はじめに
私は三月中旬、初めてインドネシアを訪問した。慈済の海外活動として建設され、大きな成功を収めたジャカルタの大愛村を訪れるのが、私の念願であった。すでに書物や雑誌等で知識としては知っていたものの、やはり自分の足で歩き、自分の目で見て確かめるのは格別のものがある。現地で案内してくれたのは、慈済インドネシア支部のメンバーの游永興さん、黄禮春さん、趙鎮標さんの三名。とくに游さんには、日本語の通訳をかねて、終始お世話になった。インドネシア生まれでシンガポール育ち、イギリスの大学を卒業した優秀な好青年である。日本語は独学で習得したとのこと。私はまず、游さんと朝十時に市内のホテルで待ち合わせ、ジャカルタ市北部チェンカレン地区にある大愛一村に向かった。
大愛村の慈済病院
最初に訪問したのは慈済大愛病院。大愛という言葉はインドネシア語でCinta Kasih(チンタ・カシ)である。大愛一村にある慈済大愛病院もCinta Kasih Tzu Chi病院という。この病院は二〇〇三年に同村の創設と共に診療所として開業し、二〇〇六年に設備を充実させて病院となった。
スブクティ・N・カルタサスマナ院長は、多忙の中、私のために貴重な時間を割いて病院内を案内してくれた。スブクティ院長はインドネシア人で敬虔なイスラム教信者だ。微笑みをたやさず、とても穏やかな人柄である。専門は公衆衛生で、すでに二〇〇〇年の頃から慈済の無料診察に参加しているという。
院長室で挨拶した後、病院内の案内ということになったが、その時に黄禮春さん、趙鎮標さんが合流。黄さんは慈済インドネシア支部の秘書長、趙さんは慈済委員で、ジャカルタで会社を経営、お二人とも多忙の中、親身になって案内をしてくれた。
慈済大愛病院はジャカルタ市内でも評価が高い。ベッド数は四十二床と小規模ながら総合病院で、人気があって外来は連日満員、ベッドも常に満床だという。病院内も清潔で快適な環境に配慮し、二階部分のオープンスペースには洒落た喫茶コーナー「感恩カフェ」もある。インドネシア人の八~九割近くがイスラム教信者なので、イスラム教の祈りの部屋(ムショラー)もあるという。こういう礼拝室は、ジャカルタ空港などにも置かれている。
スタッフの名前と所属を記したプレートが壁面に掲げてあり、見ると全部インドネシア人のように思える名前だ。スブクティ院長の説明によれば、医師のうち八割は華人だという。インドネシアでは華人もインドネシア式の名前を称するので、そのようになっているわけである。とくに患者の多い分野は、眼科、歯科、産婦人科だという。看護師はほぼ全員インドネシア人である。
病院の特徴としては、一般患者とともに低所得者層を受け入れており、入院の際には保証金を必要としないとのこと。インドネシアはまだ国民皆保険の制度にはなっておらず、一般の患者は通常の医療費をもらうことになるが、慈済から貧困だと認定された患者は無料、政府支給の「貧民カード」の所持者の患者には政府が数カ月後に支出を担うという三種類の仕組みになっている。
大愛村の慈済学園
次に訪れたのが慈済大愛学園(Cinta Kasih Tzu Chi学園)。ここは、慈済病院とは大愛村の中央道路をはさんで向かい側にある。現在は幼稚園、小学校、中学校、また職業専門学校及び高等学校がある。これらの校舎は共有の運動場を真中にして、やや変形した三角形の形で囲むように建っている。慈済学園は貧困世帯の多い大愛村の住民のために、学費は非常に低く抑えられている。設立当初は大愛村の児童・生徒ばかりだったが、最近とみに人気が出てきて他地区の優秀な子どもたちも選抜されて入ってくるようになったということだ。
ここでは中国語、また静思語(慈済人文教学)の授業もそれぞれ週二回ずつ行われている。回廊には、インドネシア語と中国語(簡体字、ただし慈済の二文字だけは繁体字で表記する)で静思語の標語が随所に掲げられている。
小学校の教室を覗かせていただいたが(土曜日なので授業は行われていなかった)、生徒が座る椅子の背に短い文章が紙に印字されて貼ってある。よく見ると一つ一つが異なる文章になっている。黄さんに尋ねると、それは自分の好きな静思語の言葉だという。このように身近な形で慈済の精神を自分のものにしていくわけである。
風通しをよくするために、教室の両脇にはベランダ式の回廊が設けられている。インドネシアは熱帯気候帯に属し、年間を通じて気温が三十度を超えるが、こうした建築様式のためにエアコンを必要としない。台湾で希望工程により建築した学校の校舎も、こういう建築様式だったことを思い出した。まさに慈済独自のエコロジー建築である。
大愛村の様子
大愛村(今回訪問したのは大愛一村)はジャカルタ市郊外にあって、全面積七ヘクタールの広さを持つ。その内五ヘクタールは政府が提供した土地で、これに二ヘクタールを慈済が購入して付け足している。(政府の土地は、慈済が三十年間の使用権を与えられており、三十年ごとに使用権を延長する仕組みとのことである。)
大愛一村はAとBの二つのブロックに分かれ、両ブロック合わせると全十七棟の建物があり、千百戸が入る。いずれも五階建てで、白灰色の壁に赤い屋根が特徴の瀟洒な集合住宅群である。
写真は慈済学園のほうから眺めた建物であるが、ここに写っているA1-5棟にはココヤシ(インドネシア語でKelapa)の実の絵が描かれている。文字を読めない人が多いので、スイカ、マンゴー、オレンジなど十七棟全部にそれぞれ異なる果物の絵が描かれている。各戸はそれぞれ十一坪、台所に浴室、客間と二つの部屋がついている。家賃の代わりに毎月の管理運営費は九万ルピア(約千円)、水道や電気代などは別途徴収する。
ただ、住民の中には、病気などで就労が困難な人もいれば、家庭の主婦や高齢者もいて、彼らはこれら諸費用がなかなか払えない。そのための就労支援として、包装紙加工工場が広い中庭の一角に設けられている。彼らは簡単な仕事に従事して、そこで得た収入を家計の補助にしたり、またその中から管理運営費を支出している(これ以外に裁縫工場もある)。また、Bブロック周辺には屋台設置区域を設け、住民の生計手段としている。
大愛村の建物には、病院に入院している患者家族の臨時宿泊施設としても使用している棟があり、その内部も特別に見せていただいた。下水も濾過処理をしており、環境に配慮した住宅地区であることが分かる。独立したムショラー(礼拝所)の建物、また慈済学園の教職員や慈済大愛病院の医療スタッフ、またボランティアなどの宿舎もこの中にはある。夕方でも、子どもたちが学校の先生と交流したりして、宿舎周辺は賑やかになるそうだ。
大愛村にはコミュニティの隣組グループや住民代表委員会が置かれ、基本的には住民自治を重視しているが、慈済側の管理委員会との取り決めを守りながら住宅の管理運営が進められ、そのために住宅管理センターが置かれている。住宅内では資源回収場を幾つか設けて、環境保全が心掛けられている。じっさい道路にもゴミはほとんど落ちておらず、大愛村は清潔感がただよっている。そのほかにも、慈済として住民の生活状況の調査を行い、その結果にもとづき子どもの健康管理や家族計画の指導、また周辺環境の整備も進めているという。
(つづく)