
2011年6月、私とカメラマンは、セブとマニラからの慈済ボランティア5名と共に、エミリー・モリットさんと彼女の家族を、フィリピンのセブのカトモンの彼女達の故郷に訪問しました。エミリーさんは教師で、我々の訪問は新学期が始まる少し前でした。モリット家の故郷は、風に揺れるバナナの木々と鶏や虫達の平和な鳴き声に囲まれています。静かな環境を乱す都会の生活の雑音、車も人混みもなく、自然と調和したコーラスだけがそこにはありました。
ローズ・カルメルちゃんとローズ・カルメレッテちゃんは、この平和な風景に溶け込み、彼女達の年頃の2歳に満たない子供達が好んでするのと全く同じように、幸せそうに走っていました。
モリット家は我々を暖かく歓迎し、揚げたバナナやココナツミルク等の伝統的な食べ物で迎えてくれました。エミリーさんの父は、プソ・イン・セブアノというココナツの葉に包まれた米の食事まで用意してくれていました。我々は食事の目新しさに驚かされました。
カルメルちゃんとカルメレッテちゃんは健康で、体重は10キロ(22ポンド)、嬉しそうな丸々としてた顔立ちをしています。彼女達はいくつかの言葉、主に家族に関する言葉、パパ、ママ、お婆ちゃん、お姉ちゃん、お兄ちゃんといった言葉を発し始めたばかりでした。彼女達の声と言葉は、父のサロメオ・モリットさん、母のエミリーさん、母方の祖父のビリー・カミングさん、姉のトリキシー・ジョイさん、兄のイアンさんを喜ばせました。

エミリーさんは、「カルメレッテちゃんの方が歩くことと話すことを早く学んだけど、カルメルちゃんの方が強かったわ。二人共食欲は旺盛で、ミルク、粥、全ての種類の野菜が好きよ。」と言いました。
「カルメルちゃんの方が少し重くて、ゆっくりと動き回るの。」と62歳のビリー・カミングさんは言いました。「カルメレッテの方がほっそりしていて、走るときは閃光と同じくらい素早いの。私は彼女を捕まえることさえ出来ないのよ。」ビリーさんが彼女の美しい孫達を誇りに思っているのが良くわかります。
ビリーさんは、二人の少女の体躯が繋がっていた頃のことを思い浮かべました。彼女達を抱いたり風呂に入れたりするのは彼女一人には重すぎました。彼女は、二人のうちのどちらかが双子の体を洗っている間どちらかが彼女達を抱いていられるように、彼女達の母親のエミリーさんが学校から帰宅するのを待たねばならなかったのです。
切り離された双子の世話をするのはやはり非常に大変なことでしたが、ビリーさんは喜んで彼女達を世話していました。「彼女達は、幼児達がする普通のことだけど、私の注意を引こうと張り合い、時々は喧嘩もするの。彼女達は生きていることを楽しんでいるのよ。」と言い、「片方のローズちゃんが眠ってしまった時にもう片方がまだ遊びたがっていて眠っているローズちゃんを起こそうとするの。そういう時の彼女たちの顔の表情と仕草を見るのはとても楽しいわ。」とも言いました。
14歳のトリキシーちゃんと13歳のイアンちゃんが学校から帰宅する時、彼らは祖母を安心させ、彼女たちの世話を引き受けます。トリキシーちゃんは、「彼女達は、今は、生まれてすぐの頃より、ずっと面倒を見るのが容易よ。彼女たちがすることの全て、笑うことも泣くことも、私は彼女たちを見ているだけで満足なの。」と言いました。
リハビリテーション

ボランティアの曾瓊瓊さんは、「べレッツのリハビリテーション科のダイレクターであるジョーゲン・リム医師は、手術を通じて双子に与えられた慈済の資金調達の努力を知っています。彼は手助けの一端を担いたかったので、そのリハビリテーションを無償で手助けしています。
リム医師は、「双子をこの段階まで持ってくる為に、慈済医療チーム側で果たされた仕事の量は大変なものです。もし適切なリハビリテーションが後に続かないとしたら、大いに恥ずかしいことです。」と言いました。
リハビリテーションのプログラムは、2010年10月下旬に、週3セッションで開始されました。スケジュールは厳しく、すぐに挑戦と言えるものとなりました。キャトモンとセブ市は60キロ(40マイル)離れていてバスで2時間かかり、日帰りは不可能でした。更に学校の教師というエミリーさんの職業が彼女の全過程への参加を妨げました。エミリーさんは毎回は彼女達と行動を共に出来る十分な時間を取ることは出来ませんでした。
結局、彼らは複数の人達で分担することで解決しました。木曜日に祖母のビリーともう一人の身内が双子をバスでセブに連れて行き、病院の近くに住んでいるボランティアの王玉瓊さんの家に3泊しました。曾瓊瓊さんはレハビリテーションの為に、4人が2組に分かれて病院を往復する為の車を手配しました。日曜の朝に家族はキャトモンに戻りました。
「私達は、王さんと曾さんに、毎週、大変お手数をおかけしました。彼らに大変感謝しています。」とエミリーさんは言いました。王さんは、「全然問題ありません。小さな二人は私たちの家庭にたくさんの喜びをもたらしてくれました。」と答えました。
王さんは、4人のお客さんが一緒に寝れるように、2階の寝室に折りたたみ式のベッドを追加しました。彼女は幼児用の寝台も買って1階の居間に置きました。彼女は双子の為に米粥を作り愛情を込めて彼らの要求に応えました。

双子は全く通院を必要としなくなった訳ではありません。彼女達は彼女達の背骨を入念に調べる為に、6ヶ月間隔でフォローアップ検査の為に病院に戻らなければなりません。「カルメレッテちゃんの背骨の湾曲はより深刻です。彼女は10代で背中を補強するものを付けるか、あるいは矯正手術を受ける必要があるかもしれません。」と医師は言った。彼は双子の発育に目を光らせるよう家族に念を押しました。
広がった慈済家族
キャトモンは政治の中心から遠く離れていて仕事も限られています。住人達の大部分は
一般的に裕福ではなく十分な教育もうけておらず、農業、漁業、あるいは手工芸品を作って生計を立てています。
エミリー・モリットさんは、彼女の両親に彼女を大学まで行かせてくれたことを特に感謝しています。そのおかげで、彼女は良い収入を得られる教師という安定した仕事につけました。彼女の月給の16,000ペソ(375米ドル)が、エミリーさんの両親、2人の姪、他の人達も含めて10人以上になる家族の収入の大部分です。
エミリーさんの夫のサロメオさんは、セブにある家具工場の機会操作係です。家からの距離が遠く、毎日通勤するわけにはいきません。家賃と彼が毎週家に帰る為の交通費を支払った後は、月給の6,000ペソのうち残るのはわずかなものです。
2009年にエミリーさんは体躯が繋がった双子を産む為に必要だった帝王切開手術の費用を払う為に政府から融資を受けました。家族にはローズちゃん達を切り離す為に高価な手術にのぞむ余裕はありませんでした。
マスメディアが彼らの状況を報道した時、キャトモンの市長はその家族を訪問し、彼らに慈済について伝えました。エミリーさんとサロメオさんはその双子が生後一ヶ月になる前、2009年11月上旬に慈済セブ支部からの援助を求めました。支部のボランティアの李劍蘭さんが本件を担当しました。

李さんは泣きじゃくって報告し、曾瓊瓊さんは声を上げて泣いて聞きました。彼女達二人共に話を出すにはあまりに大きな金額であることを良くわかっていました。そのうえ、セブには慈済には人が非常に少なく、12人の会員と少数のボランティアしかいませんでした。
これらの困難にもかかわらず、支部は、とにかく、どこかに意思があり道があるであろうことを信じて、資金調達活動を開始しました。彼らの根気強い活動によって2百万ペソが集まりました。慈済マニラ支部が不足分の差額を補填しました。
エミリーさんと双子は2010年3月末に花蓮病院に到着しました。彼女達の4ヵ月半の台湾での滞在中、セブからボランティア達が台湾にやって来て彼女達に付き添い、病院のスタッフとの意思の伝達を手助けしました。ボランティア達は、双子の為には栄養補助食品を買ってあげ、エミリーさんの為には、いなくてとても寂しく思っている家族に電話をかけて話が出来るようにテレフォンカードを買ってあげたりもしました。
体躯を切り離す手術の後、花蓮病院での2ヶ月以上の術後回復とリハビリテーションを経て、2010年8月下旬にエミリーさんと両ローズちゃんはついに故郷に戻りました。
後に、セブのボランティアが、エミリーさんがまだ彼女の政府からの借り入れの返済で毎月2,600ペソ払っていたことを知った時、彼らは、米、粉ミルク、双子の治療費用、彼女達のリハビリテーションの為の交通費を援助することを決めました。
「私達はいつも祖母のビリーさんとエミリーさんに、双子を太らせるように頼んでいるのよ。」60歳の曾さんと他のボランティア達は、その双子を自分の孫のように愛しました。双子が食べれば食べるほど、ボランチィアたちは幸せを感じました。
「彼女達に熱があると聞いた時には、彼女達に何かあったのかと心配しました。」曾さんは続けた。「彼女達が歩くことを習い始めた時には、彼女達が何かにぶつかって怪我をしないかと心配しました。彼女達がリハビリテーションを受ける為にセブ行きのバスに乗る時には、路上の安全を心配しました・・・」曾さんはまさに双子の祖母のようで、いつも彼女達のことを心配していました。
より良い未来
「もし私達が慈救に出会っていなければカルメルちゃんとカルメレッテちゃんがどんな運命だったか、私にはあえて想像する勇気は無いわ。」エミリーさんは体躯が繋がった双子が誕生した後の彼女の家族のなかの不安に満ちた状態と、双子が体躯の切り離しの手術後に台湾から故郷に戻った時の喜びに満ちた興奮を思い出していました。「双子には、今、期待を持てる未来が有る、本当に慈済に感謝しています。」とエミリーさんは言いました。

祖母のビリーさんは、「慈済と証厳法師に本当に感謝しています。」と言い、「エミリーが台湾にいる時には、セブから来てくれたボランティアの方々が、フィリピン語でエミリーと話してくれて彼女のホームシックを和らげる手助けをしていただいた。彼らはエミリーにとって母親のようでした。」とも言いました。祖母のビリーは、彼女の娘にたくさんのことをしてくれた彼女達に本当に感謝していました。
エミリーは、彼女が勤める学校の教職員や生徒達は、ある慈善団体が彼女の双子の為に体躯を切り離す手術の費用の全てを支払ってくれたことを、ほとんど信じることが出来なかったと言いました。彼らはその団体について知りたがりました。「慈済は、貧困者を助ける仏教徒の団体です。」エミリーは彼らに説明しました。「その団体は四つの使命を持っています。それは、慈善、医療、教育、文化です。」彼女は彼女の説明を彼女が台湾から持ってきた何冊かの慈済季刊雑誌で補足しました。その雑誌を見て、彼らの何人かは、より多くの情報を得ようと慈済のウェブサイトを訪れました。徐々に彼らはエミリーの話を信じるようになっていったのです。
エミリーさんは、彼女の教室での授業で慈済から学んだことを使うようになりました。例えば、証厳法師の格言集を黒板に書き、生徒達にそれらの意味を話すのです。彼女は生徒達の心の中に善意の種を蒔きたいと望んでいるのです。
サロメオさんは、通常、週のうち2日を故郷で過ごします。彼は、仕事の為に家を離れる度に寂しさを感じますよ、と私達に話しました。「私はいつでも双子にミルクを飲ませたり、おしめを替えたりする準備が出来ています。習慣になってしまって、都市にいる時でも、朝の2時に目が覚めるんですよ。」と大きな笑いを浮かべて彼は言いました。
エミリーさんは、双子が大学を卒業することが出来、そして、彼女達の職業が何であれ、彼女達が十分にいただいた援助や愛をお返しできるように他人を助けることを続けることを望んでいます。
慈済月刊五三八期より
文・黃秀花
撮影者・蕭耀華
訳・後藤啟介