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04月20日
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もし明日がなければ?

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【衲履足跡】
「明日がない」という無常観をもっていれば、時間を惜しんで、奉仕に精進し、刹那を永遠と化すことができる。

この身を善用して良能を発揮
地獄にやってくる人間の数が少ないと気づいた閻魔大王は、どうしたら地獄に多くの人間を連れてこられるだろうかと、獄卒を集めて皆で討論しました。

一人の小鬼が、「明日がないので善事を尽くしても何の役にも立たないと、娑婆に広めたら、人間は投げやりな気持ちになって享楽をむさぼります。そうすれば、いつしか業を積み重ねたことを知らずに地獄に落ちることになります」と提案しました。閻魔大王はこの意見に賛成しませんでした。もう一人の小鬼は、「世の中の人間に『明日がある』と広めるべきだ」と言いました。閻魔大王は大賛成して、計画通りに進行しなさいと指示しました。案の定、地獄は大満員になりました。

「明日がない」と「明日がある」という人生に対する二通りの考え方について、よく考えてみる必要がありますと、法師さまはおっしゃいました。

「『明日がある』と思う人は、明日があるから急ぐこともない。善事も明日にすればよいと怠けて堕落していきます。『明日がない』という無常観を持つ人は、善事は即時に行うべきだと、奉仕に励み、時間を有意義に利用して、人生を豊かに過ごすことができます」

明日に、あるいは来年にと、延ばし放題の人は、よい機会を失いがちです。即座に時を把握して奉仕する人は、大衆と良い縁を結ぶことができます。「広く大衆と良い縁を結んだ人は自然に歓迎されます。縁のない人は、人に良い言葉をかけても、共鳴を得ることができません」と、法師さまのお諭しです。

生老病死は人生における自然の法則です。体は「載道器」(仏法を語り伝える器)と見做し、有効に良能を発揮して福徳を積むことに努力するべきです。「人は自分の寿命がどれだけあるかを知りません。明日があるかどうかも知りません。だからこそ生きている今この時の一分一秒を有意義に使用するべきです。無常観にもとづいて発心したら即座に善の奉仕に励むことでしょう。福徳を積み重ねるべきです」。

良き縁を把握して福徳を積む
「愛のある人は貧しくても人を助けることを忘れません」。マレーシアの慈済人は、慈善、教育、医療の分野で奉仕を実践しております。さらに、血液透析センターでは患者たちに、人を助ける心を啓発し、皆で一緒に奉仕することになりました。彼らは本当の富者と言えます。

かつて竹筒の貯金箱で義捐金をためた慈済の伝統は、貧しい人を助け、富む人の愛の心を呼び醒ましました。ミャンマーの年老いた農夫は、借金を抱えていても、寄付することを忘れません。ある人は、毎日ひとつかみの米を蓄えて、村の貧者に贈ります。このような人たちは時を把握する富者と言えます。積極に福を造る人たちです。

「善行は即座に実行、『明日がある』と考えずに奉仕に励みます。慈済は人群の中に入って奉仕する宗派で、心の中に仏があり、行動の中に仏法があり、思想に禅をふくみ、奉仕で人を助けます。実行すれば間違いありません」


慈済月刊五〇五期より
文・釋徳凡/訳・慈憙
 

" 人はとかく偏った一念のために、愛し合い助け合う人生を捨てて、奪い合い憎み合い傷つけ合う人生を貪る。その原因はと言えば、名利や快楽を貪り、己の清浄なる本性を覆いかぶせてしまったからに外ならない。 "
静思語