取り揃えられた心の糧

2010年 11月 01日 慈済基金会
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【言葉の力】その一

私の父は、家の土間を作業場に小さな仕立屋を営んでいた。母は学校の門をくぐったことのない、まったくの文盲だった。それでも父母はまじめに働き、生活の全てを切り詰めて、私たち六人兄弟を育ててくれた。

二十年前、専門学校に通う私の学費をそろえるために、父母がどんなに苦労したか。貧しいながらも父母の羽の許で保護され育てられた私は、家庭をもち人の親になるまで、父母の苦労を知らなかった。見返りを求めない献身的な子供を思う心、子供のためならば命を賭けることも厭わない親の愛は、自分が結婚し子を持って初めて分かったのだ。

主人の生家は、地方で農業を営んでいた。都会で過保護に育った私は、結婚後、何もかも切り詰めた婚家の家風を持つ主人との生活に馴染めず、生来あまりオープンでない性格もあって、婚家とのお付き合いも楽しいものではなかった。二十五歳の年に、わずか生後三カ月で子供を亡くしてからは、気持ちはもっと内向的になり、宗教に心のやすらぎを求めるようになった。お経を読んだり、仏壇の前で唱えたり、それが私の心の傷をどれだけ癒してくれたことか……。

十数年前、私は縁あって慈済を知った。子供を連れて慈済の児童精進会に参加したのが始まりで、それから「静思語」(證厳法師のお言葉集)が私の人生航路になくてはならない道標となった。

思えば長い結婚生活の間で、主人とのいさかいは度々あった。いつも理を得ると相手の非をつかんで離さない自分の性格を私はよく知っていた。しかし法師さまのいわれる「理が立ってもそれをカサにするのではなく、寛容な気持ちで相手と向き合う」とのお言葉に私は何度かこらえ切れない気持ちを、胸のうちに飲み込んだことがあるのを覚えていた。

それから、だんだんと静思語に書かれている言葉は、私のために選びそろえられた精神的な糧であると感じるようになった。魂を元気づけるビタミン剤のように、一つ一つ噛み砕くたびに、気持ちが収まり心が和んで、なぜ苛立ちあくせくしているのかと、自分を顧みる余裕がでてくるのだ。静思語を清書して、自分だけではなく、子供達の励ましにと家に張るようになったのはそれから間もなくだった。

心の持ち方が変わり、智慧もいつの間にか増えたせいか、一度私は主人にびっくりさせられたことがあった。それはオフィスで昼寝をしていた主人が、取引先の電話にたたき起こされ、急ぎで商品を注文された時のことだった。その品物がたまたま店になかったのを主人は、私の在庫の点検不十分と決めつけ、ものすごいけんまくで荒げて私を叱った。そのけんまくに私は子猫のように身を縮め、体が動かせなかったほど驚いた。

が、それが五分も経たないうちに主人は「ごめん! ごめん! 起き抜けで気が立っていたものだから……」と詫びるのだった。かつてない夫の優しさに戸惑い、びっくりするが、心のどこかでもしや静思語の環境教育が功を奏したのではないかと考えると、感謝と幸福で胸が一杯になるのだった。

最近、私は学校で「大愛ママ(小学校でリサイクルや道徳観念を広める活動を行う女性の慈済ボランティア)」をしている。静思語をテーマに、昔話や日々身の周りにおきたことを絡めて、その深いところにある真意を生徒たちと分かち合っている。それを道標にしている毎日の生活は、足をしっかり地につけて道を歩いているようで、心が落ち着くのだ。そしてこんな機会があることに感謝し、いつまでも結ばれたこの縁が続くように願っている。

今の私は、いつも家にとじこもっていた暗い感じの私ではなく、笑顔の絶えない、口を大きく開けてよく笑う、人助けに熱心な楽しいママとなった。そして縁ある人々と共に、取り揃えられた心の糧、静思語を分かちあい成長し、その中からこの広い世に善良な花が次々に咲くことを願っている。


慈済月刊五二五期より
文・陳慧華/訳・如薇/イラスト・林碧惠