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12月02日
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ホーム 證厳上人 證厳上人の説法 百の手 千の手 万の手を堅く繋いで 真善美の台湾を打ち立てよう

百の手 千の手 万の手を堅く繋いで 真善美の台湾を打ち立てよう

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證厳上人のお諭し
衆生が共につくった共業(ぐうごう)は
長期に亘る業力がたまったもの
それは強烈な台風の威力のようである
如何にすれば気候を正常に戻せるか
それには人々の
大覚、大悟、大懺悔が必要である
百の手、千の手、万の手を繋いで
共に奉仕し
敬虔に愛を用いて大地を護れば
災難は軽くなる

パキスタンでは二カ月近くも洪水が続いており、人々は一秒一秒が辛い災難の日々を過ごしています。

人生は短いと嘆く人がいます。しかしながら災難におびえた時の一秒は、同じ一秒でも長く感じられます。

同じ大地で生存する人類は、土地に護られてこそ生きていけるのです。もしも、気候の変動によって大地が傷つけば、人はなかなか安らぎを得られません。天を敬い地を愛すべきです。大地を母のように慈しみ護るのです。

「敬虔」とは非常に大切なことで、人や事に対して片時も忘れてはなりません。心が常に「敬虔」であれば、誠正信実(誠意、正、信用、真実)に人や事に対して本分を尽くすことができ、その心が、慈悲喜捨、奉仕の行動、倹約となって現れます。

今年は慈済が環境保全活動を実施してから二十年になります。九月六日から十五日まで、私は台北、桃園と十日間の環境保全感謝の旅をしました。四十三カ所のリサイクルセンターを回りボランティアをしている菩薩たちに感謝と敬意を表しました。

台北県板橋へ行った日、八十代、九十代の大勢の菩薩たちに会いました。その中の一人の方が、「法師様、私たちの回収所は路地の奥にあります」と言うので、「見に行ってもいいですか」と聞くと、「法師様はお忙しいですから、私たちがお目にかかりに参りました」と言いました。

すべての回収所を回りきれず、菩薩たちに申し訳ない思いでいたのに、お年寄りの菩薩たちが慈母のように私をいたわり、包容してくれたことは感謝に堪えません。どの回収所へ行っても私は喜びと感動でいっぱいでした。台湾の宝と真善美を目のあたりにしたのです。


環境保全は
「バタフライ効果」のよう
一粒の米も集めれば俵に
一滴の水も大河となるように
百の手、千万の手が応え合う

一九九○年八月二十三日、私は台中の新民商工業高校で講演したときに、「皆さん、拍手する手で環境保全に尽くしましょう」と言いました。数千人の聴講者の中にいた二十余歳の楊順苓さんは、衣服工場で働いており、経済的に人の援助はできませんが、「ただ両の手を差し出して古紙や空き缶を回収すれば、人を救うことができる。これなら私にもできます」と喜んで、私の呼びかけに応えてくれたのでした。二十年が経った今でも続けています。

休日には家々のベルを押して古紙や空き缶を回収して整理し、様々な困難に遭っても負けない楊さんの勇敢な姿に、多くの人が感動して環境保全活動の列に加わりました。

講演から二カ月後、私が再び台中へ行った時のこと。楊さんが二千元持ってきたので、係に領収書を渡すように言いつけると、楊さんは「私は皆が不要になった物を集めただけですから、このお金は皆のお金です」と。それで回収して得たお金は「慈済人」名義にして、慈済環境保全第一号の種子になったのです。

この時痛切に感じたのは「一粒のお米も寄せ集まれば俵となり、一滴の水も大河になる」という貴さです。ボランティアたちもそれに励まされ、環境保全活動が始まりました。

一つの小さな動作が「バタフライ効果」のように無限の力を産出します。一人が差しのべた手に百、千、万の手が繋ぎ合って善事を行ってきました。それから二十年が経ち台湾全土に四千五百以上のリサイクルセンターが出来、六万七千人以上の人が環境保全活動に参加しています。


環境保全は「法門」である
麻薬製造の隠れ家、釣り堀は
荘厳な道場に変わり
人々は喜んで奉仕し
幸せと喜びに溢れている 


台北市中正、万華区のリサイクルセンターは、生鮮卸市場に隣接した高架橋の下の騒々しい所にありますが、ボランティアたちは気にせず活動に励んでいます。私はお年寄りたちが両手でビニール袋を揉んでその音を聞き分けてビニールの材質の名前を言っているのを見て、物事に専念すれば誰もがプロになることに感じ入りました。

台北県新荘の福営リサイクルセンターの土地は以前釣り堀でした。釣り人たちは「釣れた」と喜びの声を張り上げ、釣られた魚は空中で苦しみもがいていましたが、今では慈済リサイクルセンターになって多くの生き物の命を救い、福を植える場となっています。

木柵リサイクルセンターはかつて麻薬を密造していた秘密工場でした。借り主が警察に捕まり、今では慈済のリサイクルセンターになっています。博士課程を研修する人までもリサイクルセンターへ来て、ボランティアのお年寄りたちに回収の仕方を習っています。

釣り堀、麻薬密造所、市場はそれぞれ荘厳な環境保全精進道場に変わりました。慈済の環境保全の法門は、社会で毒物を清浄にする力を発揮し、屠殺場を生命を護る場所に変えました。

狭い空間で太陽の直射日光を浴びながら、かがんで熱心に仕事をしている四、五人の人たちは今、「定」の修行の真最中です。一日四箱のヘビースモーカーの人も改心して、ここで仕事して汗を流し、運動にもなって自然に心身とも健康になっています。


環境保全の「大願力」とは
不動の志と固い意思で
文句も愚痴もなく
終始前進すること
それが「精進」である


景美の「興徳環境保全教育センター」は興徳市場の中の隅にある小さなブリキの小屋ですが、大型リサイクルセンターと同様の作業を行い、景美地区十八カ所で回収されたすべてを集めています。

私が中へ入ると、七十六歳の陳財さんがわざわざ出てきました。大愛テレビ局の番組「草の根菩提」で、陳さんのストーリーを紹介しているのを見て感動し、私が是非会いたがっていることを知って、自分から私の前へ出て来てくれたのです。

陳さんは公売局に勤めるかたわら、客を乗せて三輪車をこいだり、アイスの呼び売りをしたりして大変苦労をしてきました。六十歳でリタイアしてから早朝自然に目が覚めます。四時に家を出て走り、帰ってラジオを聴きながら朝食、夜テレビニュースを見て就寝という単調な人生をつまらなく感じていました。

そんな頃、隣の劉玉蘭さんが「おじさん、暇を持て余しているのなら一緒に環境保全のためにリサイクルセンターへ行きましょう」と誘いました。「環境保全って何だ」「一緒に行けば分かるから」。それから毎月の回収日になると隣近所から集めた物を持って行くようになりました。

だんだんと力が入って、「やるからにはもっと真面目にやろう」と思いましたが、毎日集めた回収物を置く所がありません。家の後ろにある小高い所に目をつけ、毎日鍬で掘り続けて半月後、六坪ほどの平らな地面ができました。そこへブリキで屋根をかけると回収物を置くことができるようになりました。さらに一年かけて整理棚を作り、小さいながら立派な回収所ができ上がりました。

毎日四時にリヤカーを引いて回収物を集めるために付近を回り、いっぱいになると小高い丘にある小屋へ運びます。時には一日の間に七回も往復することもあります。 

腰を曲げ車を引いて小高い丘を登る陳さんの姿は、まるで地上をはっているようですが、どんなに辛くても前進するのみで、文句も愚痴もありません。「疲れて、足が痛いけれど『朝山(三歩一礼を繰り返して行う礼拝)』と思えば何でもありません」と言います。なんと強い精進の心でしょうか。

昨年のある日、回収所で不注意から転び、柱に頭をぶつけて血を流しました。止血して少し休んだ後、手はまだ痛いけれど動かせるので、ただの捻挫と思って午後また回収物を運びに行きました。

半月経っても陳さんの手が腫れているのに気づいたボランティアは、台北慈済病院へ陳さんの診察の予約をしました。医師は骨が折れているので入院して手術をする必要があると。陳さんは手術後どうなるのかとも聞かずに、ただ「四日後に退院できますか」と聞きました。医師が「なぜそんなに退院を急ぐのですか」と聞くと、「古紙を取りに行く約束をしているのです」と答えました。

付き添って行った玉蘭さんが「他のボランティアに頼みましょう」と横から言いましたが、陳さんは「駄目だよ、私が約束したのだから。人は信用が第一、それにその人は私しか知らないのだから」と言ってききません。なんと純真で不動の志でしょうか。これが菩薩の願力というものです。


環境保全は物の命を救う
万物のすべてには生命がある
命には長短があるが
回収して再生すれば
再びよみがえる


各回収所ではボランティアたちが「宝探し」と言って、ハサミを手に回収した物を細かく分類しています。古紙は真っ白、カラー、黒に分別します。業者は真っ白の紙を高値で引き取ってくれるので、印刷していない真っ白の部分をハサミで切り取ります。プラスチック類もそれぞれの材質によって、PVC、PP、PCに分けてビニール袋の上に印刷のある部分を切り取ります。
どの回収所を回るときも私はわざと、「どうしてそんなに細かく分けるのですか。手をかける値打ちはあるのですか」と聞きます。すると、ほとんどのボランティアは「法師様、細かく分類すれば業者は高値で引き取ってくれるのです。チリも積もれば山となります」と答えてくれました。

回収所はまた「菩薩の貯蓄庫」でもあります。雲のように集まるボランティアたちが資源を大切にし、再利用のため亡くなった物の命をよみがえらせているのは無量の功徳です。

各々の回収所でボランティアたちは単純、善良で真心を持って手を取り合い、人間(じんかん)浄土を創造しています。回収した物がどんなに雑な物であっても知恵を働かせ、いろんな工具を駆使して回収物を分解し、姿を変えて世に送り出します。きれいにきちんと分類しているボランティア菩薩たちが「心霊浄土」を具現し、私に台湾の宝を見せてくれました。

八月三十一日、慈済は初めて国連経済社会理事会に「特殊協議資格」を認められ、オーストラリアのメルボルンで開催された「国連第63回広報局(DPI)/非政府組織(NGO)国際会議」に参加しました。慈済はインドネシアのカリアンケ川の清掃、整備の過程と中国甘粛省の貯水庫建設と移村計画の過程を報告し、ペットボトルから再生したエコ毛布を展示しました。

そして、台湾にはまだ数十万枚の毛布が、慈済国際援助によって随時世界各地の苦難の人の手にわたるよう確保されていることを報告しますと、会議に参加した専門家たちは目を輝かせ「台湾はすべてが宝だ」と褒め称えました。

現在世界の気候は異常をきたしています。人々は汚染の減少、エネルギーの節約、CO2の削減に努めれば地球温暖化の危機を緩和できることをよく分かっています。しかしながら、道理は分かっていても切実に実行しているでしょうか。もうのばしのばしにするわけにはいきません。

慈済の環境保全ボランティアは口先ばかりでなく、あらゆる方法を講じて実践しています。天を敬い大地をいつくしみ、両の手から百の手、千の手、万の手で大地を護る重責を担っています。

衆生の業は長期的に累積した業力です。その力は、強力な台風のように力強いものです。人心の欲念は止まることを知らず、利益、享受を追求するあまり極度に山河大地を開発して災害を引き起こしています。

あちらこちらから災害が発生の消息が絶えず伝わってきます。この同じ時代に生を受けた私たちはお互い励まし合い、常に警戒する覚悟を持ち、無駄な日々を送ってはなりません。大覚、大悟、大懺悔を持って、そして戒を慎み大地を愛してこそ、災難が減少します。皆さんの精進を祈っています。

慈済月刊五二六期より
訳・慈願/絵・高配