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04月20日
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いばらの道を前進する

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【證厳法師のお諭し】
あらゆることは
人が成したことであり
道は全て人が作ったものである
ことを成す時
「志があれば難しいことはない」
困難ばかりであっても
進むことができる
最後には人々の愛を引き出し
善のために
手を取り合って菩薩の道を進む


外は雨が降っています。私は災害で帰る家をなくした人たちのことが気がかりでした。風雨の中、その人たちは心安らかに過ごせるでしょうか。

ハリケーン・サンディの来襲から二十日間が過ぎましたが、アメリカのニューヨークとニュージャージー州の多くの人たちは一夜にして家を破壊され、その上、続いて冬の嵐が襲い、泥道に雪が積もりました。被災した家庭はどうやってこの冬を過ごすのでしょう。これからの生活が見えてきません。

冷たい風雨や霜、雪という劣悪な気候の中を、慈済ボランティアが苦しんでいる人たちの支援に出かけたことを感謝します。抱擁と思いやりで被災者の心を落ち着かせると共に、現金や物資を配布して一時的な物資不足や困難に対処しました。

十一月二十二日はアメリカにとって最も重要な祭日である「感謝祭」で、昔から家族と団欒を共にする大事な日です。慈済ボランティアは祭日の前にニューヨークとニュージャージーで調査を行い、大型の配布活動を次々に行いました。より多くの人々の心を慰め、彼らが心身共に温まり平安になることを望んでいます。

この人間菩薩たちは毎日、調査と配布活動に奔走し、決して自分たちが休みたいと望まず、人々が苦しみから逃れることを願っているのです。私は心から感動すると共に彼らに感謝しています。

歩んだ道
成したこと
奉仕した愛
その全ては
自らの人生に深い足跡を残す

アメリカの慈済は人が少なくても皆が結集して、被災後、発心立願し、見返りを求めず心を一つにして協力し合っています。進むべき道は困難に満ちていても、進むことで心が自在になれるのです。歩んだ道、成したこと、奉仕した愛、その全ては自らの人生に深い足跡を残し、心を円満なものにしてくれます。

被災者は寒い早朝にデビットカードと毛布などの物資をもらうために待っていました。彼らは本当に必要としているのだとボランティアは感じました。「私たちにどれだけのことができるでしょう」。彼らは有形の物資だけでなく、愛の力を求めているのです。それは誠実と尊重と尊厳のある愛です。

人々が寒い天候の中、食事や寝る場所、住居などの問題を抱えているのを見て、慈済ボランティアは心が痛みました。その心がいわゆる「同体大悲」なのであり、早く被災者を慰め、愛で奉仕してあげたいのです。遠くボストンやシカゴ、カリフォルニア、果てはカナダのバンクーバーやトロントからも、ニューヨークとニュージャージーに手伝いに駆けつけています。また、ダラスのボランティアは四十八時間かけて大型トラックで緊急支援物資を被災地に届けました。菩薩は遠方から集まると言います。寒い中、「頑張れば寒くありません」と彼らは言いました。

皆で物資の梱包や箱詰め、配布などを行いました。慈済ボランティアと被災者は縁もゆかりもありません。どうして進んで彼らと一緒に困難な立場に身をおこうとするのでしょう。愛に満ちた温かい毛布を一日でも早く、被災者の肩にかけてあげたい一心で行っているのです。これが即ち「無縁大慈」ということなのです。

この体が持つ良能を大切にし
今の福を知って
さらなる福を造り
大衆を利してこそ
この世の幸福である

現代人は科学万能の社会に暮らし、手をのばしてスイッチを押せば電気が通り、何でも苦労せずに手に入るものと思っています。しかし、ひとたび災害に遭った時、人間の生活はその一撃に耐えることができないことを考えません。

今回、多くのホワイトカラーが被災して、家屋の損壊や断水、停電、暖房のない生活、ガソリン不足などを強いられた生活を経験し、身動きが取れないまま、やるせなさを感じています。

平穏な時に、あらゆる物や人と人の感情、自分が持っている良能を大切にし、健康な体を衆生のために使ってこそ、この世は幸福になれるのです。もし、不満だらけで名利ばかりを追求し、自分を利するために争い事を続ければ、良能も悪能になってしまうでしょう。

どんなに繁栄し、発達した国でも、地、水、風、火という四大要素が調和を崩した災害に堪えることはできません。人心も同じで、心の調和が乱れ、少しでも逸れた時、社会の営みは続けられなくなります。

世の中が太平であることを望むなら、人は自分の心を調整し、衆生のために大愛を発揮すべきです。人間菩薩が多く出現して初めて、愛と善の力が絶えず湧き出てくるのです。人心を浄化し、誰もが福を知って福を造れば、より大きな力で衆生に奉仕することができるでしょう。

冷淡を温もりに変えれば
冬は春になる
恨みも悔いも憂いもなく
見返りを求めず奉仕する


アメリカ現地の十一月十八日、ニューヨーク市庁の会計監査官である劉醇逸さんが記者会見で、台湾慈済基金会がアメリカ東海岸の被災に対して行った支援活動を紹介し、大衆も愛で奉仕するよう呼びかけました。当日、会場に来たさまざまな宗教団体や全米のメディアは、ビデオを通してその中華系仏教徒が黙々と社会のために奉仕し、慈済ボランティアが存分にこの世の大愛の美しさを現しているのを見て深く感動しました。人生は無常で、いつ災難に遭うか分かりません。平穏な時、感謝する以外に、被災した人たちが困難な時期を乗り越えられるよう支援すべきです。十一月二十二日までに、世界二十五カ国と地域の慈済ボランティアが今回のハリケーン災害に対する募金活動を始めています。

慈済ボランティアは万難を乗り越えて被災地で奉仕し、街角で愛の募金を募っています。一人ひとりが「無縁大慈、同体大悲」の気持ちで憎しみも悔いも憂いもなく、見返りを求めない奉仕をして、被災者がこの世の愛と思いやりを感じてくれることを願っているのです。どんなに遠くにいても、人々の心に愛さえあれば、それを千里の彼方へ伝えることができるのです。

皆が豊かな心を開いて大愛を奉仕し、大衆の善が集結すれば、冷淡が温もりに変わり、寒い冬が過ぎて春のお日様が顔を出すでしょう。

苦労を厭わず
遠い道のりをものともしない
無私の大愛は人々に
感謝と敬服の気持ちを抱かせ
この世に
光明をもたらす


人心と四大要素の調和が崩れ、この世に数多くの災害をもたらしています。その一方で、至る所で人間菩薩が温かい奉仕に励む姿を目の当たりにすることができます。彼らは手と手を取り合って、自信をもって菩薩道を歩んでいます。

九月十五日、ベトナムの慈済人医会は現地の赤十字社と合同で、ホーチミン市のカンギオ県にある孤島で施療を行い、各家庭に医療パックを配布しました。ベトナムは社会主義の国で、慈善活動を行うのは容易なことではありません。しかし、志があれば困難なことはありません。慈済ボランティアはあきらめず、施療を行いました。医療の提供と共に物資も配布しました。病気には医療、生活には物資を施し、心からの愛を奉仕しています。

病気や苦しんでいる人、貧しい人が心のこもった医療ケアと愛の労りを受けているのを見ると、感謝と感動でいっぱいになります。現地の慈済ボランティアは多くはありませんが、困難を乗り越えて歩んできました。彼らは心して愛で人々を導き、身で以て人々の心を開き、現地の医療団体に感動を与えてきました。それゆえに施療活動は必ず心温まるものになっているのです。

中国では、今年初めての冬期物資配布が十一月十七日、北京の房山区と門頭溝区で行われました。今年の七月、それらの地域で相次ぐ大雨のために土石流や山崩れが起き、家屋が崩壊して多くの被災者が出ました。北京と天津の慈済ボランティアが合同で調査と配布を行い、地域住民に呼びかけて生活用品パックを詰める作業に参加してもらいました。その時、瞬時にして数多くの人間菩薩が出現したのです。

今回の冬期配布活動は北京、天津、上海、河北、吉林、山東の六地域で行われ、百人を超えるボランティアが遠くから参加しました。大量の物資を運んで配布するには体力と忍耐が必要で、重労働なのです。しかし、皆、心に愛を携えているため、奉仕を苦労と感じません。

山奥から出てきたお年寄りは綿入りの服や布団、米、食用油などの生活用品をもらい、「こんなにたくさん素晴しいものがあれば、良い年が超せます」と感謝しながら言いました。受け取る側は感動しながら感謝し、奉仕する側は感謝と喜びの気持ちでいっぱいになります。このような交流は実に心温まるものです。

災害が起きれば、人間菩薩は遠い距離をものともせず、労りや温かさを届けます。そのような愛は苦労を厭わず、衆生に対する情は遠くまで届き、人々に感謝と尊敬の念を抱かせます。

アイデアがわけば
すぐ行動に移す
些細な行動も
大きな効果をもたらす


大愛テレビの「草根菩提」という番組でこのような報道を目にしました。あるお婆さんは毎日、小学生の孫娘を学校に送った後、慈済のリサイクルセンターへ行きます。ある日、二人は道の途中で、道路脇のサイドミラーが曇っていたために、歩行者が危うく車にはねられそうになったのを見かけました。そこで、孫娘が「明日、雑巾を持ってきて、その鏡をきれいにしようよ!」とお婆さんに提案しました。

その時からお婆さんは毎日、バケツ一杯の水と雑巾をスクーターに積んで出かけ、サイドミラーがあればきれいに拭いているのです。お年寄りの愛と子供の智慧で、アイデアが浮かび、それをすぐに行動に移しているのです。些細な行動で行き来する人と車の安全が守られるのは、大したことです。

アメリカのハリケーン・サンディの被災地でのことです。十一歳の女の子が停電のために多くの人がコンピューターや携帯電話が使えないのを見て、父親に家の前に充電場所を設置しましょうと提案しました。その上、コーヒーをふるまって人々を心身共に温かくしたのです。幼い子供の大きな愛によって、数えきれない人が恩恵を受けました。

奉仕が最も楽しいことであり、受ける側よりも幸福であることを理解すれば、自ずと些細な行動を軽視することなく、進んで人助けをするようになります。どんな些細な力でも、一刻を争って奉仕すること、即ち、一人ひとりが心すれば、積もり積もって大きな効果を生み出すのです。

人は皆、大きな智慧のある鏡を持っており、毎日それを磨けば、外の境地が是なのか非なのかがはっきり映し出されます。誰もが心の鏡を磨いて互いを映し出し、喜んで奉仕することを願っています。人と人の間に心温まる関係ができれば、この世は光明に満ちるでしょう。



世のことは全て人が成したことであり、道は人が造ったものです。「心すれば困難なことはない」のです。

人間菩薩は農夫のように、心して種をまいて勤勉に耕すため、種は芽を出して菩提の苗から木になり、すぐに菩提林になります。心に愛があり、奉仕さえすれば、災害はおさまるでしょう。

一番心配なことは、人心の調和が崩れることです。誰もが「自分の所有を最優先する」ために争えば、永遠に平和は訪れないでしょう。最近、パレスチナとイスラエルが戦火を交えており、老若男女が恐れ戦いている光景をテレビで目にします。実に見るに忍びません。

争いが絶えない所に愛の入る余地はなく、苦しんでいる人は地獄に堕ちたのと同じで、救ってあげることも難しいのです。人が起こす災いが早くなくなることを願って初めて、外から愛を携えて支援に行き、罪のない人々を苦難から遠ざけることができるのです。

一人ひとりが心を広く保ち、愛で心や体、言葉、考えを正して人と良縁を結ぶことを願っています。常に警戒心を持ち、慎み深く敬虔になること。敬虔に祈り、善行をしてこそ、調和のとれた災害のない、いつまでも平和な世の中にすることができるのです。

訳・済運
(慈済月刊五五二期より)