3月17日,慈済ボランティアたちは再度被災地である茨城県大洗町へ赴き、被災者の皆さんに温かい食事を提供した。
凛とした寒さが身にしみる中、佛教慈済基金会は17日、再び地震被害地に入り、被災者に温かい食事を提供した。18名のボランティアは被災地の皆さんが待ち受けている中、東京から他の被災地と同様に電気、ガス、水が止まっている茨城県大洗町へと急いだ。今日も前回と同じように昼食と夕食を提供した。炊き出しの場所に来られない被災者にはお弁当を届けた。今日のメニューは焼ビーフンと味噌汁である。
早朝に出発、深夜に帰る
被災者を労われるなら長い道のりなんのその
今日は救援活動二日目、大洗町の気温5度。慈済ボランティアたちは積んできたガス、道具、食材で被災者のために炊き出しをした。大洗町も水、ガスの復旧はまだしばらくかかる見込みである。そんな中、慈済ボランティアはなんとか二食合わせて約千二百人分の食事を作った。被災者の皆様のお腹が満たされるだけでなく、味の方でも満足して頂けるようにと思っている。
朝7時半に東京を出発し、深夜遅くなってから分会に戻ってきた。往復、車で4時間かかる。
出発の準備から現地での料理、後片付けなど全てを自分達で行い、被災者の皆さんに少しでも負担がかからないように細心の注意を払った。体は疲れたが、心は充実感に満たされていた。
今日、慈済の炊き出しに来られた被災者は昨日より多かった。現地の高校生も慈済のボランティアベストを着て、炊き出しのサービスを手伝って下さった。愛は分け隔てなく、みんな一生懸命行なった。慈済ボランティアである陳金發は、被災地はたくさんの物資が必要であるのにもかかわらず物資が送れないのが一番困っていることであり、まだまだいろんな難関がある、と語った。
救援活動を行う中でいろんな出来事が絶えない。遥々大阪から15日の夜行バスで東京に向かい、救援活動に参加するはずだった中村瓊珠さんは、絶え間ない地震のために高速道路が閉鎖し、バスは夜中の1時に大阪へ戻り、仕方なく、彼女はタクシーで自宅へ帰った。
道すがら運転手と慈済の救援活動に参加する話をすると、運転手は感動して三千円を寄付して下さった。結局、中村瓊珠さんは16日午後一時半に東京の日本分会に到着した。
(報導:慈済基金会日本震災救援総指揮センター)