米国東部を直撃したハリケーン「サンディ」は甚大な災害となり、世界17ヶ国の慈済人は米国の被災者のため、全世界一斉に募金運動を行いました。
米国東部、ハリケーン来襲から20日を経たのち、慈済のボランティアたちはもっとも被害が酷かったニューヨーク、ロングアイランド、ニュージャージー州の三つの地域に毛布、マフラー、竹筒貯金箱、ベジタリアン用の缶詰、そして世帯数に応じた見舞金600ドルのキャッシュカードを配りました。
慈済人の支援物資を贈るときの深々としたお辞儀と礼儀正しい態度に多くの政府高官が感動を覚えたようでした。ニュージャージー南トムズリバーシティのジョセフ市長は、物資を配る作業に最初から最後まで参加しただけでなく、慈済ニュージャージー分会でボランティアとして物資を梱包しました。彼は妻と二人の娘を連れ、慈済ベストを羽織り、共に慈済ボランティアをつとめるのは最大の栄光だとおっしゃり、来年チャンスがあれば台湾の慈済人と證嚴上人に感謝の気持ちを伝えるために会いに行くつもりだと語りました。
支援物資を配る時、多くの被災者はこの緊急に用意された一時金を台湾のボランティアから貰える事がにわかに信じられない様子でした。そして被災者たちは慈済基金会の募金が五銭から始まったことにひどく感動していました。アメリカの東部時間十八日の日曜日、朝、ニューヨークのスタテン島の冷たい外気はわずか摂氏8度でした。被災者は600ドルのキャッシュカードを受け取るために並びました。その時ひとりの男性がボランティアに言いました「何もない人間にとって、600ドルのカードの価値は世界の全てに等しいものだ」。またある若い妊婦は慈済ボランティアにこう話しました。「災害にすべてを奪われた。しかし慈済の物資配る現場で天国を見た」と。
ボランティア葛舉賢氏が経験談:ある奥様が今日、突然、配布現場にやってきて私を見るやいなや、小銭満タンの竹筒貯金箱を渡した。彼女によると、二日前に私はあなた達の助けを受けた時に竹筒歲月の物語を聞き、帰ってから四歳と七歳の娘たちに話したら、七歳の娘は自分の貯金箱の小銭を全部竹貯金箱に入れた、そして家族全員家中の小銭を探し竹筒貯金箱に入れた。今日ここで物資配る事を新聞で見てわかったので、我が家の愛の竹筒貯金箱を持ってきた。ボランティア葛舉賢氏は、これほど意味深い竹筒貯金箱を受け取り、受けた感動を言葉に表せないほどでした。ボランティアたちはまた彼女に新しい竹貯金箱を渡し、竹筒歲月の精神と同じようにずっと人を助けることを祈りました。
十月二十九日にハリケーンが発生してから十一月十八日まで、アメリカの慈済ボランティアは一万世帯以上に「現金キャッシュカード」を配り、8,125 食分の「温かい食事」を提供、ボランティア動員数は2,034 人を超え、15箇所以上の被災区の心のケアをしました。
慈済のボランティア活動中、カナダ・バンクーバー、トロント、ボストン、シカゴ、カリフォルニア州北部、すべてのボランティアが援助を提供するために、ニューヨークとニュージャージーに集まりました。16日の夕方にカナダ・トロントから出発したボランティアグループ、12時間のドライブでニューヨークに着くや、休まず直ちに物資を配る作業に参加。二日間ノンストップで働いた後、また現地時間18日6時にトロントへ出発。
このような苦労も被災者に尽くすため、その一言につきます。アメリカの被災者たちはボランティアに「仕事していますか?」と聞いてきました。その答えが、皆が自腹で飛行機代や電車代を払い、その上、宿泊代まで払わなくちゃならないと知った時、「家に泊まりに来てください!」と思わず彼の口から言葉がもれました。互いに信頼する人間愛はここでもこのように表れています。
慈済の援助活動はニューヨーク政府の支持まで得ました。アメリカ時間18日、ニューヨーク市の会計監査役劉醇逸氏は慈済のために記者会見を開き、アメリカのマジョリティに台湾慈済基金会の救済活動を紹介。ABC、CBS、ニューヨークTV、AP通信社と現地の中国語の主要メディア等が出席しました。
記者会見の主催者:会計監査役劉醇逸氏は、慈済はハリケーン「サンディ」が発生してから最初に被災者たちに愛とケアを提供したグループ、台湾からの唯一のボランティア団体と説明されました。記者会見会場のカトリック、プロテスタント、ユダヤ教、ヒンドゥー教やその他の宗教の代表者は皆、慈済の現場での配布の時の相手に対する尊重の姿勢と愛などの、人道的な表現に深く感動し、慈済ボランティアたちから人間の自然の美しさを発見したと口を揃えおっしゃって頂きました。
訳/金媚湘