
ポオーズ一帯には一人親や貧しい児童、そして孤児が多いです。二○○○年にエリナさんとシュービェドクさんは、子供たちの教育のため「自由」という名前の小学校を設立しました。学校に来る児童の中には出生証明書がない子もいれば、学費を払えない子もいます。そのため他所の学校に入学を拒否された子供たちを自由小学校が受け入れて勉強させるのです。
自由小学校はとても貧しく、校舎を建てることもできません。七年前にある人が大きなビニールを寄付してくれました。これで、四本の棒の上にビニールを張って陽射しを遮ることができるようになりましたが、風雨や寒さをしのぐことはできません。
教室もない学校で授業をすることは大変辛いことです。そのうえ学校に来る児童の惨めな姿を見ると心が痛みます。

これよりもっと辛いのは、十月から翌年の一月までの夏期に、鉄の棒に張った古びたビニールの下で授業をしなければならないことです。大きな石のそばに座っている児童は、日陰を追って居場所を変えなければなりません。強い陽射しにより頭痛を起こしたり、目が痛くなったりするからなのです。
そして雨期になると、さらに災難だと私は思います。テキストが雨に濡れたり、黒板に字が書けなくなったりするのです。また、この季節には大量の砂が舞い上がって、衣服や本も砂だらけになってしまいます。
さらにもう一つ辛いことを挙げますと、自由小学校は差別をされているということです。他所の学校の子供らに「雑草学校」とか「狂った学校」などと悪口を言われたり、児童が帰宅途中にいじめを受けたりして怯えているのです。
教室ができた
五年前から慈済ボランティアの朱金財さんは児童たちに文房具や食べ物の支給を始めました。また、水不足のため洗髪ができない子供たちの頭を剃ってあげるのです。それは頭皮への感染を懸念するからです。二○一一年十月、さらに衛生環境を改善するためレンガと建築用の建材を運んできて、トイレを作ってあげました。

朱金財さんをはじめ、遠い台湾そして南アフリカからのボランティアたちが地域のボランティアと児童たちの父親を率いて教室の組み立てを手伝います。一方、母親たちは床を整え、石をハンマーで細かくして土台をつくるのです。放課後、子供たちも交代で手伝いに来ます。みんなが長い列を作って次々に窓を運ぶ様子は、まるでこれからの教室を祝福しているかのようです。
二週間も経たないうちに、七棟の教室ができあがりました。九月に三学期が始まると同時に、私たちは胸をわくわくさせて登校しました。新しい教室は暖かくて、しかも風通しもいいのです。屋根があるのでこれからは頭痛などの訴えもなくなり、そのうえ天気のせいで突然授業が中断されることもなくなるのです。
美しい学校で優しい心を
「手にあるものを大事にし、また欠けている時も足るを知り欲望を抑える」という諺があります。證厳法師と慈済ボランティアの大愛によって、私たちが長い間神に祈っていた願望が叶ったのです。児童たちはこの小学校で勉強できることに大変感謝しています。そして慈済がこのようにしてくださったことを心に刻み、決して忘れることはないと思います。

校庭には芝生があり、花も植えてあります。そして教室にはちゃんと鍵がかかるようになりました。これで私たちにとって自由小学校はこの地球上にある小さな楽園となり、そしてこの小さな楽園にいる私たちはいかにも幸運だと思います。
◎文・Precious Dzuty/訳・心嫈
(慈済月刊五五五期より)