
朝7時、配布会場の大槌小学校にはすでにたくさんの人が列を作っていた。その様子をみたボランティア達は会場の最終セッティングを急ぎ、9時開始予定だった配布を7時45分に早めた。配布開始にあたり陳金撥が皆様への慰問の言葉と今回の配布活動が行えることへの感謝の気持ちを伝えた。それに答えこの被災で亡くなられた大槌町長に代わり町長代理を執行されている平野様が大槌町民を代表して感謝を述べられた。
見舞金配布が順調に始まって暫くして、ひとりのおばあちゃんが会場の入り口で困った様子で立たれていた。事情を聞いて見ると、自分は5万円の支給条件のはずだが,頂いた金額が3万円だったとの事だった。そのおばあちゃん言葉を借りれば、仏様の縁で感謝を込めて頂いたのに金額の些少をいうなど心苦しいと思っていらした。とはいえ決して楽とは言えないこの状況でどうしたものかと逡巡していたのでした。話を聞いた慈済ボランティアは自分達の落ち度にもかかわらずそれにクレームを言うどころか恐縮しているおばあちゃんにこころからのお詫びをするとともに金額の訂正をおこなった。人の落ち度をあげつらう事無く、私達に自らの間違いを正す機会を頂いたことに感謝いたします。

また、一人のお子さんをつれたお母さんがいました。今回の慈済の支援に感謝をされ、暖かい言葉を頂きました。そのお子さんは震災前この会場となっている大槌小学校に通っていたのでした。校舎の中にはそこかしこに元気な子供達が遊び、学んでいたであろう痕跡がのこっていました。水泳大会の賞状、風の子学級と書かれたプレート、給食の服装と書かれたかわいいイラスト、その光景が無残にも砕け散った窓ガラスの中に見えました。今は隣町の小学校に通っていると言っていたその子もやはり心の傷を負っていたのかもしれません。この子達が一日も早くまた元気な姿を見られるように私たち慈済もその努力を続けていかなくてはならないと思いました。
また別のおばあちゃんが息子さんの委任状と身分証を手にボランティアに相談にきました。おばあちゃんの話によると息子さんの罹災証明を紛失し、そのコピーも用意出

もうひとりおばあちゃんを紹介します。この震災で4人のお子さんを無くし,一人残ったお孫さんを育てているとの事でした。眠ってしまったお孫さんを手続きの間、ひとりの師姐が抱いていてあげました。私たち慈済ボランティアはこの縁をいただき奉仕をさせて頂く大槌町の人たちに感謝を込めて御礼をします。それに対し大槌町の方もさらに深く感謝を表されます。人の痛みを解かり、人のためにまごころをつくす、私たち慈済ボランティアはこれからもさらにその努力を続けなければならないと感じました。
文・池田浩一