実となったのです。

『證厳法師静思語』は十一種の言語に発行されて全世界の人々に読まれ、深く人々の心に影響を及ぼしています。発行に当っての影の立役者である何国慶は二十年前を振り返って言いました。「当時、静思精舎に参上した時、人々に贈呈する慈済の書籍がたくさん本棚にあるのを見ました。その多くは法師様の開示の原稿を集めたもので、どれもぶあついものばかりでした」。

読書が好きな何国慶はさっそくそれらの書物を読みあさり、法師のお言葉は真理を明らかにし、悟りを開く働きに富んでいるのに深く感動しました。「しかし、ぶあつい本で無料贈呈本となると、興味を覚える人はあまりいません。法師様の語られた言葉を選りわけて整理したら、一字一句がすべて立派な経典となります。公開出版すれば必ず市場で太刀打ちできる内容があり、また慈済の理念を一般社会に広めることができると考えました」。

一九八九年、慈済看護専門学校創立記念式典の前に、何国慶は式典主催責任者として、式典に参加した方々に書籍を贈呈することを決めました。何国慶は文化界の友人である高信疆氏に協力を求め、高氏により一層慈済に対する認識を深めてもらうため、慈済名誉理事会に参加してもらうことにしました。

宗教信仰のない高信疆氏は理事会で深く感動を受け、すぐ何国慶に伴われて、證厳法師に会見しました。高信疆氏はその時、法師の知恵に深く感動して、編集出版のお手伝いをすることを決めました。

内容を一層充実したものとするため、何国慶は楊亮達など台北の十九の慈済委員組の組長を集めて幾度も会議を重ねました。そして皆が最も強く感銘したお言葉について語り合い、その後で各委員組から五句ずつ選び出しました。

洪素貞(法名静原)は高信疆氏の要請を受けて編集に協力し、各方面から資料を集め、法師の開示の精華を一千句あまり整理しました。「高信疆氏が資料を書いた紙を一句ごとに切り取り、三日間地べたに座り込んで一々分類整理しているのを私はこの目で見ました」と何国慶は過ぎし日を思い出しました。あの真剣で、責任ある態度には深い印象を受けました。優秀な編集者とは容易でないことをまざまざと目にしました。

原稿が完成し、何国慶と高信疆は『静思語』を書名にすることに決定しました。同時に李男さんにレイアウト、奚松さんに表紙の絵をお願いしました。法師に会見してから発行されるまで十一カ月の月日がかかりました。『證厳法師静思語』の初版は二万冊刷られ、慈済看護専門学校創立記念式典の参加者に贈呈したところ、たいへん好評だったので、また二万冊増刷しました。その後、九歌出版社に発行を委ね、何国慶がかけた願を成就しました。

最適の国際外交贈答品
『静思語』に「自分自身を過少評価してはならない、人は誰しも無限の可能性を秘めているのだから」という一句がある。何国慶は「誰でも志を持っています。そして発願して、それを達成しようとします」と言います。何氏が発願して静思語を広めようとした根源です。

何国慶は『静思語』の影響を受けた経験を語りました。

かつて友人と商売のことで話し合った時、意見が合わず、次第に声高になりました。この時、電話が鳴り、それを受けるため座を離れました。二十分後に席に戻りましたが、友人の態度ががらりと変ったのに気づきました。友人は、自分が席を離れている間に、卓上においてあった『静思語』を開き、「理由が正しくても心の状態はおだやかでなくてはいけない。自分の理が適っていても、相手を責めず許すべきである」との一句を見たのでした。何国慶もそれにつられて語気を和らげ、事は順調に収まりました。

慈済カナダ支部の執行長を務める何国慶は長年海外で慈済を広めています。『静思語』は何氏の国際外交上、最適の贈答品となっています。

バンクーバー市のサム・サリバン市長はスキーで怪我をして半身不随となり、日常は車椅子で行動しているといいます。ある会合で何国慶は市長の身になって考えてみました。そしてすべての事について比べたりしないように勧めました。何でも比べたがる人は、得てしてより良い方に着眼したがるものです。

そして何国慶は『静思語』の「前足を踏み出し、後足を離す」、即ち、踏み出した前足が地についても、後足を離さないようでは前へ進めないという意味の一句を引き合いに出しました。つまり、過ぎ去ったことにくよくよせず、今日なすべきことに専心すべきであると解釈を申し添えました。それを聞いたサリバン市長は、「あなたの一言は私の一生を変えました」と。その後お会いした時、市長は何国慶に、「私は永遠にこの一言を心に刻み、人生の座右の銘にしています」と語りました。


慈済月刊五一一期より
文・陳怡伶/訳・王得和/撮影・陳李少民